NHKの漫画家の創作風景を撮るドキュメンタリー番組『浦沢直樹の漫勉neo』。
2024年3月18日は「(19)水木しげる」が放送されました。
水木しげるさんは誰しもが知る巨匠の一人、私も子どもの頃から漫画やアニメを見ていた漫画家さんです。
視聴した感想を書いています。
目次
浦沢直樹の漫勉neo
テレビ番組『浦沢直樹の漫勉neo』についてです。
普段は立ち入ることができない漫画家たちの仕事場にカメラが密着し、最新の機材を用いて「マンガ誕生」の瞬間をドキュメント。その貴重な映像を元に浦沢直樹が同じ漫画家の視点から切り込んでいきます。
番組の公式webサイトには上記引用部のように書かれています。
放送日時
放送日時について。
不定期でしょうか、公式サイトを見たかぎりわかりませんでした。
今回ご紹介している「(19)水木しげる」の放送は2024年3月18日00時05分からでした。
17日の深夜ですね。
放送局は『NHK総合』。
出演者
出演者について。
漫画家の「浦沢直樹」さんがプレゼンターとして出演されています。
浦沢さんは言わずもがな『YAWARA!』や『20世紀少年』、『MONSTER』などを描いた方ですね。
ナレーションは俳優の「葵わかな」さん。
連続テレビ小説の『わろてんか』に主演なさった方ですね。
他、取材対象の漫画家さんたちです。
第19回「水木しげる」
『漫勉neo』としての第19回は「水木しげる」さんでした。
水木さんは2015年に亡くなられています。
なので、水木さんのアシスタントを経験された「池上遼一」さんと「森野達弥」がゲスト出演して、当時の様子を語っていました。
また、水木さんが使っていた資料や原稿を、ご家族が提供してくださり、底からも話が広がっていました。
水木しげるさん
「水木しげる」さんについて。
私より皆さんの方が詳しいでしょう。
漫画を読んだことがなくても、日本人なら誰もが知っているくらい有名な方です。
水木さんは『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』、『悪魔くん』などを世に残しています。
水木さんの妻「武良布枝」さんによる自伝エッセイ『ゲゲゲの女房』は、朝ドラにもなりました。
水木しげるさんの思い出
私の、水木しげるさんに関する思い出です。
子どもの頃から水木作品が好きでした。
物心がついた頃には普通に鬼太郎のアニメを観ていました。
小学校の頃の私は『コミックボンボン』派で、ボンボンには鬼太郎が連載されていましたから、漫画も読んでいました。
小学校の教室に置かれていた本、図書室だったかもしれませんが、水木さんが手掛けた世界の妖怪や悪魔などを紹介する本がありました。
そちらも『はだしのゲン』や『ひみつシリーズ』などと並んで愛読していました。
しかし、中学校に上がると自然とボンボンを購読しなくなり、小学校の頃から読んでいた『週刊少年ジャンプ』など少年誌への比重を増やしていき、水木作品に触れる機会も減っていきました。
中学時代に平成版の鬼太郎のアニメを模写した記憶がありますので、全く触れていない訳でもないですが減ったのは間違いないです。
高校以降はほぼ触れていません。
再び水木作品に触れたのは、2008年に放送されたアニメ『墓場鬼太郎』、それと前述した朝ドラ『ゲゲゲの女房』です。
同時期から『総員玉砕せよ!』や『ラバウル戦記』など戦記ものを、図書館や古本などでちょいちょい読んでもいます。
地元の図書館が結構その辺を置いてくれていて、ありがたかったですね。
記事作成現在、水木作品で手元にあるのは「南方熊楠」の伝記『猫楠』だけです。
南方熊楠は昔から好きな偉人なので手元にあります。
もっともこの漫画はシモばかりで、そういうところが好きな訳ではないのですけど。
でもそういうところを含めて熊楠でしょうからね。
手元にある猫楠しかないと書きましたが、実はこの作品の他に水木漫画の「本」を購入したことがなかったかもしれません。
ボンボンはありますけど、単行本・文庫などはないはず。
私の水木しげる歴はこんな感じでしょうか。
感想
『漫勉neo』第19回は「水木しげる」回を視聴した感想です。
精細でハイコントラストな背景
水木漫画というと、精細かつハイコントラストの背景画が特徴的です。
水木作品を語る上でもよくあがる話題と思います。
そこに鬼太郎などのキャラクターをぽんと置くことで、キャラに説得力をもたらしている、というようなことを浦沢さんが仰っていたかと思います。
原文ママではありません。
ベタ
ハイコントラストの原因の一つが「ベタ」。
思い切って塗りつぶして漆黒を生むことで背景がハイコントラストになり、あの水木世界が創り出されているようでした。
池上さんたちは、あのベタは「墨汁」を少し水で薄めたものと言っていました。
ペンは「Gペン」しか使っていなかったと。
それと定規を使っていなかったみたいです。
確かに、水木漫画はわかりやすく、定規で引いた線ではないですよね。
水木さんは漫画を描くかたわら、昔の調布の風景を写真にたくさん収めていて、それをアシスタントに描かせていたそうです。
今後漫画に使うために描き貯めてもいたそうで、人物が入りそうなところだけを抜いた風景画がたくさん出てきました。
背景の思い切ったベタは、水木さんの写真にある「黒つぶれ」を、そのまま再現した結果のものも多くあるようです。
逆に、絵に描くときのことを計算に入れて、写真撮ることもあるようでした。
また、人物に陰影をつける思い切ったベタは、アメコミの影響もあるみたいでした。
水木さんとアメコミは距離の遠いイメージだったので意外でした。
確かに、特に貸本時代の思い切ったベタの入れ方は、番組で映された水木さんの所有するアメコミの人物画に似ていました。
点描
水木さんの絵の大きな特徴の一つに「点描」があります。
番組では古い家の土間が点描の濃淡で描かれていて、そちらを浦沢さんが絶賛していました。
何とも言えない濃淡だと。
森野さんは新人アシスタントはまず点描から覚えると仰っていたでしょうか。
そのくらい水木絵のベースになるもので、点描ができないと仕事にならないのでしょう。
確かに水木漫画の背景には点描が多く使われていた印象があります。
キャラクターでも、例えば「砂かけ婆」の顔の、特に目、それと「ぬりかべ」などは点描が多用されていた印象です。
私はアニメから入ったので、後に漫画で見たときの砂かけ婆の点描には驚きました。
砂感があり恐ろしく感じたのでしょう。
そう言えば、ボンボンの巻末だったか、読者投稿コーナーがありまして、そこに鬼太郎の点描画を投稿した方がいらっしゃいました。
同世代でこんな上手い人がいるのかと、その絵に衝撃を受けて、その投稿された絵を真似た記憶が今、蘇りました。
あの空気感は描けない
ファンからの評価の高い初期の名作『大海獣』。
この中の一コマの背景画、これを浦沢さんたちが絶賛していました。
そのコマはジャングルに流れる河を、鬼太郎や調査員と思われる人間たちを載せたボートが進んでいる様子を収めたもの。
ラフな線で波や水面とそこに映る草木を表現していて、鬱蒼とした木々のジャングルが奥行きをもたらしていて、それらが息づいているようだを。
技術的なこと以上に、あの南方のジャングル感は水木さんにしか描けないのでしょうね。
水木さんはニューギニア戦線に出征していますから。
ジャングルでたくさんの人間の生きタヒを見てきたでしょうし、ご自身も片腕をなくす大怪我をしていらっしゃいます。
それと同時に、現地での生活の中で多くの動植物に触れたり匂いを嗅いだり食べたりしたでしょうし、たくさんスケッチをしたでしょう。
戦記ものの漫画にも描かれていましたが、現地の人たちとの交流もあったみたいですし。
そういう人の描くジャングルの風景画は、ちょっとやそっとじゃ真似できないだろうと想像します。
言いたいことの齟齬があった?
観ていて強く引っかかったシーンが一つありました。
背景画に関して、池上さんと浦沢さんとで少し齟齬があったように感じられたのです。
水木さんが緻密な背景を描くことになった理由。
これについて池上さんは、アシスタントが背景を描くにあたって、水木さんの「世界観」を再現できない(水木さんの望む画にならない)から、緻密な背景を描くことを選んだのでは、ということを仰りたかったようです。
写真そっくりに描くのであれば、その場合どのアシスタントさんが描いても大きな差が出にくく、製品(漫画)を安定させられるニュアンスと私には受け取れました。
そんな池上さんの意見に続いて浦沢さんは、漫画のデフォルメされた、いわゆる「キャラクター」との対比として、引き立たせるため・リアルにするために高精細な背景を描く「メソッド」を、水木さんはあの時代に生み出したことにフォーカスを当てていました。
これはどちらが正しいという話ではなく、水木しげるの漫画制作を語る上で意味のある「2つの異なる発見」を、それぞれが語っているように私は見えました。
しかし、池上さんの話を受けて浦沢さんは、池上さんも自分と同じことを言っていると、1つにまとめて語ってしまいました。
浦沢さんが池上さんの意見を聞いていなかったのか、理解していなかったのか、編集されたのか、それはわかりません。
2つの意見を別のものとして、それぞれもう少し詳しく聞きたかったです。
もったいなかったなと観ながら思いました。
私の理解が足りないだけかも、理解を間違えているだけかもしれないのですが。
というか私が間違えている可能性の方がずっと高いでしょう。
間違えていたら申し訳ありません。
キャラクターは天性のもの
鬼太郎などのキャラクターは水木さんの天性だと、浦沢さんたちが評価していました。
「目玉おやじ」とか「ねずみ男」とか「猫娘」とか「子泣き爺」とか。
キャラクターにどこか「可愛らしさ」がある。
浦沢さんが言うには、キャラクターのかわいいは作者本人のかわいさなんだよね、ということを仰っていました。
水木さんの性格が反映されていると。
なるほどそれはそうかもしれないですね。
手塚治虫さんでなければアトムは生まれない、藤子・F・不二雄さんでなければドラえもんは、藤子不二雄Aさんでなければ喪黒福造は、鳥山明さんでなければアラレちゃんは生まれない。
当たり前と言えばそうです。
池上さんは、「さいとう・たかを」さんが売れていた時代に、鬼太郎のようなキャラクターにこだわるところが凄い、と仰っていました。
時代的な潮流に流されることなく、自分を貫いてキャラクターを描けるかということになると、これはなかなかできることではないのでしょう。
そこに水木漫画の普遍性も見い出すこともできそうで、興味深いキャラクターのお話でした。
勧善懲悪のヒーロー化
水木さんは、鬼太郎を正義のために戦わせることに疑問を持っていたみたいです。
勧善懲悪のヒーロー化を嫌っている。
これは昔、NHKの特集番組だったかで、水木さんが語っていた内容と思います。
映像に観覚えがあるので、そのときのVTRを使いまわしたものでしょう。
「バトルもの」にして欲しいと、『少年マガジン』でしょうか、その編集者から言われて、鬼太郎をバトルものにしたようです。
少年漫画雑誌にありがちですよね、バトルもの。
VTRで水木さんは、正義のために戦うなんて滑稽だと仰っていたでしょうか。
そんな何の報酬・見返りもなく正義のために戦う鬼太郎に対して、嘲るねずみ男という存在がいないと、物語が成り立たない的なことも仰っていました。
原文ママではありません。
浦沢さんたちは、水木さんがそういう考えを持っている理由は、彼が◯争を経験したからだろうと考えているようです。
彼らの世代は、戦前と戦中と戦後、価値観の大転換を経験していますから、正義なんてものは状況や立場などでころころと変わるものだと知っているという。
これは本当にそのとおりなのだろうと思います。
でもそれと同時に、ヒーロー化なんて嫌だから描かないという選択を採らないところもまた、水木さんらしさかなと私は感じました。
映像を残す意義
鳥山明さんが2024年3月1日に亡くなりました。
亡くなったことを受け、「鳥山明歴」などブログに記事にしました。
『漫勉』は作家さんの映像に残す作業を今以上に推し進めていただきたいなと、鳥山さんの訃報と今回水木しげる回を観て改めて思いました。
作画風景を撮られることを好ましく思わない人やそもそも映りたくない人もいらっしゃるでしょうから、拒否されたのなら仕方ないですけど。
『漫勉』は、プロの漫画家さんがプロの漫画家の技術を批評する番組です。
『漫勉』のしていることは文化的な意義があると思えます。
漫画はもはや日本国内に留まらず、世界的な人気を獲得していることもありますし。
鳥山明さんが漫画を描く様子や、漫画について語っている様子を映像で観たかった人はとても多いのではないかと思います。
私もその一人。
2023年に亡くなった『銀河鉄道999』の「松本零士」さんや『コブラ』の「寺沢武一」さん、2021年に亡くなった『ベルセルク』の「三浦建太郎」さんの漫勉も、私は観たかったです。
今は「高橋留美子」さんや「あだち充」さん、「ゆでたまご」さん、「荒木飛呂彦」さん、「冨樫義博」さん、「松本大洋」さん等の漫勉を切望しています。
年齢の高低を無関係に、人間、いつどうなるかわからないですからね。
「安彦良和」さんの回なんて本当感激しました。
よくぞ引き受けてくださったと。
見逃し配信あります
NHKとEテレの番組は見逃し配信があります。
AmazonからでもNHKオンデマンドの契約が可能で、同「Fire TV」では『NHK+』を視聴できます。
NHK+だけでなくTVerやU-NEXT、DAZNも。
おわりに
ということで、Eテレ『浦沢直樹の漫勉neo』「水木しげる」回の放送を観た感想を書いた記事でした。