何年かに1回くる漫画『きまぐれオレンジ☆ロード』のブームが私に来ています。
以前から古本で全巻持っていて、読み返しているところ。
子どもの頃は大して好きではなかったのに、今では大好きな漫画作品の1つです。
目次
きまぐれオレンジ☆ロード
貧乏コミックのカテゴリは古本屋などで安価で購入した漫画を紹介しています。
今回は新たに購入したものではなく以前から所有していた漫画です。
タイトルは『きまぐれオレンジ☆ロード』です。
単行本は全18巻です。
全て15年以上は昔に古本でちまちま集めました。
なので色あせもまちまちです。
古すぎて今はもう古本屋に置いていないかもしれないですね。
Amazonならあるでしょうけど。
『きまぐれオレンジ☆ロード』とは?
漫画『きまぐれオレンジ☆ロード』についてです。
『きまぐれオレンジ☆ロード』は、まつもと泉による漫画また、それを原作としたアニメ作品。『週刊少年ジャンプ』で1984年15号から1987年42号まで全156話が連載された(ただし、1986年42号から1987年11号までの約1年間休載)。また、特別編157話「パニックin 銭湯!の巻」が『スーパージャンプ』1996年10号に、158話「ほんでもって とーめー恭介!の巻」が『週刊プレイボーイ』1999年44号に掲載された。
きまぐれオレンジ☆ロードのWikipediaには上記引用部のように書かれています。
ジャンルはWikipediaには「少年漫画」とあります。
他、「SF」であったり「学園」ものであったり「恋愛」ものであったり「ボーイミーツガール」ものであったり「ラブコメ」ものであったりもしますか。
作者は「まつもと泉」さん。
出版社は『集英社』、掲載誌は『週刊少年ジャンプ』です。
Wikipediaによればジャンプには1984年15号から1987年42号まで掲載されていたそう。
ただし、1986年42号から1987年11号までの約1年間休載とのこと。
私は当時ジャンプを毎週買っていましたけど、確かに『きまぐれオレンジ☆ロード』は突然休載が入って、しばらくの間休載が続いていた時期があった記憶です。
このまま終わりかと思っていました。
便宜上、以降は『きまぐれオレンジロード』や『きまオレ』と表記します。
あらすじ
物語のあらすじです。
「春日恭介」は、父と双子の妹「まなみ」と「くるみ」の4人家族で、とある街に引っ越してきました。
新しい街にある石段を上がっていると真っ赤な麦わら帽子が飛んできたので、恭介はそれをジャンピングキャッチ。
麦わら帽の持ち主がヒロインの「鮎川まどか」です。
恭介は鮎川に一目惚れ。
鮎川はどうだったのでしょうか、たぶん一目惚れだったのでしょう。
2人は石段の段数の違いで言い合いになりながらも気の合う様子を見せます。
鮎川は麦わら帽をそのまま恭介にあげて帰ってしまいました。
翌日、転校先の中学校でしたっけ、学校に初登校すると、そこで鮎川と後輩の「檜山ひかる」を見つけます。
2人は校舎裏でタバコを吸っていました。
妹「くるみ」が注意したことをきっかけに、鮎川に話しかける恭介を見た「ひかる」は、知り合いかと鮎川に聞きます。
しかし鮎川は恭介のことなど知らないと答えるのです。
あの麦わら帽をくれた子で間違いないのに、学校ではまるで別人物のように振るまわれる恭介。
どうやら鮎川は学校の問題児で、街でも有名な不良少女のようでした。
恭介は鮎川と同じクラスに編入します。
学校内では周囲から孤立し、恭介に対しても一線を引く鮎川、ところが恭介と2人になると初対面のときと同じ優しい女の子になります。
恭介はそんな鮎川に戸惑いつつも惹かれ、鮎川もまた恭介の優柔不断ながら優しい人柄に惹かれていきます。
春日家は「超能力」一家です。
恭介たちの超能力が周りにバレては引っ越し、バレては引っ越し……を繰り返していました。
超能力を使わない恭介は勉強も運動もちょっと苦手な男の子。
転校生としてクラスで良いところを見せたかったのですが、家の外で超能力を使うことを禁じられていることもあって、体育のバスケットボールの授業では散々。
授業の後、体育館で独り落ち込んでいると、誰もいないことを良いことに超能力を使い、座ったままの姿勢で片手でボールを投げてゴールを決めます。
ゴールは遠くにあって、座ったまま片手で投げ入れるなど常人ではとても無理。
1人しかいないと思われた体育館には実は「ひかる」もいて、そんな恭介の姿を密かに見ていました。
そして「イ・カ・ス じゃん」と惚れるのです。
さすがに超能力を使ったとは思いませんから、恭介は実力でスーパーなことをしたと受け取ったのですね。
こうして恭介と鮎川と「ひかる」の三角関係が成立します。
恭介は鮎川のことを好きでありながら一途に想いを寄せる「ひかる」を無下にもできず、鮎川も恭介のことを好きながらも後輩「ひかる」の恋を応援する立場を取ってしまい後輩を裏切れないと自らの恋に踏み込めず、「ひかる」はそんな2人の想いを知らずに恭介に好意を寄せ、鮎川を慕い続ける。
この三角関係は最終回近くまで続きます。
きまぐれオレンジロードの感想
『きまぐれオレンジロード』の感想を色々と書いていきます。
興味がなかった
本作は1984年15号から1987年42号まで連載されていたようです。
連載当時、私はジャンプを毎週欠かさず購読していました。
しかし『きまオレ』に対して興味を持っていませんでした。
連載されていた80年代中期・後期というと、ジャンプは『キン肉マン』や『キャプテン翼』、『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』、『北斗の拳』、『キャッツ・アイ』、『シティーハンター』、『聖闘士星矢』、『ハイスクール奇面組』、『銀河 -流れ星 銀-』、『魁!! 男塾』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などが掲載されていたと思います。
まさに綺羅、星の如し。
その中にあって『きまオレ』は数段見劣りすると思っていました。
もっと言えばハズレ感すら抱いていました。
そういう風に見ていたため、当時は休載しても残念とは思っていなかったです。
そういえばいつの間にか連載されなくなってるな、終わったのかなと感じたくらいなもので。
私は当時子どもで、思春期や性の目覚め的なものも迎えていなかったから恋愛ものに興味を持っていなかったのかな、とも今書いていて思いました。
しかし、当時は姉の影響から『みゆき』や『陽当り良好! 』、『タッチ』など「あだち充」さんの作品を多く読んでいましたし、80年代後半になると「高橋留美子」さんの『めぞん一刻』が大好きになっていました。
ですから恋愛ものが苦手だった訳ではない、むしろ大好物だったはずです。
なので、『きまオレ』の物語や絵柄に対して純粋に面白さを感じていなかったのだと思います。
連載当時は。
絵が下手
当時の私の『きまオレ』に対する認識は「絵が下手」というものでした。
もっと言うと子どもながらに「すっごい下手」とまで思っていました。
ごめんなさい。
おっさんになった今でもこの感想に大きな違いはないです。
特に最初期は人物を描き慣れていない、デッサンができていない人特有の、不安定な絵に見えます。
立体感もなく、キャラクターの動きもありません。
真正面や真横といった決まった角度でしか顔や身体を描けていないコマが多いです。
コマ割りや構図も上手くないですね。
絵が不安定なため同じ人物とは思えない絵もまま見られます。
髪型や服装、話やコマの流れから同じ人物とわかるだけで。
扉絵など1枚絵、コマでも1カットなら上手く描けている絵は多くあります。
でもそれはどちらかというと漫画ではなくイラストですね。
それも構図などの元ネタがあるのではと匂うものも少なからずあって。
要するに「動き」を動けていないように見えます。
ただこれはそういう作風だと受け取れなくもないです。
80年代はイラスト的な漫画が増えてきた頃の印象がありますので、その流れに乗った作品、あるいは流れを作った作品の1つとも感じます。
また、少女を描くことには慣れているけど大人や老人を描き慣れていない、と子どもながらに感じていました。
例えば恭介のお祖父ちゃんお祖母ちゃん、喫茶店「アバカブ」のマスターなどがそう。
何でしょう、総じてキャラクターの「生活感」が伝わってきにくいのですよね、本作は。
後述する『めぞん一刻』はキャラクター全員にきちんと生活があって、背後にある人生まで見えてくるほどです。
この点は画力だけの問題ではなくなってくると思いますが。
良く言えば『きまオレ』は絵もキャラクターもストーリーも「ポップ」なのでしょう。
悪く言えば軽薄。
本作のある種のポップさ・軽薄さは1980年代の特徴でもありそうですので、時代を映しているなぁと思えます。
めぞん一刻っぽい
私は『めぞん一刻』が大好きです。
生きてきた中で1,2を争うレベルの作品です。
いや、1位と言い切って良いでしょう。
そのくらい好き。
私は『きまオレ』より後で、アニメで『めぞん』を知りました。
当時は週刊誌はジャンプしか読んでいなかったので間違いないでしょう。
『きまオレ』がジャンプで連載されていたとき、私はまだ『めぞん』を知らなかったはず。
後年『めぞん』を知った後に改めて『きまオレ』を読んだとき、「『きまオレ』は『めぞん』っぽい」と即、思いました。
逆に『めぞん』が『きまオレ』っぽいとは全く思わなかったです、不思議と。
どの辺が「ぽい」かと言いますと、設定で言えば「三角関係」がそうですね。
恭介が「五代」、鮎川が「管理人さん」、ひかるが「こずえちゃん」に相当しています。
三角関係の設定は恋愛ものの王道です。
当時は『みゆき』なども売れていたはずですから、三角関係が特に流行っていた時期でもあったと思います。
なので『きまオレ』が『めぞん』一作品から設定をあれしたとは言い切れないものはあります。
しかし、優柔不断な主人公、何も知らず主人公を一途に思い続ける年下の女の子、主人公の優柔不断さも女の子の主人公への好意も知りつつ主人公を好きでい続けるヒロイン、という三角関係は三角関係でも少々特殊で、『めぞん』と共通するものを強く感じさせます。
一方『めぞん』の三鷹に相当するキャラは『きまオレ』にはいません。
『九条明日菜』もいません。
『八神いぶき』的なキャラはいますか、「広瀬さゆり」が。
特に三鷹キャラが『きまオレ』にいないことに大きな違いがあると思います。
これには作者の好みの問題があると私は考えています。
『きまオレ』は読んでいると恭介が作者の分身に見えてきます。
作者は自らの願望・妄想を漫画の世界で実現させようとしたのでしょう。
自分がハーレムの中心にあって、最終的に中森明菜のような女の子と結ばれたいと。
鮎川は明菜さんをモデルにしているでしょうから。
ハーレムに自分のライバルなど必要ないのです、たぶん。
『めぞん』から参考にしているのは三角関係などの設定だけでなく、エピソードやキャラクターにもあるかなと感じています。
わかりやすいエピソードを1話挙げますと、『きまオレ』13巻の「しあわせの花!」です。
このエピソードは『めぞん』6巻の「夏色の風と」を元ネタにしていると思われます。
エピソードはそのままではないですけど旅先で出会う女の子という設定が似ていますし、女の子のキャラクターはかなり近いものがあります。
「しあわせの花!」は男友達の八田くんでしたっけ、彼と一緒に恭介が山のペンションに遊びに行きます。
その旅先で「小田久美子」という女の子と出会います。
久美子は髪の毛がカールしていて大きな丸眼鏡をかけ、おしゃべりな子です。
「夏色の風と」は、管理人さんが自分に対して怒っていると思っている五代くんが、ほとぼりが冷めるのを待つように北海道旅行をします。
その旅先で「大口小夏」という女の子と出会います。
小夏は髪の毛がカールしていて大きな丸眼鏡をかけ、大口というだけあり5分と黙っていられない子です。
ざっと調べたところ『めぞん』の方が先に描かれているようでした。
漫画に限らず創作の世界はパクりパクられであるのかもしれませんけど、挙げたエピソードに関してはちょっと露骨ぎるかなと感じます。
『めぞん』の他の漫画作品からもあれしている可能性は低くないでしょう。
「あだち充」さんの『タッチ』などを参考にしている節も見られます。
挙げようと思えば他にも挙げられますが、咎める目的で書いている記事ではないのでこれ以上は書きません。
絵柄が大きく変わる
『きまオレ』は物語が進む中で絵柄が大きく変わっていきます。
これは子どもの頃に感じたことではなく、後になって通して読んだときに感じました。
個人的には大きく4回ほど変わっていると感じています。
先ほども貼った画像で失礼します。
こちらは1巻の絵です。
6巻あたりで一度大きな変化があります。
5巻の後半くらいからかもしれません。
画像は6巻。
その次は11巻あたり。
15巻あたりでも1回大きな変化があります。
ここが一番大きいかも。
1枚目は15巻、2枚目は16巻。
1つ上の画像と同じく16巻。
1つの上の画像の2話後には、15巻以前のテイストに戻っている感じ。
そして最終18巻の最終話です。
他の作品、『めぞん一刻』も『タッチ』も『キン肉マン』も『キャプ翼』も『Dr.スランプ』も『スラムダンク』も、連載が何年も続けば絵柄は変わっていくもの。
理由は漫画家さんの画力の進化や好みの変化、あるいは時代が求める絵柄に変化していったことなどがあると考えられます。
しかし『きまオレ』はそうとは感じにくいです。
全くないことはないですけど、感じにくい。
15〜16巻の絵柄が最終話まで続いているのなら、まだ画力の進化だと受け取れたかもしれません。
しかし上に貼った最終話を見てください。
15〜16巻とはまた絵柄が大きく変わっていますよね。
最終巻だけを見ても、「ひかる」が恭介と鮎川の本心に気がつき傷心するエピソードだけ、絵柄が少し異なるように見えます。
単行本化するにあたって加筆したそうなので、この部分がそれかもしれません。
1巻から5巻の後半、5巻の後半から10巻、11巻から最終話、15巻と16巻、最終巻ひかる傷心エピソード。
この辺りで絵柄をまとめられる気がしています。
これだけ絵柄がころころと変わる漫画作品は、私が読んできた中では他に例がありません。
絵柄が変わった理由や噂がネットに書かれていました。
私の考えている理由と同じものがあったりなかったり。
私の考えている内容は書きません。
事実かどうかなんて
ここまで色々と書いてきました。
間違えて解釈していただきたくないことがあります。
設定やネタをあれしたことが事実かどうか、それが良いか悪いか。
絵柄が大きく変わっている理由や噂が事実かどうか、それが良いか悪いか。
そんなことはどうでもいいのです、私にとっては。
事実かどうかなんてことは知らなくて良いことと思っています。
それらが事実であろうとなかろうと、私の『きまオレ』への評価は何ら変わらないですから。
上に長々と書いたことは、絵が上手くないな、あの作品の設定・ネタをあれしたんだろうな、絵柄が変化しすぎているなどと子どもながらに感じていた、あるいは後年感じた、ただそれだけのこと。
事実かどうか、良いか悪いかは全く考えていません。
鮎川派かひかる派か
鮎川派かひかる派か。
『きまオレ』の話になるとよく取り沙汰される話題みたいです。
私は友人と『きまオレ』話になったことがないですけど、意見や好みが分かれる気持ちもよくわかります。
2人とも魅力的なキャラクターですからね。
私は断然、鮎川派。
画像は先ほども貼ったものです。
画像右下のカットの鮎川がとてもかわいいと感じています。
この回は鮎川の嫉妬だったり独占欲だったりが出ていて、どうしても恭介視点で物語を読んでしまう私にとっては、たまらないエピソード、たまらない鮎川の行動です。
エピソード名は11巻の「心ジャックWAR!」。
先述した「さゆり」から、恭介もうあなたのところには来ないと宣戦布告された鮎川。
恭介からはきっと行くからバイト先の店で待っていてと言われたものですから、風邪を引いているにもかかわらずバイト先で待っているのに、恭介は一向に来ません。
不安になっている中、マスターが店に来て、恭介に似た男の子が公園で女の子とイチャイチャしているとマスターから聞かされ、鮎川は焦ります。
「さゆり」だと直感したのですね。
その頃、恭介は街角で体調が悪そうにしている「さゆり」から声をかけられ、「さゆり」をおぶったまま薬局などを探そうと街を右往左往していました。
その後「さゆり」は薬などよりお酒が飲めたい(!)などと言い始め、2人は店に入ってお酒を飲んでいました。
「さゆり」は恭介を酔わせた末に、公園のベンチに行って良い雰囲気を作り、キスをしてしまおうと計算しています。
鮎川は公園に駆けつけ、ベンチで恭介にキスを迫っている「さゆり」を見つけます。
ところが恭介は「さゆり」とキスをせず、むしろそこまで元気になったのならもう自分が付き添っていなくても大丈夫だね、人を待たせているから失礼するよと言い、公園から立ち去ります。
既に夜だったので、女の子を公園に残して立ち去るのもどうかと思いますが。
とにかく、様子を見届けた鮎川はホッとして気が抜けたのかその場にしゃがみ込み、そんな鮎川を恭介が見つけて抱き上げ、そうして画像右下のカットに至ります。
「まちきれなかったの」
なんて言われてみたい。
いえ、「ひかる」も意地らしくてかわいいんですけどね。
1980年代の空気感
『きまぐれオレンジロード』全18巻を古本で集めたのは、今から20年近く前のことのはずです。
20年も経っていないですかね、15年ほどかも。
当時どうして全巻集めようと思ったかは思い出せません。
古本屋でたまたま目に入っただけ程度のことかもしれないですね、理由を思い出せないくらいですから。
古本で単行本をコンプリートして、そこで何年ぶりかに『きまオレ』を読みました。
十何年、何十年ぶりかもわかりません。
始めから終わりまで、一度に通して読んだのはこのときが初めてだったはずです。
で、読み終えてものすごく感動をしました。
良い映画を観た後のような、それこそ『めぞん一刻』を読み終えたときと同じような感覚に襲われました。
物語が終わって欲しくない、物語世界にまだ留まっていたい、現実世界に引き戻されたくない、そういう感覚。
一言で言えば「切なさ」でしょうか。
本作は、舞台設定やキャラ設定もストーリーも、過ぎるくらい場当たり的、過ぎるくらいご都合主義です。
最終盤の「Like or Love?」のセリフに代表されるように、作者の言葉のチョイスは読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらいです。
作者の若気の至り感をそこかしこに感じます。
若気の至りしかないレベル。
価値観も今から見れば化石です。
中高生なのにお酒ばかり飲んでいて、遵法精神の欠片もありません。
現在あのような飲酒シーンを少年誌に掲載したなら問題になるでしょう。
しかし、作者の「まつもと泉」さんが、アシスタントさんが、編集さんが、恭介や鮎川たちキャラクターが、1980年代を精一杯生きていることを痛いほど感じます。
そんな彼らの姿を見せられ、読んでいて強烈に懐かしく、また羨ましくなりました。
画像は物語のラストです。
愛蔵版などでは最終話が少しずつ違っているそうですね。
見たことがないです。
また、先ほど少し取り上げた「想い出の樹の下で!」が最終話で良かったみたいな話もあるようです。
確かにあそこで一つ区切りをつけるのは大いにアリですね。
鮎川が赤い麦わら帽子を大切にしていた理由もわかる良いエピソードと思います。
しかし私は単行本の終わり方で良いと思っています。
他の最終回を知らないので、あくまで単行本の「想い出の樹の下で!」で終わるよりも、ですけど。
どうしてかと言うと最終の見開きページが好きだからです。
上の画像がそれ。
最終ページには絵とともにポエムが書かれていて、それがとても良いのですよね。
特に最後の「夢のような80's このときめきは……忘れない」の部分を読むと、臭い表現と思いつつも毎回じわっと胸に来るものがあります。
思い返すと私にとっても1980年代は他の年代と比べて特別です。
良い思い出がたくさんあるからだと思います。
なので「夢のような80's」の言葉に強く共感できるのですね。
『きまオレ』は1980年代でなければ描けなかった、1980年代をよく表している漫画作品と感じます。
1980年代を知らない人が80年代がどういう時代かを知りたければ、本作を読むと良いよと勧めたくなるくらい。
80年代の時代の空気感がしっかり含まれています。
1話から最終話の終わりまでを通して読んだところで、私の中で『きまぐれオレンジ☆ロード』が特別な漫画になっていました。
子どもの頃には考えられないことです。
最終回のその後
恭介と鮎川、ひかるがその後どうなったのか?
後日談が存在しているか知らないのですが、存在しているとしても私は知らなくて良いかなと思っています。
内容を知ったらがっかりする自信があります。
愛蔵版などの加筆部分も見たくありません。
公開作品の加筆・修正は極力避けるべきと思うのですよね。
しかも何度も手を加えるするなんて、野暮なことをなさいます。
素人ならまだしも、プロの漫画家は読者のために描いているはず。
原稿を公開したのなら、作者がどんなに納得がいかなくてもそれはそれで終わりにしてあげないと、登場人物たちも読者も可愛そうです。
おわりに
ということで、1980年代のジャンプ漫画『きまぐれオレンジ☆ロード』のブームが来て全巻読み返していますよの記事でした。