『MBS(毎日放送)』で放送されている『プレバト!!』では、2021年9月23日の放送に俳句コーナーがありました。
お題は「秋の夕日」。
視聴した感想を書いています。
目次
MBS『プレバト!!』
テレビ番組『プレバト!!』についてです。
人気芸能人にはそもそも才能があるのか?あらゆるジャンルで抜き打ちテストを実施、その結果をランキング形式で発表する。
公式webサイトのディスクリプションには上記引用部のように書かれています。
あらゆるジャンルとは、今回紹介する俳句だったり、水彩画だったり、消しゴムはんこだったり、絵手紙、生花、スプレーアート、色鉛筆などです。
中でも俳句がメインコンテンツと思われます。
放送時間
放送時間について。
放送は毎週木曜日の19時から20時までです。
出演者
出演者です。
メインの司会は「浜田雅功」さんです。
ダウンタウンの浜ちゃんですね。
アシスタントが毎日放送の「玉巻映美」アナウンサー。
ナレーションが「銀河万丈」さん。
俳句の査定員は「夏井いつき」さん。
俳句カテゴリの出演者は「梅沢富美男」さんを始め、「東国原英夫」さんや「立川志らく」さん、「中田喜子」さん、「千原ジュニア」さん、「藤本敏史」さん、「村上健志」さん、「横尾渉」さん、「千賀健永」さんなどがいます。
俳句
『プレバト!!』の俳句カテゴリが2021年9月23日の放送でも扱われました。
今回のお題は「秋の夕日」です。
テレビ画面には、夕日の画像が映されていました。
「秋の夕日」は季語ではないでしょう。
今回は作り手が自分で俳句に合った季語を探す必要があります。
「秋夕焼」は秋の季語で、今回多く使われていました。
この回は、俳優の「浅野ゆう子」さん、お笑いコンビ「空気階段」の「水川かたまり」さん、格闘家の「武尊」さん、俳優・タレントの「堀未央奈」さんが出演していました。
レギュラー陣では「東国原英夫」さんと、「千原ジュニア」さん、「A.B.C-Z」の「河合郁人」さんが出演していました。
順位戦
まずは今回行われた俳句カテゴリの、順位戦の結果です。
4位が水川かたまりさん(才能ナシ、10点)、3位が浅野ゆう子さん(凡人、65点)、2位が武尊さん(才能アリ、70点)、1位が堀未央奈さん(才能アリ、72点)でした。
1位堀未央奈さん
順位戦で個人的に気になった方は1位になった堀さんです。
句は、独立をした夜とゴッホの「星月夜」を取り合わせていました。
ゴッホの星月夜の不安定な星空の情景が、ご自身が「乃木坂46」から独立したときの気持ちと合っていたとのことです。
季語は「星月夜」。
夏井先生は、「ゴッホの星月夜」だから季語としての力は少し弱まると言われていました。
原句は上五から「独立の夜や」と句またがりで、さらに下五にも「星月夜」があり、一句の中に2つの「夜」があります。
この1つ目の夜がよい配慮だったそう。
絵としての星月夜であったのが、もう1つ夜を入れたことによって保証されていると。
永世名人の東国原さんも、素人の句じゃないと褒めていました。
先日の夏タイトル戦に出ていたら、10位以内に入れたのではないかと。
確かにとても巧みな句でした。
句またがりをし、さらに切れ字を入れて詠嘆した上に「二物衝撃」を使うだなんて。
初出演とは思えないほど、老練の俳句です。
堀さんは普段から俳句を詠まれているのかもしれません。
昇格試験
今回はジュニアさんと河合さんの昇格試験がありました。
ジュニアさんは試験を迎えて「名人7段」でした。
1ランク昇格なさったら名人8段になるようです。
河合さんは試験を迎えて「特待生5級」でした。
1ランク昇格なさったら特待生4級になるようですけど、特待生の最下級のためここから1ランク降格すると剥奪されてしまうのでしょうか。
河合さんの特待生4級を目指す試験
番組では河合さんから試験が行われました。
句は、河合さんが1週間代打で初めての番組MCをして、その帰りの車内でエゴサーチをし、ファンの方々の暖かいコメントに嬉しい気持ちで帰ることができたことを詠まれていました。
季語は「秋夕焼」。
「あきゆやけ」と読みます。
5音です。
結果は「現状維持」。
理由は「詰め込みすぎ!」でした。
原句は「初MCの」で、中七に「エゴサ」とエゴサーチの略語を入れていました。
こちらのどちらかにしないと詰め込みすぎてしまい、季語の秋夕焼に比重が乗っていないですよということでした。
初MCを残すなら「初MC終えて」とし、エゴサを残すなら「エゴサーチやさし」とか「エゴサーチ苦し」とかにすると。
以前、先生は番組で「要素は2つまで」と言われていました。
車窓の秋夕焼をひとまとめの要素と判断するなら、要素はあと1つしか入れられません。
初MCかエゴサかになりますね。
詰め込みすぎというのは私のしばしばやらかすことなので、勉強になりました。
人の俳句を見ているときはまだ気づけるのですが、自分が詠むとなるとなかなか気づけないのですよね。
ジュニアさんの名人10段を目指す試験
次はジュニアさんの昇段試験です。
句は、公園でネタ合わせなどの稽古をしている漫才師たちが、上手くいかなくて黙ってしまっているうちに、もう夕焼けになっているのかと思ったことを詠まれていました。
ご自身の若い頃のことを詠んでもいますし、今現在苦しんでいる若手芸人さんたちの様子も詠んでいる句になっているようでした。
季語はこちらも「秋夕焼」。
結果は「現状維持」。
理由は「語順が違う!」。
原句は「漫才師黙」。
黙は「もだ」と読み、名詞で「黙っていること」を意味します。
上五の「公園の」と下五の「秋夕焼」、いずれも漫才師の外側の光景で、漫才師を間に挟むことで両者を分断させて、季語の効き具合を緩めている。
ここは漫才師から始めるべきで、公園の秋夕焼としていました。
カメラが漫才師のアップから、徐々にズームアウトして公園であるとわかり、さらにズームアウトしてそれが夕焼けであるとわかると。
季語の秋夕焼が主役になる、より映像的な句になりました。
先生は中七「漫才師黙」を頭に持ってきて、さらに「漫才師『の』黙」として整えていました。
「の」を加えることで8音にはなりますが、冒頭ですので許容されるのでしょう。
これはなるほどと大いに納得できる添削でした。
添削後の方がより映像的な句になっていました。
東国原さんの俳句史に残る句集作り
永世名人である東国原さんの句です。
句集に入れる50の俳句を、掲載決定かボツかを先生が判定します。
句は、ラフレシアも秋夕焼も、人を食べるのかと詠まれていました。
説明がほとんど原句そのままになってしまいましたが。
夕焼けには風景や人、物を飲み込むような怖さがある。
ラフレシアはその大きさからでしょうか「人食い花」とも呼ばれるそうで、両者とも人間を食べるのか、吸い込むのか、そういうことを詠んでいらっしゃいます。
季語はやはり「秋夕焼」。
判定は「掲載決定」。
先生からの一言は「さすがの取り合わせ!」です。
先生は夕日の写真からよくラフレシアを思いつくなと仰ります。
きちんと季語が立っているかについては、ラフレシアの花と秋夕焼の色合いや大きさ、美しいのだけれど不気味、不気味だけれど美しい、という似た点が伝わってくる。
着地が難しいけどストレートに詠んだことが逆によかった。
ストレートにやらないと、ラフレシアと秋夕焼がどうして取り合わせているかがわかりにくくなる。
実は原句6・6・6の18音です。
音の調べの問題がある点も、先生は東さんが6・6・6で押し切ったことで、ゆっくりとした静かに恐ろしいリズムが、読者にゆっくり押し寄せているようだと褒めていらっしゃいました。
私は今回の東さんの句のよさがわからないです。
ジュニアさんもわからないと仰っていましたけど私もわかりませんでした。
秋夕焼に怖さを覚えることは、秋も夕焼けも人生の終わりが見えてくるようで、死の恐怖を感じさせる言葉であることはわかります。
そこはわかるのですが、しかし、原句ではラフレシアと秋夕焼をいずれも助詞「も」でつなげると、両者が同列に並んでしまい、季語の効果は薄まるように私には感じられるのです。
先生の鑑賞もわかりませんでした。
先ほど書いたように、先生は「ラフレシアと秋夕焼の似た点が句から伝わってくる」と仰っていました。
原文ママではないかもしれません。
先生は季語が立っているかどうかと話を始めていたのに、両者が似ていることに話をつなげていらっしゃいました。
そのため、話を聴いている私たち視聴者は、似ているから季語が立っているのだと受け取ってしまいます。
しかしよくよく考えると、季語が主役に立つかという話と両者が似ているかという話は、別の問題でしょう。
似ているから季語が立つと、そこに因果を持たせることは私には無理があると感じます。
逆に、両者が似ていてはかえって季語の効果が弱まる=季語が立たないとすら思えます。
なので先生の仰ったことがわからなかったです。
また、ラフレシアを持ってきたことも、6・6・6の破調と言いますか自由律の句にしたことも、下五の「人を食うか」の表現も、個人的には評価できません。
理由は作者の「下心」が透けて見えてしまうから。
狙いすぎと言いますか「あざとい」と言いますか。
これは東さんの悪い癖と思うのですが、巧すぎるがゆえに映像や物語を「作りすぎる」傾向にあるのですよね。
先生は褒めていましたけど。
作り込みが「すぎる」と、さすがに私レベルでも作者のそういう「下心」が伝わってしまいます。
破調と言いますと、「立川志らく」さんが最近詠んだ中に「空蝉」を詠んだ句がありました。
今回の東さんの句は、志らくさんの空蝉の句の影響を受けたような、近い世界観や価値観をもって詠まれたものと感じています。
私はそう思っているだけで、事実かどうかはわかりません。
私は志らくさんの空蝉の句を評価していますけど、東さんの句は評価していません。
近い世界観であるのに。
その理由も、志らくさんはストレートに心情を詠んでいること、東さんは作為的に詠んでいること、そこに評価の分かれ目があると感じています。
おわりに
ということで、MBS『プレバト!!』の俳句コーナーのお題「秋の夕日」回を視聴しての感想を書いた記事でした。
私の読解や解釈が正しいとは限りません。
むしろ間違えていることの方が多いでしょう。
おかしなことを書いていたら申し訳ありません。