黒澤明監督作品の『生きる』なる映画が、2024年1月8日成人の日にNHK総合で放送されました。
視聴した感想をあれこれ書いています。
以下、ネタバレ要素を含みますから、バレても構わない方のみ下にスクロールしてください。
目次
映画『生きる』
『生きる』という映画がNHK総合で放送されました。
巨匠、黒澤 明監督。代表作の一つ『生きる』。余命僅かと知った男が、人生の意味を見いだしていく。黒澤ヒューマニズムの頂点とされ、今も世界中で愛される傑作をお楽しみください。
NHKのPRページには上記引用部のように書かれています。
同作品のWikipediaがあります。
放送日時
放送日時です。
2024年1月8日の13時05分から。
放送局はNHK総合。
監督など
本作の監督について。
- 監督:黒澤明
- 脚本:黒澤明、橋本忍、小國英雄
- 製作:本木莊二郎
- 出演者:志村喬、小田切みき、藤原釜足、日守新一、金子信雄
- 音楽:早坂文雄
- 撮影:中井朝一
- 編集:岩下広一
- 制作会社:東宝
一部です。
感想
映画『生きる』を観た感想です。
以降、ネタバレがあります。
大丈夫な方のみ下方スクロールをお願いします。
一度しか観ていない
私は本放送を一度しか観ていません。
なのでセリフを聴き逃していたり、セリフや設定を忘れてしまったり理解を間違えていたりしている可能性があります。
その点ご留意ください。
放送日に意図を感じて嫌だ
放送日は2024年1月8日でした。
2024年1月8日は「成人の日」です。
そこに本作が放送されたことに、NHKの意図というか意味を感じられて嫌でしたね。
どういう意図・意味かというと「新成人たちよ、目的をもって、世のため人のために生きよ」ということです。
そういうのいいからと思いました。
もちろん劇中主人公である課長のような生き方ができれば、それはたいへん素晴らしいことでしょう。
でもそういう世のため人のためでなく、人はただ生きていたっていいのではないかと私は思います。
課長のように生きたければ生きればいいけど、あの生き方が正しいかのように、その価値観を押し付けているように感じられるNHKの番組編成が嫌ですね。
その出しに黒澤映画を使った感が。
NHKにその意図があったかは知りませんけど、私にはそう感じられたということです。
うがった見方が過ぎるでしょうか。
価値観の違い
課長のような生き方、これをどう捉えるかは色々あってよいと思います。
私は先ほど書いたように、世のため人のためでなく、人はただ生きていたっていいのでは、と感じました。
根拠は何もないですけど、本作が公開された1952年当時より2024年現在の方が、私のような考え方をする人は増えているのではないかと思います。
1950年代(昭和20年代)の価値観と2024年現在のそれとの違いがあるのではと。
特に◯後間もない日本は混迷期であったことから、世のため人のために働くことが今よりずっと重要だったのだと思います。
国家・国民が一丸となって、復興しよう・経済的に発展しようとする考えが相当に強かったと想像されます。
いえ、今だってその考えは重要なことと思いますし、他国に比べれば今なお日本はその意識の強い国とも思います。
ただ現在の日本は、当時よりもっと個人主義的な考え方が強いように感じられます。
核家族化が進み、過疎過密化が進み、何世代も同じ家・同じ土地に住むことが少なくなり、終身雇用が減ってきていることは色々なところでまま聞かれることですので。
それらは人間関係の希薄さにつながるでしょうし、それは個人主義が強まることにもつながると思われますから。
面白かった
本作そのものは面白かったです。
面白いと書いてしまうと語弊があるかもしれません。
考えさせられる内容でした。
私が本作主人公の課長のようにガンに侵されたとき、どういう言動を取るだろうかと考えました。
課長がしたように、自暴自棄になって普段ならやらないことをするところまでは、同じように行動するだろうなと思います。
放蕩に虚しさを覚えるところまでも、もしかしたら同じかもしれません。
しかしその後、人のために公園を作ろうとするところまで行動できるかというと、これは絶対に真似できないだろうと思いました。
彼の行動は立派とは思いました。
よい作品とも思いました。
しかし深く感動するまではしませんでした。
通夜の場面が長すぎた
そこまで感動できなかった理由は何だろうと考えました。
先ほど書いたようなNHK側の意図を感じたことがあってか、距離を取って本作を観てしまったことはあるかもしれません。
素直に観られなかった可能性は大いにあります。
課長の生き方は素晴らしいと思いつつも、価値観の違いがあって心からの賛同はできないこともあったかもしれません。
ここまでは今まで書いたとおりです。
もう一つ思いつくことがあります。
それは「通夜の場面が長すぎた」と感じられたことです。
公園ができて、課長が亡くなって、その通夜の席で同僚たちが彼の行動の激変についてあれこれと語って〜、という構成だったと思いますけど、個人的にはその構成があまり上手く行っていないように思えました。
黒澤明監督の「観客を感動させようとする意図」が見えすぎるように受け取れたのです。
例えば、近所のおばちゃんたちが感謝を伝えていたりだとか、警察の方が夜に一人でブランコを漕いでいたなどの発言だとかのシーンに、それを感じ取れました。
観ているこちらは、通夜になった段階で概ね察せられているので、通夜でのやり取りに「冗長さ」を覚えたのでしょう。
せっかく課長さんは多くを語らずに去ったのですから、構成の面でももっとサラッと、淡々と彼の行動の素晴らしさが伝わるようにしてもよかったのではと。
無法松の一生
本作を観ていてある映画を思い出していました。
それは『無法松の一生』です。
この二作品はどこか共通したものがあるように思えます。
ここから他作品のネタバレがあります。
大丈夫な方のみ下方スクロールをお願いします。
私は無法松の一生を、三船敏郎さんバージョンしか観たことがないのですが、この三船版の無法松が邦画では一番好きです。
洋画を含めても一番と言っていいかも知れません。
三船版無法松は1958年公開だそうですので、本作の6年後に公開された映画ですか。
小倉では評判の無法者で、自身はずっと貧乏暮らしをしてきた松五郎が貯金をしているなんて、それも赤の他人の母子のために。
夫人からもらったご祝儀なども、まるで宝物のように大事に仕舞ってありました。
松五郎が貯金をしているなんて周りの人たちは知りませんでしたし、観客にも一切わからないように脚本が描かれていて、最後の最後にそれが(観客を含めた)皆にわかる、この構成が私は大好きです。
それまでだって何十年(?)と献身的に夫人と子を支えてきたのですよ、松五郎は。
でも当の松五郎にとってそれは当たり前のことで、愛情などと思っていなかったのかもしれません。
せめて形に残るものをと、誰にも言わず、お金を貯めていたのでしょう。
夫人は、お金なんかより(ありがたかったでしょうけど)、自分たちのためにあれこれとしてくれた献身こそが、松五郎の愛情だったのだと感じたはずです。
そういう、どうしようもなく不器用な松五郎に対して、夫人も周りも観客も涙するのですねぇ。
『無法松の一生』の構成の素晴らしさを知っているだけに、『生きる』の構成が冗長だったり感動の押し付けだったりに見えてしまったのだと思います。
志村喬
課長を演じた「志村喬」さん、彼の演技が素晴らしかったです。
まさに「迫真」でした。
私は志村さんの演技を今回初めて観たと思います。
ところどころ聞き取りにくいセリフがありましたけど、それはガンを患っていることで気落ちしていたり体調が優れなかったりという演出・演技なので仕方ないでしょう。
と同時に、私の目には志村さんの迫真さが少々「過剰」にも映りました。
ただこれは私の問題でしょう。
私は幸運にも大きな病を経験していないので、タヒというものが現実に迫ったことがなく、そういう人の気持ちがわからないのだと思います。
ガンは当時は今よりもずっと不治の病感が強かったはずですから、切実さが違うでしょうし。
演出に対する価値観や捉え方の違いもあるかもしれません。
おわりに
ということでNHKで映画『生きる』が放送されたので、視聴した感想を書いた記事でした。
私の認識や理解が間違っていたら申し訳ありません。
↓Amazonで観られるみたいです。
気になる方はぜひ。