Eテレ『NHK 俳句』は、2024年4月から新しい選者さんが出演しています。
第3週の選者は「木暮陶句郎」さん。
視聴した感想を書いています。
目次
『NHK俳句』
『NHK俳句』についてです。
概要
概要です。
全国からお寄せいただいた投稿句の中から優れた作品を各週の選者が選び紹介。毎回、魅力的なゲストを招き楽しく俳句を学ぶ番組。第一週の選者は堀田季何、テーマは「「俳句の凝りをほぐします」。第二週の選者は西山睦、テーマは「やさしい手」。第三週の選者は木暮陶句郎、テーマは「季語を器に盛る」。第四週の選者は高野ムツオ、テーマは「語ろう!俳句」。
公式webサイトには上記引用部のように書かれています。
NHK 俳句 2024年 4月号 [雑誌] (NHKテキスト)
第3週「木暮陶句郎」さん
2024年4月から、2024年度の選者さんが番組に出演しています。
第2週の選者は「木暮陶句郎」さんです。
読みは「こぐれ・とうくろう」。
季語を器に盛る
木暮陶句郎さんが担当する『NHK俳句』第3週のテーマは「季語を器に盛る」です。
器に季語から発想を得た料理を盛ることで、季語の新たな側面を見出そうということだったでしょうか。
私には難しいテーマに感じられます。
陶芸家でもいらっしゃる木暮さんならではのテーマではあります。
作品と作者が一対
今回の放送内の、木暮さんの言葉で気になるものがありました。
俳句というのは作品と作者が一対
確かそうおっしゃったのですね。
録画データを消しているので確かなことは忘れましたが。
この回のゲストは元バレーボール選手の「益子直美」さんでした。
益子さんが作ってきた一句を、木暮さんが鑑賞・添削をするときにおっしゃった言葉だった記憶です。
句は、(バレーボールの)代表入りを菜の花に誓っているような内容でした。
木暮さんは、益子さんはバレーボール選手とわかっているからと、原句では「代表を誓う」だった中七(8音でしたが)を「夢を語りて」と添削されていました。
間違った鑑賞になるかも
上に紹介した木暮さんの発言は、場合によっては危険ではないかなと思っています。
私は、作者や作者の人生など、俳句の背景にある情報を一切排除した、17音のみを評価した方がいいと思っているからです。
これは何も俳句に限ったことではなく、短歌など他の詩、文芸、絵画など芸術でも同じことが言えます。
三つ食へば葉三片や桜餅
例えば上の句。
学校の授業など、普段俳句に触れていない人がこちらを読んだら、どうでしょう。
いい句と思う人もいるでしょう。
でも、「(3つ食べたら葉が3枚なんて)当たり前じゃん」「ふざけてるの?」「こんなのありなの?」「駄目じゃね?」と思う人も中には出てくると思います。
そしてその後、句の作者が「高浜虚子」の句とその人に教えたとします。
すると、初めは当たり前とか駄目とか思っていた人も、いい句じゃないかと考えを変える可能性が出てくるはずです。
それは違うのではないかと思うのです。
ふざけてるとか駄目とか、そう思った初めの気持ちを大事にして欲しいから。
あの桜餅句を駄目と思うことも、無論、その「当たり前さ」に面白さを見出すことも、どちらも正しい鑑賞と思います。
間違った鑑賞は、「誰々の作品だから良い(悪い)」という鑑賞の仕方です。
例えば、『プレバト!!』での夏井いつきさんの選句や順位付け、評価、添削だって同じことです。
仮に、添削された後の句を見て「これあんまりいい句になっていないよね」「元の方がいい」と思ったら、その感覚を大事にしていただきたいです。
夏井いつきさんが添削したのだからよい句に決まっている、と考えることは違う。
そういうことを言いたいのです。
木暮さんの発言は、◯◯さんが作ったから良いという考えへ、人を導いてしまう危険がある。
そう感じました。
木暮さんの発言にそういう意図がなくても、人をそちらに導いてしまう危険が。
益子さんの句
先ほどの益子さんの句も、益子さんが元バレーボール選手という情報なしに読みたいです。
「代表を誓う背比べ」という中七下五は、解説なしでは何を言わんとしているか、わかりません。
何の代表なのか、どうして背比べなのか。
背比べがバレーボールへの誘導かもしれないですけど、情報なしではまず伝わらないです。
「前書き」をつければわかりますが。
木暮さんは、益子直美さんと言えば誰もがバレーボールとわかるから、「代表」と言わなくていい、ということを言っていたかと思います。
それもどうでしょう。
誰もがバレーボールの代表戦を観ている訳ではないですし、若い世代にはもはや、益子さんを元バレーボール選手と認識していない人も少なからずいると思います。
それと、これは私の記憶違いかもしれませんが、益子さんは全日本に選ばれても絶対的なレギュラーではなかった記憶があります(だから余計にわからない人はいそう)。
ゲストへの配慮でおっしゃられたことと察せられますが。
そのため、添削された「夢を語りて」の「夢」が何を指しているかがわからない、ぼんやりしているように見えてしまいそうです。
個人的には、とりわけ下五「背比べ」が句の読解を難しくしているように見えます。
なので下五を中心に添削を考えて、句もできました。
添削というより改作に近いものでした。
しかし、さすがに私程度の人間が勝手に添削をすることは「おこがましい」と思うので、公開は控えます。
求められる声がよほど多かったら公開するかもしれません、1つもないでしょうけど。
添削中に気づいたことが一点浮上しました。
どうしても季語に菜の花を選ぶ理由が弱く、「季語が動く」可能性が残ることです。
季語の菜の花は、一本一本、一輪一輪を読むより、その一斉に咲いている様を扱う傾向の強い花なので、余計に動きそう。
成長を象徴するような季語、例えば「筍(たけのこ)」などの方が合っている内容でしょう。
その場合も、筍と背比べすることは類想がありそうなので、気をつけたいですが。
でも面白い
一方で思うのですよ。
木暮さんの言う「作品と作者を一対」として俳句を読むと「面白い」と。
先ほど紹介した虚子の桜餅句も、あの虚子があえてそんなことを俳句にしようとしたと想像すると、可愛らしさすら覚えます。
種田山頭火の身勝手さや、尾崎放哉の金の無心や学歴自慢といったク◯エピソードを知った上で、彼らの強烈な孤独を読むと、身から出た錆だなぁと苦笑してしまいます。
山頭火や放哉と同じ放浪俳人、あるいは廃人でも、井上井月の生活やエピソードを知ってから彼の句を読むと、(大変でしょうけど)まぁ何と豊かでおおらかな貧乏生活だろうと、彼の人生や、それが許容される当時の社会の懐の深さに対して、少し羨ましくなります。
等々、見方が変わったり広がったり深まったりします。
しかし、それでもやはり、そういう「作者の経歴や背景で句の評価を決定づけてはいけない」とは思います。
句会が、選句時に作者が明かされないフォーマットになっている理由も、そういうことと私は理解しています。
エピソードや人物像や経歴を知ることは、句の評価から明確に分けて楽しむ分には、上に書いたように、句をより楽しめる要素になり得るでしょう。
絶対はないのかも
私の鑑賞の仕方や考え方も、あくまでも私も考えです。
絶対ではないのかもしれません。
私の考えを皆さんに押し付けるつもりもありません。
見逃し配信あります
NHKとEテレの番組は見逃し配信があります。
AmazonからでもNHKオンデマンドの契約が可能で、同「Fire TV」では『NHK+』を視聴できます。
NHK+だけでなくTVerやU-NEXT、DAZNも。
おわりに
ということでEテレ『NHK俳句』2024年度第3週「木暮陶句郎」さんの放送を視聴したの感想を書いた記事でした。