2019年9月10日火曜日、日本テレビの「映画天国」枠にて映画『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』が放送されました。
私は本作を今回初めて観ました。
映画を観た感想を書きます。
ネタバレ要素があります。
気にならない方のみ下方スクロールをお願いします。
目次
日テレ「映画天国」
日本テレビには「映画天国」という映画が放送される枠があります。
この映画枠は、それほど有名ではないけど良い映画、アニメ映画を含めて放送されるので、個人的には結構好きです。
ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-
その「映画天国」枠の2019年9月10日火曜日(月曜深夜)に扱われた映画は『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』でした。
スタジオポノックが描く“3つの奇跡の物語”。
兄と弟の勇気、母と子の絆、たった一人の戦い…「小さな英雄」をテーマに描いた短編アニメーション。
放送データには上記引用部のような説明テキストがありました。
引用部にあるように、本作は『カニーニとカニーノ』と『サムライエッグ』と『透明人間』の3作の短編アニメ映画がセットになっています。
短編小説のようなものをアニメ映画にした感じです。
3作トータルでも1時間もない放送時間でした。
ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-(吹替版) - Trailer - YouTube
公式トレイラー動画がYou Tubeにありました。
監督
本作はそれぞれに異なる監督が担当しています。
『カニーニとカニーノ』が「米林宏昌」さん、『サムライエッグ』が「百瀬義行」さん、『透明人間』が「山下明彦」さんです。
お三方とも、過去に『スタジオジブリ』の作品に監督や作画監督、演出、原画などで携わってこられた方々です。
例えば米林宏昌さんは『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』、『借りぐらしのアリエッティ』など、百瀬義行さんが『ギブリーズ episode2』など、山下明彦さんが『猫の恩返し』や『ハウルの動く城』、『ゲド戦記』などですね。
『スタジオポノック』
監督のお三方は現在『スタジオポノック』に所属していらっしゃるのでしょうか。
詳しい事情は私にはわかりません。
『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』の感想
『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』の感想を書きます。
私の感想が正しいと言っているものではありません。
その点はご了承ください。
全体の感想としてはゴールデンタイムに放送するのは厳しいかなと思いました。
正直物足りなかったです。
オリジナリティに欠けている印象を持ちます。
ポノックの、特に米林監督の作品を観て、ジブリの新作かと思われる方も多いのではないでしょうか。
ポノックらしさを追求していただきたいです。
「スタジオポノック」というネーミングからして、ジブリから抜け出せていない感がややありますからね。
既存の柵から抜け出してオリジナルを描くことが大事な一歩かもしれない、と感じます。
『カニーニとカニーノ』の感想
『カニーニとカニーノ』の感想は一言で言えば「面白くない」です。
3者では米林監督が最も世間に名を知られた存在と思われますから、3作品の中でもメインを張る物語だったはずです。
ところが、残念ながら3作品の中で一番つまらなかったですね。
何を描きたかったのか?
物語は、自然は恐ろしいものだし、私たちの生活に何気なく寄り添っている川の中でも、人知れず生命のやり取りは行われている。
生物の死は思っているより近いところにあって、鳥や魚、サワガニなど1つ1つの生命がそこに存在するものは、ある種の奇跡のようなものなのだ、ということを伝えたかったのかな、と感じました。
一言で言うなら「生命って凄いね」ということ。
絵が巧いけど下手
米林監督は良くも悪くも、『借りぐらしのアリエッティ』から変わっていないと思っていて、今回も同じ感想を持ちました。
何が変わっていないかと言うと、絵が巧いけど絵が下手なことです。
水の描写が巧み
『カニーニとカニーノ』でも水の描写は際立って巧かったです。
CGも使っているのだと思いますが、川の水が本物と見まごうばかりのクオリティでした。
水ってサラサラするだけでなく、ゼリーのような粘着性もあるじゃないですか、そういう両方の属性をうまく表現していたように思います。
水だけでなく、葉など川や山の自然の描写は巧すぎるくらい。
カニーニかカニーノが川底に足をつけたときの、身体の重みで土(砂?)に付けた足は沈むのだけど、水の浮力もあって沈みすぎない感じ。
さらにそこから体重をかけて一歩踏み出すときには、水の重さや圧力、流れの抵抗、さらに土の柔らかさも加わって、鈍重な人物(カニ)の動きの描き方は絶妙でした。
母カニとカニーニの抱擁
人物、といってもカニの擬人化ですが、それも安定して上手ですね。
その一方で、米林監督は人物の背景なり、感情の機微といったものを描くことが苦手な方、という印象は今回も拭えませんでした。
このことは今回だけでなくアリエッティ以降、常に感じていることです。
例えば、今回で言えばラストシーンで、冒険から戻ってきたサワガニのカニーニとカニーノ兄弟と父(トトでしたっけ?)を、母カニが迎えていました。
ここで、母カニがカニーニ(でしたっけ)を抱きしめて、母カニは涙を流して再会を喜ぶのですが、観ていてもちっとも感動的ではないのですよね……。
このシーン、私には単に2人(匹)が重なっているだけに見えてしまいました。
流している涙が感動を意味する記号にしか受け取れないです。
要するに感情を描けていない。
シータとドーラの抱擁
この抱きしめるシーンの比較に、米林監督の師匠とも言うべき「宮崎駿」監督の『天空の城ラピュタ』を持ち出してみます。
ラピュタは物語の終わりに、ヒロインの「シータ」と主人公の「パズー」が、空賊「ドーラ一家」と再会を果たします。
シータは、ドーラ一家の女首領「ドーラ」にきつく抱きしめられますよね。
あのときのドーラの胸の動き、あれだけで宮崎さんは色々な要素を入れ込んでいるように私には見えます。
元々大きな胸を持つドーラが、シータを受け入れて抱きしめます。
ドーラはあまりに強く抱きしめるものだから、シータがドーラの胸にドプンっと埋まり、胸の上部が上の鎖骨の辺りまで盛り上がるように移動していました。
息が苦しいとシータが助けを求めるほど。
しかも、ドーラはあのときには既に、シータとパズーの2人が一家に長く留まる意思がないことを察しているでしょう。
抱擁の直後に、永遠になるかもしれない別れがあることもわかっているはずです。
そんなことも背景にあるから、相手を窒息死させそうなくらいにドーラはシータとの再会が嬉しかったし、シータのことを愛おしく想っていた。
そういうセンチメンタルな感情があのシーンからはビシバシ伝わってくるのですね。
シータもドーラも涙は流していなかったと思います(泣いていましたっけ?)。
でも観ているこちらも切なさを含んだ微笑みが自然に出てくるほど、感動的なワンカットです。
あのシーンだけでも、ドーラとシータの性格やら人間関係やらの背景が見えてくるよう。
それまでの物語の中で、2人の人物像だったり、2人の関係性が深まったり、2人の過去を何となくでも匂わせたり、様々描いてきたことが、あの再会シーンの感動へとつながっていることも大きいのでしょうけど。
でもおそらく、ラピュタを観たことがない人があのシーンだけを観ても、ドーラがどれだけシータとの再会を楽しみにしていたかは伝わると思います。
カニーニとカニーノを観ても、ラピュタほどは伝わらないのではないかと。
その原因はやはり米林監督が人物を描き切れていないからだと思います。
人間(カニですが)なのに人間に見えてこないのです。
「怪獣」が怖くない
物語では「怪獣」が登場します。
実際には1尾の川魚です。
川魚は、例えるなら映画『シン・ゴジラ』のゴジラが、いわゆるゴジラ形態になる前の海棲生物の状態のような魚に私には見えます。
サワガニにとって川魚は、自分の生命を脅かす怪獣のような存在なので、表現として(カニから見て)何を考えているかわからない存在・怖さを表現したかったのでしょうか。
捕食する側とされる側。
ただ、これがあまり怖くなかったです。
川魚はもっと圧倒的な怖ろしさがあって良かったですし、サイズ感もオーバーに表現しても良かったように感じられます。
『ガンバの冒険』に登場する「ノロイ」くらい、観ている子どもが泣き出しそうなくらいの怖さがあっても、という。
神は細部に宿る
「神は細部に宿る」という言葉があります。
著名な建築家の言葉でしたか。
米林監督の作品からは草の1枚1枚、水の1滴1滴を、常人では真似できないレベルで描き込んでいるであろうことを、素人の私でも窺うことができます。
それはおそらく彼らが「神は細部に宿る」の精神で描いているからでしょう。
米林監督がそう仰っているかは知りません、私にはそう思えます。
しかし、仮にそうだとしても私には、米林監督が「神は細部に宿る」の本質的な意味を取り違えてしまっているような気がしてならないです。
短編と長編の比較ではトータル枚数の比較は意味をなさないと思いますけど、1枚の描き込みで言えばラピュタの方が圧倒的に少ないように見えます。
でもラピュタの方が圧倒的に感動的で面白い。
両者の違い、その答えもやはり「神は細部に宿る」にあるかもしれません。
答えが何かは素人の私には到底わかりません。
わかったところで、描けるかどうかはまた別の問題かもしれないですが。
ただ重要な「何か」が足りていない感、気持ちを入れ込むところは「そこ」じゃない感。
米林作品を観るたびにこの気持ちを拭えずにいます。
『サムライエッグ』の感想
『カニーニとカニーノ』の感想を少し長く書きすぎたので、他は短めに。
『サムライエッグ』は『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』の中で一番面白い作品でした。
そして一番重いテーマを扱っていた作品でもありました。
面白いと言ってもゲラゲラ笑うタイプでは決してないですよ。
興味があるという意味です。
卵アレルギー
主人公は「シュン」、小学校に通う野球少年です。
シュンは幼い頃から重い「卵アレルギー」を持っています。
検査結果を見るに、小麦にも少し反応が出ていたような。
家族は日々の料理に気を使わなければならないですし、外食に至っては食べるものがないくらい、多くの料理に卵は使われているみたいですね。
親子で卵アレルギーと戦う日々が描かれている作品です。
食物アレルギーの怖さ
ところがある日、シュンは親のいないところで卵黄などが含まれたアイスクリームを食べてしまいます。
シュンは自分用だと書かれたアイスを口にを入れた瞬間、実は卵が含まれている品だと察します。
時既に遅し、身体はすぐさま反応を起こすようで、身体には発疹が出て、呼吸は苦しくなって……。
その生命の危機を察してからのシュンの描写は、観ていて鬼気迫るもので、怖ろしさを覚えました。
故「高畑勲」さんが『かぐや姫の物語』で描いた、かぐや姫が現世に絶望し原野に駆け出したシーンを彷彿とさせる荒々しい描写です。
幸いにも私には食物アレルギーはないと思われ、アナフィラキシーのような強烈なアレルギー反応の経験がありません。
そんな私でも、シュンの視点でアレルギー反応に苦しむシーンをシュンの視点で観られたことで、アレルギーの恐ろしさが体験できたようで、以前よりはほんの少しかもしれませんが理解に向けて前進できた気がしました。
そのことだけでも本作を観られて良かったと思えます。
ほんわか絵
本作は絵柄と色使いが「ほんわか」しています。
重いテーマを扱うからこそ、絵に柔らかさをもたせたかったのだろうと想像します。
『この世界の片隅に』と似た考え方ですね、たぶん。
重すぎず、でも軽すぎない、絶妙なラインを行っていたと思いますし、試みは成功しているように受け取れました。
作品タイトル
残念な点は『サムライエッグ』という作品タイトルです。
タイトルはシュンが卵アレルギーを克服するために戦う決意を表現したものです。
ラストで『サムライエッグ』へと持っていく描写が、私にはやや強引に感じられました。
それまでは「侍」の要素が皆無だっただけに、若干の違和感を覚えましたね。
時間が短い
本作は15分間の放送でした。
シュンと家族のあれこれをもっと観たいのと、食物アレルギーについてもっと知りたいことと、最後が唐突なことを含めて、15分では足りていない感覚を持ちました。
90分くらいの物語にできそうに思います。
『透明人間』の感想
3作目は『透明人間』です。
3作の中では2番目に面白かった作品であり、2番目につまらなかった作品でもあります。
確か『千と千尋の神隠し』でしたか、8月に放送された『金曜ロードSHOW!』の後にも本作は放送されました。
なので厳密には本作だけ今回で2度目の視聴です。
雰囲気アニメ?
本作『透明人間』が何を描きたかったのか、3作の中では一番難解かもしれません。
大別すれば「雰囲気アニメ」になりそうな作品です。
何を描きたかったのか?
現代社会は家族や友だち、会社などどこに属していても、人と人との関係が昭和時代など昔に比べると希薄だと言われます。
それを象徴的にというかダイレクトにというか、描かれたのが本作の主人公「透明人間」なのでしょう。
自分から動くことの重要性
透明人間は居ても誰からも気づかれない、肩から消化器をぶら下げていないと身体が宙に浮かんでしまう、文字通り「空気」のような存在です。
もっと言えば存在しているかどうかも怪しい存在。
例え存在感の薄い、あるいは無い透明人間であっても、自分の存在を気づいてくれる人はどこかにいるし、そのためには他人のために自分から動くことが大事なのだよ、と伝えている作品だと私は受け取りました。
最後、赤ちゃんは頭や鼻から血を流している透明人間を見て・気づいて、笑顔になりましたよね。
あの笑顔が全てかなと。
おわりに
ということで、日本テレビの「映画天国」枠にて映画『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』が放送されたので観た感想を書いた記事でした。
私の理解が足りない、解釈が間違えている、そういうこともあると思います。
その場合はご容赦ください。