ラジオ局『BayFM』の番組『9の音粋』を毎週聴いています。
2023年1月2日月曜日は新年初回放送ということで、「スージー鈴木」さんと「ミラッキ大村」さんの月曜担当DJに、水曜担当のDJ「藤田太郎」さんも加わった「新春放談」が行われました。
新春放談は2022年にも放送され、今回が2回目のはず。
2022年と同様、今回の新春放談の中でも、ミラッキさんがラジオ業界に言いたいことがあるようでした。
個人的にその話の内容が重要なことに思えたので少し書いていきます。
目次
『9の音粋』
千葉のFM局『BayFM』の番組『9の音粋』について。
放送日時は月曜日から木曜日の21:00から22:54までです。
番組のMCは曜日担当制で、曜日ごとに異なるパーソナリティがMCを担当します。
今回ご紹介する月曜担当は「スージー鈴木」さんと「ミラッキ大村」さんのお二人です。
2023年1月2日「新春放談」
2023年1月2日月曜日は、『9の音粋』における2023年の初回放送だったかと思います。
月曜日なのでスージー&ミラッキのDJの日です。
2023年最初の「9の音粋」月曜日は
— 9の音粋 (@cue78MHz) 2023年1月2日
『新春放談』🎍
#藤田太郎 さんをお迎えし、トーク多めでお送りします📻
各人ならではの話題・選曲が新年をアツくする⁉️
22時台1曲目クイズもあり💡
21時スタート💨
今年もよろしくお願いします📻
✉️cue@bayfm.co.jp
📠043-351-8011
#キュウオン #bayfm #radiko pic.twitter.com/zOYW12LX3c
「新春放談」は、スージーさん&ミラッキさんコンビに、水曜担当の「藤田太郎」さんも加わっての放送です。
新春放談での主張「ラジオと音楽」
9の音粋「新春放談」の中でミラッキさんが中心となって、「ある主張」がなされていました。
テーマは「ラジオと音楽」です。
タイムフリー時間切れ
これから内容を書いていきます。
しかし見出しにも書いているとおり、私はタイムフリーで聴いていたので、記事作成時点ですでに時間切れを起こしています。
聴き返すことができず、記憶を頼りに書いていきます。
細かいところでは間違えている可能性があります。
正確な情報を得たい方はぜひ『radiko』のタイムフリーで『9の音粋』の2023年1月2日の放送を聴いてください。
番組のスタートは21時からですけど、私が言及する箇所は22時からです。
酔っている
前提として、お正月ということもあって、スージーさんと藤田さんに「お酒」が入っています。
ミラッキさんはどうだったでしょうか、忘れました。
その点を踏まえた上で以下を読んでください。
ミラッキさんの主張
ミラッキさんの主張です。
主張の全てを書いていないはずです。
全てを聴きたい方はやはり『radiko』でお願いします。
『紅白歌合戦』にラジオを感じる要素はあったか。
ラジオをきっかけにこの曲はヒットしたとか、ラジオでよく流れていたから選ばれたんだなこの人とか。
自分を含めラジオ業界にも、このことに気づいていない人が多いのではないか。
悔しがらなければいけない。
ではどうすればラジオからブームを作れるのか。
各放送局でパワープレイといって、何時間に一回流れたり一定期間流れたりするが、それはラジオをよく聴く人からするとその曲を嫌いになってしまいかねない。
曲紹介があれば違うのではないか。
プロモーターがこんなアーティストなんですよとプロモーションしてくれて、それをDJが番組で紹介するのならまだしも。
新型コロナウィルスの影響で、プロモーターが局に来にくい状況が続いていることも影響しているかもしれない。
しかし自分はコロナ渦前からプロモーションを受けていない。
それはもしかしたら、音楽業界から「ラジオはもういいや」と思われてしまっているのではないだろうか。
スージーさんの意見
スージーさんが、ミラッキさんの主張を受けてコメントをしています。
ラジオというメディアの影響力は小さくなっている。
パワープレイとか何とかいう事情で選曲していく、DJが選曲していない場が多くなっている。
DJが意識的に選曲すると「偏り」があるなど言われ、あるミュージシャンのことを罵倒(と仰っていましたが「批判」がよいでしょうか)すると炎上することがあって、DJ側も窮屈になっている。
だから「批評の不在」がある。
批評が不在であることで、リスナーに対して独善的な選曲とか意思とかを見せる場面がほとんどない。
私は本の中で色々な不平を言うけれど、それは俺の意見であって、皆ももっと言ってよと思う。
『桑田佳祐論』を自分は出した、それなら別の誰かが別の○○論を出せばいい。
○○論が出たら私はビシッと言う「ですよねぇ」と。
意見がもっとわっちゃわっちゃすればいいのに、なんでわっちゃわっちゃしないのだろうと思う。
色々な意見があっていい。
なのに健康的な意見(交換)の場がなかなか出てこない。
藤田太郎さんの意見
藤田太郎さんのご意見。
『9の音粋』のDJがもっと「これがいい」って言い続けるのがまず大事なのかなと思う。
(9の音粋のDJが?ラジオ業界が?)保守的になっているところがある。
もうちょっと「このアーティストいいんじゃない?」とか、新曲じゃなくても「このアーティストのことで発見があるんじゃない?」とか、もっと言っていい。
藤田さんに続くように、ミラッキさんが主張をしていました。
『9の音粋』だけでなく「bayfmのあのDJがかけていてよいと思ったんだよね」と言って『9の音粋』でもかけちゃう。
それだとその日に2回かかることになっちゃうんだけど、「よいと思ったから俺もかけます」をやっていいと思う。
それでは点で、小さな花火がぽん、ぽん、と打ちあがるだけで終わっていく。
横(9の音粋内の曜日の垣根を越えて)でパーンとこのアーティストいいよと花火をあげるだけでなく、縦(bayfmの番組の垣根を越えて)でも花火をあげられないか。
同じ曲を選ぶことを嫌うきらいがあるけど、パワープレイも大事だけど。
DJのおすすめ、あの人があっちをかけていたから、俺はこっちをかけるよというのでもいいから、縦の関係をもっと作れないか。
私の考え
ミラッキさんの主張を聴いた後、私なりに考えてみました。
頭の悪い人間が考えたことなので、見当違いなことを書いているかもしれません。
間違ったことも書いているかもしれません。
そうだとしたら申し訳ありません。
ダンシング・オールナイト
ミラッキさんの話を聴いて、あることを思い出しました。
記憶を頼りに書きますので、間違えた情報かもしれませんが。
それはNHKの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』という番組です。
「オールナイトニッポン」を特集したことがあり、そこであるエピソードが紹介されていました。
それは当時オールナイトニッポンのパーソナリティを担当されていた「タモリ」さんのとった行動です。
当時、彼は「もんた&ブラザーズ」の『ダンシング・オールナイト』が気に入っていたそうで、一回の放送内に何度もこの曲を流したそうです。
それが起爆剤の一つになって曲が売れたとか何とかいうお話だったかと思います。
ミラッキさんの話を聞いて、今のラジオDJの方々もこれをしてみたらどうだろうと思ったのですよね。
本当にその曲を好きなら、タモリさんみたいに一つの曲を1回の放送で何度もかけて、その曲やアーティストを熱く語ればいいじゃないかと。
今、このようなことをされているDJがどれだけいらっしゃるか。
おそらく一人もいらっしゃらないと思います。
一部の声の大きな人や大人の事情がそれを許さない、ということもあるでしょうし。
ラジオの根源的な問題
また、今回のミラッキさんの主張は、ラジオの根源的な問題が潜んでいるように感じました。
御存知のとおり、インターネット、もっと言うとスマホの登場と普及によって、それまでとは環境が大きく、しかも急激に変わりました。
スマホが1台あるだけで、旧来からある娯楽のほとんど全てを賄えてしまいます。
音楽だけを見ても、YouTubeがあったりTikTokがあったりサブスクがあったり。
まず情報を得る「速度」が異なりますよね。
テレビやラジオ、雑誌もそうでしょうけど、音楽情報を得るには放送日や発売日を待たなければならなかったところが、インターネットでは即時的に得ることができる。
しかも、テレビやラジオなどとは異なり、自分が求めている情報だけを効率的に抽出できる。
即時的に且つノイズがほぼなく手に入れられる、これは大きいです。
『9の音粋』のコアリスナーほどの音楽好きな人は、一般的にはまだ知られていない情報をいち早く得るための探る作業をいとわないでしょう。
その情報も、一般に知られているだけでは満足せず、深堀りすることもいとわないのだと思います。
しかし、大抵の方はそこまでを欲していない、インターネット情報で十分と思っているのではないかと想像します。
YouTubeやサブスクの音質では物足らず、レコードやラジオにそれを求める人がどれだけいるか。
多くはいらっしゃないと想像します。
だからまとめサイトやまとめ動画がウケるのでしょう。
「便利さ」は一般的には圧倒的な正義です。
テレビやラジオ雑誌などの情報に付随する「無駄」な知識こそ大事だと、愛おしいものだとわかっていても、大抵の人は便利さには勝てないものではないでしょうか。
さらに言えば、スマホでは得るだけだけでなく、情報を「発表」したり情報を「共有」したりすることも簡単にできてしまいますよね。
つながりを求めれば、すぐに近い価値観を持つ人とつながることができる。
新型コロナウィルスの問題もあり、直接会うこともなく、それを実現できてしまいます。
何が言いたいかといいますと、ラジオ業界から音楽の流行りを生むこと自体が、00年代以前よりずっと困難になっているのではということです。
なぜそう言えるかと言うと、ラジオの聴取人口が減っていると想像されるからです。
ラジオがどれくらいの人に聴かれているのか、あるいはどの年齢層が多いのか、私は知りません。
ですけどおそらく00年代以前より、2023年現在の方が少ないと思います。
新型コロナウィウルスの影響によって、ここ数年は多少増えたかもしれませんけど。
今後ラジオの聴取者のユニークユーザー数はどんどん減っていくでしょう。
日本の人口が減少することがわかっていますから。
先ほど聴取者の年齢層を知らないと書きましたが、40代以上の年代の人が多いのではないかとは想像しています。
30代以下の方の多くは、先ほど書いたスマホで、YouTubeやSNS、サブスクなどのサービスでほぼ全てを賄えているように思えるからです。
これから十数年〜数十年経てば「団塊世代」がこの世からいなくなって、さらにもう少し時間が進めば第二次ベビーブームの世代もいなくなる。
言い換えますと、ラジオをそこまで必要としない人がメインの世代しかいなくなる。
その後にラジオを聴く層がどれだけ残るか。
もちろん、若い人の中にも今ラジオを聴いている方は多くいらっしゃるでしょうし、災害時に役立ちますから、ラジオ業界自体は今後も生き残るとは思います。
思いますが、団塊と第二次ベビーブーム世代がいなくなった後、その規模は縮小されるだろうなと感じています。
その中でラジオ発の音楽の流行を生み出せるか。
今ですら実現できていないのに、これから実現できるとは到底思えません。
ミラッキさんは、ラジオが音楽業界から見限られている可能性を危惧していらっしゃいましたけど、その危惧は残念ながら正しいのではないかと私は思いました。
どこからラジオ発とするのか?
さらに、そもそもの問題として「何をしてラジオ発のブーム」とするのか、ということがあります。
現代のメディアの仕組みから、今や「純粋」にラジオ発の流行が生まれることがあり得るのか。
ここからして個人的には懐疑的です。
仮にです。
仮に、ラジオで最初にかかった曲が流行ったとします。
しかし、それが例えばTikTokやInstagram、TwitterなどSNS、YouTubeの有名人、ネットのインフルエンサーが後に紹介してネットに広まったとしたら、それはラジオ発の音楽の流行りと言えるのでしょうか。
世間にはインフルエンサーたちが流行らせた、という認識になりませんか?
ただでさえ、各ラジオ局、各ラジオ番組がTwitterなどのSNSと連携させています。
どこからラジオ発の音楽の流行と線を引けるのでしょう。
先ほどの話題に通じますけど、もし娯楽にティア(Tier=階層)があるとすれば、現在、ラジオは既にネットより下位にいるでしょう。
『radiko』がその証拠になると私は考えます。
今ラジオを聴いている人の多くがおそらく、『radiko』などのネットを経由してラジオを聴いているのではないでしょうか。
機器としてのラジオを、一体どれだけの人が持っているか、使っているか。
生活インフラの面でもスマホはトップティアにあるでしょうし、ラジオはそうでないでしょう。
ティアの低いラジオから純粋な流行りが生まれるかどうか。
先ほどタモリさんのことを書きました。
あのようなことは、当時ラジオが娯楽として、あるいは生活インフラとして、現在より上位にあったからこそ実現できたことかもしれません。
今より注目度の高い時代だったから成し得た可能性です。
現在のラジオでタモリさんと同じことをして、果たして「流行」を生み出せるか。
そういう問題もありそうです。
それはわかっている
私が上に書いたことは、ミラッキさんはわかった上で話をしていらっしゃるでしょう。
それはわかっている、その上でどうするかという話だということをミラッキさんは仰っていると思います。
ですが一応書きました。
「仲介者」としてのラジオを止めてみる
実は一つ、アイデアが思い浮かんでいます。
ラジオ発の音楽の流行りを生むアイデアです。
無知蒙昧な人間の、現実感の乏しいアイデアですが。
ラジオは、話題のミュージシャンを紹介する、話題になりそうなミュージシャンを紹介する、そういう立場をずっと続けているように私には見えます。
音楽関係の番組は。
ラジオはその「仲介者」としての役割を止めてみたらどうだろうかと考えました。
つまり、ミュージシャンを紹介するのではなく、ラジオからミュージシャンを生み出せばよいのではないでしょうか。
既に生まれている人材を「発掘」するのではなく、文字通り「生み出す」のです。
そのラジオが生み出したミュージシャンの楽曲を、CDやインターネット上で発表するのではなく、「ラジオからしか発信しないようにする」。
ミュージシャンが出演するのもラジオだけです。
そしてその楽曲が流行れば、仮にインターネットに広まったとしても、リアルに聴けるのはラジオだけになるのですから。
ラジオの流行りと言えるかもしれない。
そのミュージシャンが紅白に選ばれてもテレビには出場せず、ラジオ放送にのみ出ると。
面白い試みになりそうですがどうでしょう。
現実的ではないですし、お金が相当にかかることと思いますが。
でもそのくらいしないと現状を打破できないのでは、とも思います。
正確な情報は『radiko』で
何度も書きますけど、記事作成時点で私は今回の放送を聴き返す術がありません。
ですから本文に書いたミラッキさんやスージーさん、藤田さんの発言は記憶を頼りにしたもので、正確なものではない可能性が少なからずあります。
お三方が言いたいことを書けていなかったり間違えてお伝えしたりした可能性も少なからずあります。
そのときは申し訳ありません。
正確な情報を知りたい方はぜひ『radiko』でタイムフリーを聴いてください。
2023年1月2日のbayfm『9の音粋』の22時台です。
おわりに
ということで、bayfm『9の音粋』2023年1月2日月曜日の「新春放談」で、ミラッキ大村さんが「ラジオと音楽」に対して熱く語っていることを聴いた感想を書いた記事でした。