ディスディスブログ

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ジブリではない!『メアリと魔女の花』で言いたいことは何なのか?作品の感想を書きました

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日テレ「金曜ロードSHOW!」枠でアニメ映画『メアリと魔女の花』が放送されました。

2018年8月31日金曜日が地上波初放送だったようです。

 

私は本作を映画館で観ておらず、今回の地上波での放送が初視聴でした。

映画の感想を書いています。

 

目次

 

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アニメ映画『メアリと魔女の花』

2018年8月31日金曜日21:00より、アニメーション映画『メアリと魔女の花』が初放送されました。

 

メアリと魔女の花

 

www.maryflower.jp

 

赤毛の少女メアリはある日、森で不思議な花を見つける。それは7年に1度しか咲かない禁断の“魔女の花”だった。花は一瞬だけ魔法の力を授けることがわかり…。

ホウキに乗って大空を飛び立ったメアリは魔法の世界に辿り着く。出迎えた魔法大学の校長に入学を許可されるが、メアリのついたある嘘が原因で大切な人を巻き込む大きな事件を引き起こしてしまい…!?

 というのが、録画データにかかれていた番組説明です。

 

監督は「米林宏昌(よねばやし・ひろまさ)」さん。

スタジオ・ジブリの『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』の監督をされた方です。

 

2014年12月にプロデューサーの西村義明とともにスタジオジブリを退社。2015年6月、西村と共にスタジオポノックを設立[12]。

 

- 米林宏昌 - Wikipedia

 

米林宏昌さんのWikipediaには上記引用部のように書かれています。

 

2014年末、スタジオジブリの制作部解散によりジブリを退社した西村義明が、米林宏昌の新作映画を作るため2015年4月15日に本社を設立した[1][3]。

 

スタジオポノック - Wikipedia

 

また、スタジオポノックのWikipediaにはこのように書かれています。

 

ジブリを退社していらしたのですね、麻呂さんこと米林監督は。

本作は、米林監督としてもジブリ退社後初の長編アニメーション映画、ポノックとしても同じみたいです。

 

『メアリと魔女の花』の感想

『メアリと魔女の花』を視聴した感想です。

 

これから書くことはあくまでも私の個人的な感想です。

絶対的な評価・評判ではないことをご了承ください。

 

また、以降ネタバレ要素があるかもしれません。

バレても大丈夫な方のみ下方スクロールをお願い致します。

 

冒頭を観られていない

感想を書く前に、実は録画をし忘れていまして、始めの10分ほどを観られていません。

 

他局の番組を観ていたら忘れていました。

なので、そもそもどうしてヒロインの「メアリ・スミス」が大叔母「シャーロット」の家「赤い館」にいるのかがわかっていません。

両親はどうしているのか、という大きな疑問を解決できずに、今もいます。『ぼくのなつやすみ』的に、夏休みの間にだけ遊びに来たということでしょうか?

 

面白いか面白くないか

感想を正直に申し上げると「つまらなかった」です。

 

この記事を書くまで本放送と録画を2回の計3回観ました。

観ましたが、情報がなかなか頭に入ってきませんでした。

頭に入ってこないから3回も観た、とも言えます。

 

頭に入ってこない理由の一つはおそらく、脚本と演出と音楽にメリハリがないからではないか、と思いました。

ずっと同じ、単調なリズム。

同じ理由で、本作は観ていると疲れてしまいます。

疲れて眠くなる。

 

物語で監督が言いたいことは?

物語が言いたいこと、あるいは米林監督が言いたいことは何だったのでしょう?

私には伝わりませんでした。

 

いや、「魔法(=特別な力)に頼らないで自分の力で生きる」ということを伝えようとしているのでしょう、意図はわかるのです。

 

しかし、最終的にメアリは「夜間飛行」と「ピーター」の魔力に頼って、バ○ス的な「全ての魔法を解除する魔法」を唱えることで解決できたのですから、彼女の自力ではないです。

発想はメアリのものですけど。

でも自分の力で解決したのではなく、他人の、それも夜間飛行の魔力に頼ってのものでした。

 

(カットされたように見えましたが)それなのにラストシーンではメアリは髪の毛に引っかかった1つの夜間飛行の花を、「もう私には必要ないの」と言って投げ捨てていました。

そのときもホウキに乗って空を飛んでいたのに。

最後まで魔法に頼りっきりなんですよね、メアリは。

 

監督が伝えたいことと伝えていることが一致していない。

そういう印象を持ちました。

 

登場人物の関係が薄い

登場人物同士の関係が薄いです。

 

劇中でメアリとピーター、メアリとシャーロット、メアリと黒猫「ティブ」の仲が「唐突」に良くなっているように、私には見えました。

もっと、メアリの人物描写や人間関係を描写するために時間を割いた方が、物語に深みが出たでしょうし、視聴者も感情移入しやすかったのではないでしょうか。

 

その分どこかのシーンをカットする必要があったように感じられます。

カットするなら、エンドア大学の校長「マダム・マンブルチューク」や魔法科学者「ドクター・デイ」がメアリに大学の内部を案内するシーンでしょうか。

 

案内シーンで監督は、魔法の力の強大さや大学の華やかさを表現したかったのでしょう。

けれども、物語において施設を案内するシーンはさほど重要ではありませんでした。

マンブルチュークに案内などさせず、それこそメアリが大学内に侵入したときに、カメラをパンさせるなどして全体の雰囲気を伝えるだけで良かったように思います。

 

また、メアリが大学に侵入した際、マンブルチュークが新入生として容易に彼女を受け入れたことに対して、違和感がありました。

あのような中途半端なタイミングでの入学は、学校側が生徒の出自を調べるでしょうし、それこそ魔法を使って本当にその人の内から生み出されている魔力があるのか、人工的に植え付けられたり夜間飛行などアイテムを用いて生み出されている魔力かを見分けるものではないかと思います。

 

メアリとピーターは最初、赤毛がどうたらといがみ合っていた間柄でした。

なのに、距離が近づくためのエピソードが足りず、物語の後半から唐突に距離が近づいているように見えます。

 

黒猫ティブもそう。

そもそもピーターの飼い猫ですよね、あの子は。

にもかかわらず、いつの間にかずっとメアリのそばにいるようになってしまいました。

ティブがメアリと行動を共にした理由は、恋人(?)のグレー色の猫「ギブ」がエルドア大学でモンスターに変身させられていたから、なのでしょう。

 

でも理由はそれだけでなく、メアリとの信頼関係が深まったから、ということもあるはずですよね。

その点、米林さんは描けていなかった、描ききれていなかったように思います。

 

登場人物が少ない

本作は登場人物が少ないです。

メアリ、ピーター、シャーロット、マンブルチューク、ドクター・デイ、この5人だけで物語のほとんどが進行していました。

 

劇の舞台は現世界と、魔法の世界、魔法大学という大きなものなのに、描かれた範囲はすごく狭い。

マンブルチューク校長が施設内を案内していた際にはたくさん登場した生徒が、物語の終盤にピーターの変身した「あれ」が暴走した際には一切出てきませんでした。

出てくるのはロボットばかり。

 

登場人物が少ないのに、彼らの人生は作品から見えてきません。

これは、いかに時間や画面の空間を有効に使えていないか、ということを示しているものです。

 

現世界にいる人たち、ピーターや庭師の「ゼベディ」、家政婦の「バンクス」などのことをもっと描けたはずです。

 

フラナガンの謎

これは感想というより疑問です。

 

大学には「フラナガン」という、ホウキ小屋の番人のような人(?)がいました。

フラナガンは半人半獣の姿をしていて、作品に登場する人物ではフラナガンだけが半人半獣です。

劇中で唯一、フラナガンだけが半人半獣である理由は何でしょう?

彼もマンブルチュークとデイの変身魔法実験の結果なのでしょうか?

 

劇中で謎を全て解明する必要はないとは思いますが、気になりました。

先ほども触れたように、そういう各キャラの背景がわからない、またはわかりにくいことも、本作の魅力不足と関係していそうではあります。

 

敵役に愛嬌がない

適役に愛嬌がないことが気になりました。

特に、マンブルチューク校長とドクター・デイが、単なる悪役に描かれてしまっていることが、個人的には残念でした。

しかも敵役としての魅力や器がなかったように見えましたし。

 

本作はポノックの米林監督の作品であってジブリ作品ではない、それは承知しています。

承知しているものの、この数週間、同じ曜日の同じ時間帯に『となりのトトロ』や『ハウルの動く城』、『猫の恩返し』が放送されていました。

それらを観ていることと、監督が米林さんであること、絵柄的に近い、あるいはそのものなことも相まって、どうしてもジブリや「宮崎駿」さんの作品と比べてしまいます。

 

宮崎さんの描くヒロインの敵役やライバルには、敵ではあるけど完全な悪でもない、どこか憎めないキャラクターがよく登場します。

例えば先述したハウルで言えば「沼地の魔女」がそうですね。

 

ところが、本作のヒロインの敵役であるマンブルチュークとデイは、大学案内時にそういう部分がほんの少し見えはしたものの、「憎めないキャラ」感はありませんでした。

単なる悪役です。

 

米林監督は、『借りぐらしのアリエッティ』でも「ハル」という家政婦のおばさんを敵役として登場させていました。

ハルはどこか憎めないところがある悪役ではなく、憎さしかない悪役として描いてしまっているように私には見えました。

本作のマンブルチュークとデイもそう。

まるで愛嬌がないのですね。

 

それに、2人の行動の「動機」が弱いことも、彼らを単なる悪役にしてしまった原因になっているように感じます。

 

2人には「生徒にあらゆる魔法を使えるようにしたい」思いがあるのはわかります。

しかし、そのためにピーターを実験に使うのは理由付けが弱いです。

メアリから夜間飛行を手に入れるためにピーターを捕らえたのであれば、人質を実験に使ってしまうのは悪手ではないのかなと。

2人が長年実験を続けている動機も、「生徒のため」だけでは動機としては弱い印象です。

物語を動かす動機としても弱い。

 

しかも、実験は生徒のためとしておきながら、重要なシーンに生徒たちが出てきません。

なので、結局2人は自分が崇拝する魔法や科学の発展のためだけに動いているのでは?と受け取れてしまいました。

 

といっても、宮崎さんもラピュタで登場させた敵役の「ムスカ」には何の愛嬌も持たせなかったように思いますから、愛嬌の有無がキャラクターの魅力の有無に直結するものではない気もします。

バルスも結局は、パズーとシータの2人だけで勝手に決めてしまった世界の破壊の手段でしたから、褒められたものでもないと言えばそうですし。

そう考えると、ラピュタの終わらせ方って雑ですね。

 

デザインのセンス

デザイン・色彩のセンスがない点が残念でした。

マンブルチュークやデイの姿形、エンドア大学の内部のオブジェ、実験で作られたモンスターたち、マンブルチュークが生み出した魔法生物(?)。

これらがダサかったです。

 

モンスターも可愛らしさがないのですよね。

可愛らしさを出そうとしている様子を伺えるだけに、余計に可愛らしさを感じない悪循環。

 

観られてよかった

本作は、『魔女の宅急便』『千と千尋の神隠し』をベースに、『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』、『ハウルの動く城』など、これまでのジブリ映画の要素を散りばめた作品でもありました。

あえてそこにはあまり触れずに感想を書いたつもりです。

 

もしかしたら今後二度と放送をしないかもしれません。

放送されるとしてもずっと先のことになりそうです。

なので今回の放送は是が非でも観ておきたかったです。

観られてよかった。

 

おわりに

ということで、『メアリと魔女の花』の感想を書いた記事でした。

 

↓Amazonでも観られるみたいです。

 

 

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