私の中で最高の漫画は『めぞん一刻』です。
「高橋留美子」さんの作品ですね。
何度読み返したかわからないくらい読んでいます。
記事作成現在も、これまで数え切れないくらいやって来ている、自分の中の「めぞん一刻流行り」の時期が来ています。
何度も読んでいるにもかかわらず、個人的なちょっとした新発見がありました。
目次
めぞん一刻
貧乏コミックのカテゴリは古本屋などで安価で購入した漫画を紹介しています。
今回は新たに購入したものではなく以前から所有していた漫画です。
タイトルは『めぞん一刻』です。
単行本は全15巻です。
15巻だけ当時新刊を購入して、ほかは全て古本で集めました。
なので色あせの具合もまちまちです。
8巻の劣化が特に激しい。
『めぞん一刻』とは?
漫画『めぞん一刻』についてです。
『めぞん一刻』(めぞんいっこく、ラテン文字表記: Maison Ikkoku[1])は、高橋留美子によるラブコメディ漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)誌上において、創刊号である1980年11月号から1987年の19号にかけて全161話が連載された。連載は雑誌の発行ペースに従い月刊から月2回へ、さらに1986年4月14日号から週刊へと変わった。
めぞん一刻のWikipediaには上記引用部のように書かれています。
私は連載当時スピリッツを購入していませんでした。
子どもでしたからスピリッツは大人向けすぎます。
連載開始当時は月刊だったのですね、そこから月2回、週刊へと変わっていったと。
確かに、序盤から中盤は各巻の絵柄の変化が激しく、作中の年月の経過が早く感じられるので、各話の掲載ペースが開いていた情報には納得です。
ジャンルはWikipediaには「ラブコメ・青年漫画」とあります。
作者は「高橋留美子」さん。
出版社は『小学館』、掲載誌は『ビッグコミックスピリッツ』です。
『うる星やつら』は『週刊少年サンデー』で連載されていましたから、留美子さんといえば小学館のイメージ。
あらすじ
物語のあらすじです。
舞台は東京と思います。
「時計坂」という架空の町に「一刻館」という名前の古い木造アパートがありました。
部屋の壁の様子から「木造モルタル造り」でしょうか。
その一刻館に新しい「管理人」がやって来るところから物語が始まります。
新管理人は「音無響子」と名乗る若く美しい女性でした。
読みは「おとなし・きょうこ」ですね。
そんな響子に住人の1人、当時浪人生の「五代裕作」が一目惚れをします。
あとは終盤まで2人のつかず離れずのドタバタラブコメディが展開されていきます。
常識人が一人もいない一刻館の他の住人たちや、管理人さんや五代くんの恋のライバルたち、魅力的すぎるサブキャラクターとの絡みも本作の大きな魅力になっています。
めぞん一刻の感想
『めぞん一刻』の感想を色々と書いていきます。
これから書くことは単なる個人的な感想です。
「書かれていることが事実とは限らない」ことにご留意ください。
間違えたことを書いている可能性は大いにあります。
理解を間違えていることもあると思います。
その際はご容赦ください。
便宜上、以降『めぞん一刻』のことを「めぞん」とだけ表記する場合があります。
人生ベスト
めぞんは私にとって人生ベストの漫画作品です。
とはいえ詳しい訳ではありませんで、ただ好きというだけです。
また、最近の漫画はほとんど読んでいませんし、過去の名作でも読めていない作品が多いので、色々と読めばもっと好きな作品があるかもしれません。
でも今のところはめぞんを上回る作品には今後も出会えないだろうと思っています。
むしろ教えていただきたいです、この記事を読んでくださってる皆さんに。
めぞん一刻を好きならこんな作品も好きなんじゃないという感じで。
『きまおれ』も『星をつぐもの』も『おれのサーキット』なども好きでブログで記事にしています。
この3つでは『おれのサーキット』が一番ですけど、それでもめぞんの方がという。
アニメから入った
私はアニメからめぞんに入った口です。
記憶が定かではないのですが、確かそうだったと思います。
アニメは8チャンネル、毎週水曜日の夜7時30分からでしたっけ。
夜7時から『Dr.スランプ アラレちゃん』や『ドラゴンボール』が放送され、その次にめぞんが放送されていたと記憶しています。
7時半からの時間帯は元々『うる星やつら』が放送されていました。
うる星の最終回まで終えて、じゃあ次は何が放送されるのだろうと待っていたところ、めぞんが始まった記憶がぼんやりとあります。
当時めぞんの存在を知らないで観始めたものですから、特別な興味を持って観てはいなかったですけど、次第に面白さを感じて、終盤に行く頃はドハマリしていました。
早く続きを知りたくて待ちきれず単行本の最終15巻だけを購入したことが購入のきっかけだったかな、はっきりとは覚えていませんがそうだったと思います。
終盤は村下孝蔵さんの「陽だまり」が神がかっていましたし、ピカソの楽曲も良い曲ばかりでしたし。
実は15巻は新刊を2度購入しています。
初めて購入した15巻は、学校で担任教師に取り上げられてしまい、謝っても返してもらえませんでした。
I先生は今もお元気でしょうか。
お会いしたら15巻をどうしたかをお聞きしたいですけど、覚えていないでしょうね。
今思うと担任が漫画を返さないことはそれはそれで問題ですか。
でも当時は自分が悪いから仕方ないと諦めて、なけなしの小遣いでもう1冊購入しています。
それが画像の15巻です。
当時は学生でお金もないですから、1〜14巻までは古本屋を巡って集めました。
お金はずっとないので進歩がないですね。
当時はまだ古本屋にも単行本がたくさん売られていましたから、集めること自体難しくありませんでした。
絵柄に驚く
初めて購入した漫画『めぞん一刻』の15巻を読んだとき、とてもビックリしました。
「絵柄」が思っていたものと違っていたからです。
15巻では特に画像の、怒ってほほを膨らませた管理人さんの絵に戸惑いましたね。
「これは管理人さんじゃない」とまで思ったものです。
漫画がオリジナルなんですけどね。
私はアニメから入っているので、てっきりアニメのような絵が漫画でも展開されているものとばかり思って読み始めてしまったのですね。
原作にもかかわらず「コレジャナイ感」を受けました。
さすがに今はそういうことを感じません。
もっと言うと、漫画も最終15巻から入っていますから、1巻を初めて読んだときもビックリしました。
画像のとおり1巻は「劇画」の香り漂うタッチじゃないですか。
15巻は線が細くなって、キャラクターを描く線の数も減ってシンプルに、線の角も丸くなっています。
画像の管理人さんの目つきも、1巻では目尻が上がっていますが、15巻ではややタレ目になっているように見えます。
個人的な好みは3〜4巻くらいの絵柄です。
時代感も徐々に変わる
連載開始は1980年の末で、最終回は1987年19号だそうです。
連載が進むに連れ、キャラクターだけではなく、街の様子や家電や家具、キャラクターたちの着る服なども変化していきます。
1巻はまだ1970年代の時代感が強く漂っています。
物語が進むにつれ、初期に受けた70年代の時代感も徐々に80年代のそれに変化していきます。
例えば「紙袋」です。
作品序盤から中盤の終わりくらいまでは、買い物帰りに紙袋を抱え持っている様子をしばしば見ます。
画像の2枚目のように序盤にも「ビニール袋」が出てくることは出てきますけど、1枚目のように他のほとんどの場面で紙袋が登場します。
10巻まではそうでしょうか。
それが11巻くらいからは紙袋の出番が減ってビニール袋がメインに変わっているように見えます。
紙袋からレジ袋へ。
1980年代半ばから後半当時、社会では紙袋よりも安価で効率的なビニール袋へと移行しつつある頃、または私たちの普段の買い物先が個人商店からスーパーマーケットへと変わっていく頃だったかななどと想像させます。
単に終盤は買い物帰りを描くシーンが少なかっただけかもしれません。
留美子先生がキャラクターたちの生活を丁寧に描いていたからこそ、そういう時代感が絵に反映されているのでしょうね。
意図したものかはわかりませんけど、当時の習慣や風俗まで描かれている。
キャラクターたちの生活や人生をも描いている。
そう感じます。
他の漫画家さんの作品にも時代感は必ず反映されているはずです。
私にとってはめぞんからそれが一番感じ取れるということです。
最近気づいたこと
生活を描かれていることに関連して、当ブログにめぞんの記事を書こうと思い至った出来事がありました。
個人的な「新たな発見」があったからです。
それは14巻と15巻です。
画像は14巻、五代くんが「七尾こずえ」から不意にキスをされ、その様子をたまたま管理人さんが目撃してしまった後です。
「どうしてキスなんかしたんですか」と五代くんを問いただしているシーン。
管理人さんの顔つきが怖いですが注目していただきたいところはそこではなく、管理人さんが着ている「カーディガン」です。
このカーディガンを覚えておいてください。
画像は15巻。
単行本は15巻が最終巻です。
画像は、紆余曲折の末に付き合うようになり、プロポーズも無事終わって、結婚へと具体的に歩み始めた五代くんと響子さんが、挨拶のために五代くんの実家のある新潟を訪れたエピソードです。
画像は時代感も季節感もよく出ていて、大好きなカット。
画像で五代くんがコートの下に着ているカーディガンを見てください。
14巻で管理人さんが着ていたものと同じですよね、これは。
同じ品だとしても、当然ながら女性と男性ではサイズが異なります。
このカーディガンが管理人さんの手編みであるなら、付き合ってから改めて同じものをサイズ違いで編んであげたことになります。
既製品であるなら、響子さんが改めて同じもののサイズ違いを購入したことになりますよね。
しかも2人はしっかりと身頃を右前と左前とで分けて着ていることも確認できます。
そういう細かいところまで気遣い、丁寧にしっかりと描いているのですね、留美子先生は。
カーディガンについてはつい最近気がつきました。
驚きと同時に留美子先生の作品への愛に、改めて感心させられました。
キャラクターは作品の中で生活しているのだと、読者に描かれていない部分までも想像できるように描いていらっしゃるのですね。
カーディガンについては、作者側から読者に気づいてもらおうとしている節は全く感じられません。
気づかれなくても描く、留美子先生のプロ精神の現れと私は思っています。
神は細部に宿る。
生活を描くこと
めぞんには人々の生活が描かれていることに関して。
例えば画像は9巻「パジャマでお邪魔」です。
五代くんが教育実習から下宿に戻ってきて、着替えをしながら考えごとをしている様子です。
同じく9巻の「ロング♡グッドバイ」。
管理人さんが洗濯中、管理人室の縁側で考えごとをしている様子です。
私たちは考えごとをするとき、その内容がそこまで重くなければ、考えようとして考えることだけに集中するよりも、日々のルーティンワークの中で考えがあれこれ浮かんでくることが多いと思います。
着替えをしていたり、歯を磨いたり、掃除をしたり、料理をしたり、洗濯をしたり、お風呂に入ったり、お化粧をしたり。
そういう普段の何気ない動作とともに考えごとをする様子がめぞんには描かれています。
キャラクターが着替えたり洗濯をしたり歯を磨いたりすることで、彼らが「自分と変わらない普通の生活」をしているのだということが、読んでいる私たちの中に「自然」に入ってきます。
それがめぞんの物語や登場人物に感情移入しやすい秘訣の1つだろうと感じています。
特に上に書いた五代くんが着替えをしているシーンは、他の同じようなテイストの漫画にもあまりない、物語とともに生活の流れがとても自然に描かれている名シーンではないかと個人的に思っています。
変わってこちらも9巻。
画像は「八神いぶき」です。
八神は五代くんが教育実習をした女子校の生徒の1人。
この女子校は管理人さんの母校でもあります。
画像右下のカット、ここだけでも八神の性格とか性質とかそういうものが伝わります。
授業中、おヘソを机につけるようにきちんと座り、すっと伸ばした右腕、これで彼女が育ちの良いのだろう、お嬢様学校的なところに通っているのだろう、ご両親から躾もしっかり受け、おそらく勉強もできるのだろう、クラスでも目立つ子だろうと想像できます。
また画像は掃除の時間。
右下の八神のカットを見ると、休憩時間や放課後、先生や親がいない場所では机に座ってしまうような子でもあります。
ナチュラルに掃除をサボって友だちと会話をしている様を見るに、彼女は決して大人しいだけの女の子ではないこともわかりますね。
オンオフの切り替えのできる子、ケジメを付けられる子とも言えるかも。
セリフだけでなく、授業態度や授業外のちょっとした所作からも、キャラクターの性格や生活の背景のようなものを伝えています。
八神いぶきというキャラクターの人間性を知るためにも良い2カットだと私は思っています。
擬音の平仮名
それと、留美子先生の「生活音」が個人的にとても好きです。
例えば先ほどの画像にある洗濯機の「ごとごと」ですね。
ゴトゴトと片仮名で描いても良さそうなところを平仮名で描かれています。
留美子先生は生活音など擬音を平仮名で描かれることが多く、彼女ならではの感性を感じますし、やはりここからも生活を感じさせます。
基本は平仮名、金属音などの硬質な音は片仮名なのでしょうか。
といっても初期の擬音は片仮名も多いのですが。
初期は洗濯機の稼働音も「ゴトゴト」ですし。
一般的に洗濯機が動いている様子を描く場合は、洗濯機の周りに二重曲線を入れることが多いのではないかと思います。
音無響子の名前の由来
「音無響子」というネーミングについて。
特に名字について。
子どもの頃はただ漠然と、音無は「0(ゼロ)」を意味しているのだろうと思っていました。
一刻館は1号室から6号室まであります。
- (2階)時計部屋への階段|4号室|5号室|6号室|トイレ・階段
- (1階)管理人室|1号室|2号室|3号室|トイレ・階段
各部屋の位置は上記のようになっているでしょうか。
1階は管理人室で音無響子が住み、1号室に一の瀬さん一家、2号室に二階堂望、玄関は2号室の目の前、3号室は原作では作品を通して空室で、アニメでは一時的に住人がいた気がします。
管理人室とは反対側の端に2階へと上る階段があり、階段を上がりきりU字ターンをした突き当りの左にトイレ、通路は右に折れて6号室に六本木朱美、5号室に五代裕作、4号室に四谷氏が住んでいます。
時計部屋は1巻に一度登場したきりのはず。
そういえば四谷さんは下の名前はわからずじまいでしたよね、確か。
ご存知のとおり、部屋の番号と住人の名字の数がほぼ合致していることが本作の大きな特徴です。
物語で3をあてがわれた三鷹瞬は一刻館の住人ではないので、そこが異なるくらい。
そのため私は、管理人室は1号室の隣りにあるから1の前で0、0を日本人的な名字にあてるために「音無」としたのではないかと当時は考えていました。
0を音無とするセンスたるや、と子どもながらに感心したものです。
ところが後年、その他の意味もあることに気がつきました。
響子さんは「音無惣一郎」と結婚して千草姓から音無姓に変わっています。
女子校時代、響子さんの地学を担当していた教師でした。
非常勤で。
惣一郎さんは結婚後半年ほど経ち、早くして亡くなっています。
夫の死後も姓を千草に戻さずにいます。
惣一郎さんの死因は作中で語られていなかったかと。
「管理人さんは未亡人」である。
このことが物語の大きな鍵の1つになっています。
主人公の五代くんは管理人さんとの恋を成就させるためには、彼女だけでなく、彼女の背後にある彼女の人生とも向き合っていかなければならないからです。
未亡人、夫に先立たれた妻。
2020年現在はほとんど使われなくなった言葉と思います。
- 夫に先立たれた→夫がいない→夫無し→音無
これが音無の名前の由来かなと感じました。
先ほど書いたように私がこのことに気がついたのは後のことです。
0が由来だと思い込んでいたこともありますし、当時はインターネットも何もありませんでしたから、アニメ雑誌や関連書籍を読みまくるなどしないと情報がなかなか入ってきません。
関連書籍はまず読んでいないこともあって、気づくのがだいぶ遅れました。
いえ、実際のところ何が正しい由来かは記事作成現在もわかっていません。
上に挙げた2つのどちらかが合っているかもしれませんし、2つとも合っているかもしれませんし、2つとも間違えているかもしれません。
あくまでも私がそう思っているというだけ。
それにしても「音が無いのに響いている」という名前は、矛盾しているのですがその矛盾が美しいと感じます。
管理人さんは性格が悪い?
しばしば言われていることですけど、管理人さんは正直、性格が良いとは言えません。
「悪い」と言い切ってもいいくらい。
わがままですし、心の声では口が悪いです。
いや、心の声だけでなく、口から発せられる言葉が汚いこともままありますか。
たまに本当にトゲのあるセリフも吐きますし。
態度も悪いですね。
五代くんの頭部に缶詰の缶を投げつけたり、中身の入った湯呑み茶碗をドアに投げつけたりしていますものね。
画像の朱美さんのセリフが、周りから見た管理人さんの印象として的確でしょうか。
何気に、朱美さんに序盤と終盤で同じようなセリフを吐かせているのですよね、留美子先生は。
男に手すらろくに握らせない、そのくせ独占欲が強く嫉妬深い、面倒な人。
五代と三鷹を両天秤にかけている時点で結構なレベルですから、本来、こずえちゃんや八神に振り回されている五代くんのことをとやかく言えないのではと思います。
そういった管理人さんの性格が最もよく現れているシーンは、9巻「パジャマとネグリジェ」の画像のシーンと私は思っています。
八神が一刻館に上がりこみ、五代くんの部屋で一夜を過ごそうとしたものですから、管理人として、あくまで管理人としてですけど、看過できず、管理人室に八神を泊めることにしたエピソード。
本当は「恋のライバル」としてなんですけどね、管理人さんは高校生の八神をライバルとは認めたくないのです。
本当は同レベルで張り合っているのですが。
「五代さんはね……‥私のことが好きなんです」
同じ布団で寝ることになったライバル同士。
管理人さんの気持ちを聞こうと挑んできた八神に対して、管理人さんが発したセリフがカギカッコ内です。
ここにこそ管理人さんの性格が最もよく現れたシーンと私は感じています。
彼は自分のことを好きだなどと、同じ人を好きである年下の女子高生に言ってしまえる感覚。
これはなかなかです。
朱美さんがああいう指摘をする気持ちもわかります。
管理人さんは、あくまでも五代が自分に惚れているから、あなたが彼にいくらアプローチを仕掛けても私の勝ちは揺るがない、無駄だから諦めなさい、というスタンスを貫くのですね。
このスタンスは、自分に正面から挑んできている恋のライバルに対して発する言葉としては卑怯に思いますし、はっきり「逃げ」です。
八神からすれば、管理人さんの五代くんに対する気持ちなんてとっくにわかっています。
その上で先輩はどうなんですか? と聞いているのに。
管理人さんが八神を子供とナメてかかっている部分も大きいのでしょう。
「私は別に」など誤魔化した管理人さんに対して、「五代先生の片想いなんですね、よかったあ」と八神。
先輩が五代先生のことを好きではないのなら、自分が五代先生を好きでい続けても先輩には何も問題ないですよね、ということです。
このやり取りは管理人さんの完敗でしょう。
翌朝、大切な竹箒の柄をへし折ってしまうレベルの敗北。
管理人さんが正直に自分も好きだと言ってしまえばそこで試合終了な話です。
でも言わない、言えない。
メタなことを書いてしまうと、管理人さんがそこで本当の気持ちを答えてしまうとそこで『めぞん一刻』も終わりますから、作者としてはおいそれと言わせられないのですけれど。
などと管理人さんの性格の悪さをあれこれ書きました。
しかし私は管理人さんの性格が悪いといっても「だから嫌い」には繋がりません。
むしろ好きな方です。
私自身性格が悪いので、他人の性格の悪さをどうこう言えないということが一つあります。
また、身も蓋もないことを言えば管理人さんは創作物です。
性格などがリアルではあり得ないくらいに尖っていなければ、読者の印象に残りませんしライバル作品より目立てません。
何よりめぞんは高橋留美子作品です。
登場人物がそんじょそこらの性格の尖り具合であるはずがないです。
管理人さんも例外ではありません。
あのような性格だからこそあの「もどかしさ」溢れる物語が成立している、ということもあります。
性格については五代くんにも言えるでしょうか。
五代くんも言うほど一途ではなかったと思いますので。
管理人さんはいつ五代を好きになった?
管理人さんはいつ、どのタイミングで五代くんを好きになったのでしょう?
私の中でずっと気になっている点です。
15巻「契り」では「ずっと前から五代さんのことが好きだったの」と言っていましたが。
「ずっと前」とは具体的にいつのことか、作品内のどこを指しているのか?
極端なことを言ってしまえば最初期から彼女は五代くんのことが好きでしょう。
本当に「忘れちゃった」くらいずっと前から。
しかし当時は三鷹さんのことも好きで、テニス教室には足繁く通い、デートの誘いに乗り、キスをしそうになるわ、三鷹さんにも嫉妬をするわ、一時は三鷹さんと結婚してやる! とまで思っています。
終盤とそれまでとでは、好きの度合いや意味合いが異なるかもしれませんが。
でも、そういった行動を起こす理由にも「五代くんのことが好き」な想いが根っこにあるはずなんですけどね。
こずえちゃんたちに振り回されてばかりの優柔不断な五代くんに対して、意識的・無意識的に自分に振り向かせようとして、ああいった行動をとらせているところはあるだろうなと思います。
そういった彼らの三角関係が決定的に崩れたきっかけは、三鷹さんのプロポーズです。
序盤から何度もしているのですけど、ここでいうプロポーズは単行本10巻ですね。
あることをきっかけに、五代くんと三鷹さんに惚れている令嬢「九条明日菜」の2人が、三鷹さんのマンションで三鷹さんと管理人さんが抱き合っているところを見てしまいます。
プロポーズどころか2人は既にデキていた。
そう思い込んだ五代くんは打ちひしがれた末に、おめでとうございます、もうあなたことをあきらめた、もう何とも思っていないと管理人さんに告げます。
五代くんの言葉にショックを受ける管理人さん。
私がいなくても大丈夫なんですねと五代くんに確認し、彼が大丈夫ですと答えたのを聞くと、彼女の頬には一筋の涙が。
同時期に三鷹さんから距離を置かれるかのようなハガキが届いたこともあり、どちらからも見放されたのかなと感じた管理人さんは、今までの反省と2人を忘れるために人生初の一人旅に出ます。
金沢でしたっけ。
五代くんは管理人さんが流した涙の意味を知りたくて、後を追いかけます。
管理人さんによって、何かあったときのために旅館の連絡先が書かれた旅の日程表が管理人室のドアに貼られてあったので、それを持ち出して。
旅先ではニアミスが続いてなかなか出会うことができませんでしたが、夜に泊まった旅館の、混浴の露天風呂で管理人さんとの再会を果たします。
疲労と逢えたことの安堵でのぼせる五代くん。
管理人さんが呼んだ旅館の人たちに運ばれますが、運ばれた先は彼の部屋ではなく管理人さんが泊まっている部屋でした。
気がついた五代くんは始め状況がわからず、しかし事態を把握すると今度は自分がどうやって運ばれたのかを想像してしまい、恥ずかしさのあまり部屋を逃げようとします。
そんな彼を呼び止めてお茶をすすめる管理人さん。
しばらく2人で時間を過ごし、いつしか窓辺に並んで夜風にあたっています。
そして、夜の海を眺める五代くんの横顔を見て、ホッとする管理人さん。
この瞬間、管理人さんは自分が五代くんのことを本当に好きと、身にしみて実感したのではないか。
正しい認識かはわかりませんけど私はそう思っています。
この後どうなったかは多くの皆さんがご存知のことと思います。
知らない方は漫画をご覧になってください。
「夢一夜」というエピソードです。
11巻でしたっけ。
このエピソードも良いのですよねぇ。
そしてとにかく「もどかしい」。
だがそれがいい。
好きなキャラクター
私がめぞんで一番好きなキャラクターは「朱美」さんです。
子どもの頃からずっと好きですね。
普段、一刻館にいるときはほぼ半裸の下着姿でタバコをばかばか吸い、お酒をぐびぐび飲んでいますし、「茶々丸」で働いているときも仕事をしないで一の瀬さんたち客と一緒になってお酒を飲みながら会話に参加してしまうし、五代くんの人生の邪魔ばかりをし、事を悪化させることもしばしばです。
ですが良いのですよねぇ。
先ほど貼った画像の、管理人さんに面倒くさい女などと言っているシーンのように、ところどころ核心を突くセリフがあったり、指摘も鋭かったり、五代くんや管理人さんの世話を焼くことも稀にあったり。
2人にとっては極稀に良い「姉貴分」でもあるのかも。
五代くんがこずえちゃんと別れたことも、五代くんが管理人さんと付き合うことになったことも、朱美さんの取った行動が直接的なきっかけになっていました。
終盤のキーパーソンの1人。
エピローグでは朱美さんのパートナーも明らかになります。
お相手はまさかのあの人!
いや、就業態度の良くない彼女をずっと受け入れていた人ですから、彼ほどの適任者はいないでしょうか。
セリフに「夫」と書かれていたと思うので結婚したのですね、良かったよかった。
四谷さんも一の瀬さんも良いですけどねぇ。
一刻館の住人は皆好きです。
犬の惣一郎さんも好き。
好きなエピソード
めぞんは好きなエピソードだらけです。
絶対的な1つを挙げることは難しいですけど、今の気分であえて1つ取り上げるとするならば、11巻の最終エピソード「弱虫」です。
この頃は既に、管理人さんは既に五代と三鷹の両天秤状態からは抜け出していて、五代一人を好きになっています。
しかし、五代のことを好きな「こずえ」ちゃんや「八神」との決着をつけねばなりません。
決着とは管理人さん的な決着ではなく、どちらかというと物語的に留美子先生的なものでしょう。
11巻の後半では、教師実習のために期間限定でクラスの国語を教えていた五代に惚れた八神が、実習期間を終えて縁遠くなった五代との結びつきを切らぬよう、再び積極的なアタックをし始めています。
管理人さんは初めこそ八神を子ども扱いをしていましたが、彼女の過ぎるくらいの積極さに巻き込まれるように、次第に同レベルで張り合うようになります。
独占欲が強いので。
年末も近づき、朱美の働く「茶々丸」でクリスマスパーティが催されることになりました。
そこにはなぜか八神もいます。
一の瀬さんたちが面白がって呼んだのでしょうか。
五代くんもパーティに参加の予定でしたが、アルバイト先の保育園の保母さんたちと飲むことになり、遅れるとの電話が入ります。
カウンター席にいた管理人さんは、一の瀬さんたちから保護する意味もあって、八神を自分の隣りの席に座らせます。
八神は既にお酒が入っているみたいで、恋のライバルである管理人さんに絡み始めます。
本当は五代先生のことが好きなんでしょ、好きなら好きとはっきりしなさいよ、好きじゃないふりをして愛されようなんてムシのいい話だわ、真っ向からはり合いましょうよ、あたしに負けるのが怖いのか、いくじなし、見栄っぱり、弱虫などと煽る八神。
右下の管理人さんが色っぽいですね。
八神の煽りに対して管理人さんは「こわい」と正直に答えます。
でもそれは恋に破れることがではありません。
「このままじゃ みんなウソになりそうで…こわい…」と言うのです。
言葉の伝えているところがわからなかった八神は、管理人さんの高校時代の恩師、八神の恩師でもある女性教師に管理人さんの言葉の真意を問います。
先生は、五代くんを好きになるということは亡くなった旦那さんへの愛が嘘になる、音無さんはそう思ってるのではないかと八神に答えました。
八神は管理人さんの心を知ります。
八神は管理人さんが五代を好きなことは前から気づいていました。
しかし彼女の口から彼女の心を聞いたことはこのときが初めてだったはずです。
直接的な言葉ではなかったものの。
この前のクリスマスパーティではちょっときつく言い過ぎたかな、元気づけてやろうと、学校帰りに一刻館へ向かいます。
一刻館の門で管理人さんを待つ八神、買い物から戻ってきた管理人さんを見つけるや、管理人さんに「弱虫」と叫んで駆け出し、彼女とのすれ違いざまにもう一度「弱虫」と叫ぶのでした。
この回が個人的にとても好きです。
管理人さんは、好きで好きでたまらなかった亡き夫と同じくらいに五代くんのことを好きになっているのだと、他人の口から語られる回。
私たち読者も、管理人さんにとって「好き」とはそういう意味が含まれるのだと改めて感じ入る回。
言い過ぎたことを反省し励ましてやろうとして採った八神の行動も、いかにも彼女らしくて良いです。
八神から「弱虫!」と言われた管理人さんが、正面に顔を戻した後の「…… ……」の、言葉にはならない吹き出しもとても良い。
意味のある三点リーダで、しみじみと味わい深いです。
この回は留美子先生がキャラクターたちを深く理解し愛しているからこそ生まれた名エピソードと思います。
言ってしまうと、八神なんて二階堂くんと共に物語を引き伸ばす「装置」としての登場だったはずです。
テコ入れ。
そんな彼女でも、だからこそかもしれませんが、より思い切って管理人の内面に踏み込ませることができたとも言えるでしょうか。
こずえちゃんではちょっと無理な役どころだったと思います。
他、もちろん惣一郎さんとのお別れをした最終話も、2人が初めて出会った場所に戻るエピローグもとても良いです。
あの神がかった最終盤がなければ、本作が現在ほどの評価を得られなかったことは間違いないですから。
そういえば、先ほど書いたスーパーの買い物袋がレジ袋になっていることを、上の画像からわかりますね。
たまたまレジ袋だったのかもしれませんけど。
おわりに
ということで、私が人生ベストの漫画『めぞん一刻』で新たな発見があったのでそのご紹介と、どこが好きかをとりとめなく書いた記事でした。
何だか書いた後でも、本当に伝えたい本作の魅力を伝えられていないもどかしさが残ります。
私の文章力ではこれが限界でした。
本文中にも書いたとおり、理解を間違えている場合は申し訳ありません。