Eテレのドキュメンタリー番組『浦沢直樹の漫勉neo』が再び始まりました。
2023年シリーズですか。
2023年2月4日には「手塚治虫」さんの回が放送されました。
漫勉としては珍しく、あるいは初めてかもしれませんけど、亡くなられている方を取り上げている回になりました。
視聴した感想を書いています。
目次
浦沢直樹の漫勉neo
テレビ番組『浦沢直樹の漫勉neo』についてです。
普段は立ち入ることができない漫画家たちの仕事場にカメラが密着し、最新の機材を用いて「マンガ誕生」の瞬間をドキュメント。その貴重な映像を元に浦沢直樹が同じ漫画家の視点から切り込んでいきます。
番組の公式webサイトには上記引用部のように書かれています。
放送日時
放送日時について。
毎週木曜日01時00分から01時50分までです。
水曜深夜ですね。
これまでは22時辺りからのスタートだったと思いますけど、2023年シーズンは深夜の放送です。
これまでのシーズンでは再放送がありましたが、再放送の予定は、記事作成現在、番組サイトを見る限りなさそうです。
出演者
出演者について。
漫画家の「浦沢直樹」さんがプレゼンターとして出演されています。
言わずもがな『YAWARA!』や『20世紀少年』、『MONSTER』などを描いた方ですね。
ナレーションは俳優の「葵わかな」さん。
連続テレビ小説の『わろてんか』に主演なさった方ですね。
あとは、毎回取材する先の漫画家さんたちが出演者になります。
第15回「手塚治虫」
『漫勉neo』としての第15回は「手塚治虫」さんの放送でした。
手塚治虫さんは1989年に亡くなられています。
あので、生前NHKが手塚さんを特集した番組の映像や当時の原稿を、当時のアシスタントさんと一緒に観て、手塚さんの漫画制作の現場や手塚さんの漫画の描き方を探っている手法が採られていました。
亡くなられた方を取り上げるのは『漫勉』史上初ではないでしょうか。
少なくとも私が観てきた中では一度もなかったことと思います。
手塚治虫さん
「手塚治虫」さんについて。
こちらは紹介しなくても皆さんご存知ですよね。
『鉄腕アトム』や『火の鳥』、『リボンの騎士』、『ブラックジャック』、『どろろ』、『アドルフに告ぐ』等々、名作を世に生み出した「漫画の神様」です。
手塚治虫さんの思い出
と言いつつ、私は手塚作品をあまり通って来なかった気がしています。
いえ、『鉄腕アトム』や『三つ目がとおる』、『ジャングル大帝』といったアニメは、当時の子どもの多くがそうであったように、幼少期にテレビアニメで観ました。
なので知らずのうちに見知っていた人ではあります。
私が小学校に上がってからは、今までほとんど作品に触れませんでした。
小学生の頃は例えば『ドラえもん』など「藤子不二雄」さん、あるいはジャンプ漫画が主流で、手塚さんは既に「古い人」の印象が強かったです。
当時は「鳥山明」さんや『ストップ!!ひばりくん!』の「江口寿史」さん、『さすがの猿飛』の「細野不二彦」さん、「高橋留美子」さん、「あだち充」さんといった世代の台頭で、劇画も古くなっていた時代と思いますから、劇画よりも前の人たちはという感じなのでしょう。
子ども当時にそんなことは気づけないので、これは今そう思っただけですけど。
中学校以降大人になっても『ブラックジャック』や『アドルフに告ぐ』などを読もうと思わず、そのままここまで来てしまいました。
かと言って完全にノータッチだったかというと、そうではありません。
例えば祖父母の家に『鉄腕アトム』の漫画がなぜかあって、遊びに行ってはそれを読んでいましたし、アニメ映画だったと思いますが『火の鳥 鳳凰編』も観ました(意味がさっぱりわからなかったですが)し、PS2のゲーム『どろろ』もプレイしました。
ところどころで手塚作品や関連商品に触れてはいます。
祖父母の家にあったアトムは最終巻まで揃っていたのかがわからないのですよね。
長い年数放置された、ボロボロのアトムが出てきたことは覚えていて、衝撃的だった思い出はあります。
あれが最終巻だったのか、既に記憶は定かでないですが、あの衝撃的なコマは今でも脳裏に浮かべられます。
しかし大人になってからも漫画を読み込むことはほとんどしてきませんでした。
前出のゲームの『どろろ』をプレイして原作が気になって読んだこと、あとヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を読んだ後に、やはり気になって『ブッダ』を読んだくらいでしょうか。
先ほど書いた『ブラックジャック』は本当、全然触れませんでしたし、『リボンの騎士』も内容を全く知りませんし、他の短編作品にもほぼ触れていないはずです。
読んだり観たりしてはいるものの、手塚治虫を語れるほどは知らない、というのが私の手塚治虫さんの思い出です。
感想
『漫勉neo』第15回は「手塚治虫」さんの放送回を観た感想です。
亡くなられている
先ほどから何度か触れていますように、手塚治虫さんは既に故人です。
1928年11月3日に生まれ、1989年2月9日に没しています。
60歳だったそうです
1989年2月というと平成時代になってすぐですね。
『漫勉』は浦沢直樹さんがゲストの漫画家さんと、ゲストの漫画家さんの作画風景を収めた映像を一緒に観て、漫画論や作画のこだわりをああだこうだと話す番組です。
故人を扱うのは、おそらく私が観てきた中では一度もありませんでした。
アシスタント3名
故人のため、当時アシスタントをしていた、現在独り立ちしていらっしゃる漫画家さん3名が出演していました。
当時の原稿なり映像なりを一緒に観ながら、様子を語っていただこうということですね。
アシスタントさんは『いとしのエリー』の「高見まこ」さん。
『手塚治虫アシスタントの食卓』の「堀田あきお」さん。
『キスより簡単』や『アイムホーム』の「石坂啓」さん。
そりゃそうだよな
観ていて思ったことは「そりゃそうだよな」ということです。
浦沢さんがある月のスケジュール表に注目されていました。
そのスケジュール表には連載誌、あるいは出版社かもしれませんが、それがびっしり書き込まれていました。
「チャンピオン」と「マガジン」、「ビッグコミック」、「希望の友」、「リリカ」、「マンガ少年」とありました。
チャンピオンは『ブラックジャック』、マガジンは『三つ目がとおる』、ビッグコミックは『MW(ムウ)』、希望の友は『ブッダ』、リリカは『ユニコ』、マンガ少年は『火の鳥』だそうです。
これだけの大作たちを手塚さんたちは同時進行で描いていたみたいです。
アシスタントを含め10名と言っていたでしょうか。
浦沢さんは今では10人でも無理だろうと仰っていたかと思います。
私はこのスケジュールを見てそりゃ早タヒしてしまうよ、と思いました。
いや、むしろよく60歳まで生きられましたね、と思います。
そう言えば、今書いていて思い出しました。
『ユニコ』は幼い頃に、アニメーションで観た記憶がある気がします。
おぼろげな記憶が。
アシスタントの青春
先ほどから書いているとおり、故人を扱うので作画風景は映像ではほとんどありませんでした。
なくはなかったですけど、少なかったです。
貴重な生原稿を持ってきて、浦沢さんを始めとした4名でそれを見、このときはああだったこうだったと語り合っていました。
例えば、ペンは手塚さんもスタッフも「カブラペン」を使っていたとか、枠線までカブラだったとか、アシスタントに指定するカケアミの種類がどうとか、全アシが全てのカケアミを手塚さんの望むレベルにできるようにしていたとか、手塚さんはネームを描かず原稿に描いていたとか、下描きもそこそこだったとか、手塚さんの筆圧が強かったとか、アサヒグラフを用紙の下に敷いて描いていたとか、小指の外側ではなく小指球辺りを机の置き支点としていたとか。
まぁ色々な話をなさっていました。
原稿の中には描き途中のものもあって、手塚さんの手触りがよく伝わってきて、特に手塚作品に強い思い入れのない私にも刺激的でした。
何より、元アシスタントの皆さんが、とても懐かしそうに、そして楽しそうにお話をされていることが印象的でした。
肉体的にも精神的にも大変だったでしょうに、楽しかったのでしょうね、彼らにとっては青春そのものだったのだろうと、観ていて強く感じ取れました。
石坂啓さんがちょっと話し過ぎかなと思いましたが、高見さんなんてほとんどしゃべっていませんでしたから。
編集でカットされてしまったのかもしれませんけど。
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神様だけど人間
個人的に印象深い原稿もありました。
下描きというかアタリみたいなものが残っている原稿では、手塚さんの線へのこだわりが見えてよかったです。
例えば、ブラックジャックの同じ肩ラインを上下に何本か引いて、どの位置に持ってくれば一番説得力を持たせられるかを確認しているかのような線が残っていました。
また、ブラックジャックの目の大きさ、あるいは鋭さを変えている様子が残っているコマもありました。
手塚さんの出来上がった漫画はあまりに完璧なものに私には見えますけど、手塚さんほどの人でも(当たり前ですが)苦慮されていたのだなと感じることができたので。
神様だけど人間なのだと思えたというか。
おわりに
ということで、Eテレ『浦沢直樹の漫勉neo』の「手塚治虫」さん回の放送を観た感想を書いた記事でした。