ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

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辛いけど名作。TOKYO MXでアニメ『赤毛のアン』47話「死と呼ばれる刈り入れ人」が放送され泣きそうになりました

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毎週月曜日『TOKYO MX』にてアニメ『赤毛のアン』の再放送が放送されています。

2020年10月5日は第47話「死と呼ばれる刈り入れ人」でした。

素晴らしいサブタイトルですが、意味していることは重いです。

ついにこのときがやって来てしまいました。

 

目次

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『赤毛のアン』

『赤毛のアン』についてです。

 

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1―(新潮文庫)

言わずもがな、カナダの作家「ルーシー・モード・モンゴメリ」が1908年に発表した長編小説です。

私は小説を読んだことがないです。

 

あらすじ

『赤毛のアン』のあらすじについて。

 

物語の舞台はカナダのプリンス・エドワード島にある「アボンリー」村の「グリーン・ゲイブルズ」。

そこに暮らしているマリラ・カスバートとマシュウ・カスバートの二人の老兄妹は、農場を手伝ってもらうため、また老いた自分たちのこれからのことを考えて、養子として孤児院から男の子を迎えることにしました。

ところが孤児院からやって来たのは、身体の細い、髪の赤い、顔にそばかすのある、目の大きな女の子でした。

それが物語のヒロイン「アン・シャーリー」です。

 

男の子を欲していたマリラはアンを孤児院に送り返そうとします。

しかしアンの明るくおしゃべりな様子や彼女の働きぶりを見、またマシュウの勧めもあってマリラも考えを改め、彼女をグリーン・ゲイブルズにおくことに決めました。

グリーン・ゲイブルズの住人となったアンがアボンリーで過ごす学生時代を描いている物語が『赤毛のアン』です。

 

アニメ『赤毛のアン』

アニメ版『赤毛のアン』についてです。

 

赤毛のアン ファミリーセレクションDVDボックス

『赤毛のアン』(あかげのアン)は、1979年1月7日から12月30日まで、フジテレビ系列で毎週日曜19:30-20:00(JST)に全50話が放送された、日本アニメーション制作のテレビアニメ。「世界名作劇場」の第5作目に当たる[1]。厚生省児童福祉文化賞受賞(1979年)。

 

赤毛のアン (アニメ) - Wikipedia

 

赤毛のアン (アニメ) のWikipediaには上記引用部のように書かれています。

私はアニメは何度か再放送を観ました。

 

TOKYO MX『赤毛のアン』再放送

正確な日にちを忘れましたが、確か2020年に入ってから東京ローカル『TOKYO MX』にて、アニメ版『赤毛のアン』の再放送が始まっています。

 

s.mxtv.jp

 

放送日は毎週月曜日、放送時間は19:00から20:00までです。

一度に2話連続で放送されていました。

2020年10月度からは19:30から20:00までになったようです。

1週間に1話ですね。

 

47話「死と呼ばれる刈り入れ人」

2020年10月5日、MXでは47話「死と呼ばれる刈り入れ人」が放送されました。

 

突然マシュウが亡くなった。全財産を預けているアベイ銀行の倒産というショックが心臓に良くなかったのだ。悲しみに包まれるグリーン・ゲイブルズ。その夜、マリラはアンに言えなかった正直な気持ちを告白するのだった…。

 

録画データにある47話の内容説明です。

 

サブタイトルが素晴らしい

「死と呼ばれる刈り入れ人」、何と美しくも悲しい、悲しくも美しいサブタイトルでしょう。

原作にあるのでしょうか、それとも高畑勲さんたちが考えたのでしょうか。

原作にありそうですね。

 

観たことのない人には何を言っているかわからないサブタイトルかもしれません。

しかし1話から観ている人にとっては、とうとうそのときが来てしまったかと直感できるサブタイトルになっています。

マシュウが亡くなるのです。

 

前回46話の終わりの次回予告の場面で、確か普段は流れる明るいBGMが、全く流れなかったと思います。

画面に「死と呼ばれる刈り入れ人」とテキストが表示されるだけだったかと。

なかなかに恐ろしい演出でした。

嫌でもマシュウの死を想像させられますし、悲しい気持ちにもさせられます。

 

マシュウは47話以前から心臓が原因の発作をたびたび起こしていました。

狭心症でしょうか。

そのため視聴者はマシュウがいつか亡くなることを理解しつつも、それがいつまでも来ないことを祈りながら観るのです。

 

しかし『赤毛のアン』はアンの成長を描く物語です。

それはつまり周囲の人々の成長を描くことにもなりますし、マリラやマシュウの老いと死を描く物語にもなっているということ。

それは避けられないことでした。

 

辛い

辛いです。

47話は本当に辛い。

いや、そのしばらく前からずっと辛いですけれど。

 

47話では、農場で作業をしていたマシュウが家に戻ってくるや倒れます。

マリラは慌てて救急蘇生措置を施しましたが、マシュウはピクリとも動きません。

駆けつけた医師でも蘇生は叶わず。

医師によるとマシュウはほぼ即死の状態だったようです。

苦しまずに逝けたことは幸いでした。

 

マシュウの手元には新聞がありました。

新聞にはアベイ銀行破産の情報が載っていたそうです。

どうやらマシュウはその記事を読み、強いショックを受けたことで激しい発作が起きたようです。

 

カスバート家はアベイ銀行に全財産を預けていました。

アベイ銀行破産の噂は以前からあり、リンド婦人からは財産をアベイ銀行から他所に移した方が良いとアドバイスを受けたのですが、マシュウはそれをやんわりと、でも頑なに断っています。

マリラからもせめて財産の半分は他へと勧められていたのですが。

 

心優しくも頑ななところのあるマシュウは、アベイ銀行を信じきっており、近々破産するのではという新聞報道はデタラメだと考えていました。

彼にとっては親の代からの付き合いのある銀行だから裏切れない、裏切りたくない気持ちがあるようです。

 

彼の頑固さはアンへの無償の愛にもつながっているはずです。

ですから悪いことばかりではなく、むしろアンの成長にとって不可欠な要素の1つだったかもしれません。

孤児のアンにとって、自分のことを信じきってくれる人と出会ったことはなかったでしょうから。

しかしアベイ銀行に全財産を預けていたことに関しては、その頑なさや義理堅さが仇となってしまいました。

 

胸の痛みの正体

マシュウ死去の報はまたたく間にアボンリーに広がりました。

村の人々が弔問のためにグリーン・ゲイブルズを訪れ、棺に収められたマシュウにお別れを告げています。

 

アンはその間一切泣きませんでした。

涙が出ないようです。

その一方で胸に言い表すことのできない「苦しさ」を覚えています。

 

自室に籠もり、この胸の苦しみの正体を自問するアン。

心の友である「ダイアナ」が今晩一緒にいようかと提案してくれましたが、アンはそれを断り、独りで過ごすことを選択します。

 

いつしか眠っていたアン、夜中にふと目を覚ますと、真っ暗の部屋の中にマシュウが立っていました。

眼前のマシュウはあの優しい笑顔で、アンに「わしの自慢の娘だ」と言ってくれるのでした。

46話にも言ってくれていたセリフですね。

そう言うと、マシュウはきびすを返して闇の中に消えていきます。

 

部屋に現れたマシュウは幻、マシュウが亡くなったことは幻ではありませんでした。

 

そこでようやくアンは自分の胸の痛みの正体に気がつくのです。

胸の痛みの正体、それは最愛の「父」を亡くしたこと。

父を亡くした事実がアンの身体に染み渡った瞬間でもありました。

 

実感が湧かないのも無理はありません。

人間は皆いずれ死ぬ。

理屈ではわかっています。

わかっていても、幼い子どもにとっては命は永遠に思えるもの、自分の父や母が死んでしまうなんてことは想像できないでしょう。

グリーン・ゲイブルズに来て以来ずっと一緒にいて、いつも自分を肯定してくれ大きな愛で包んでくれたマシュウがこの世を去るなんて、孤児院から来た当時のアンには現実的なことではありません。

すっかり大人っぽい外見になった今でもそれは同じこと。

親がこの世から姿を消す現実に直面しない限りは、リアルな質感を持つ出来事では無いのではないでしょうか。

 

父の死を実感した瞬間、アンは大粒の涙をこぼし、マシュウの名を叫びながら泣くのでした。

 

マリラの愛

2階から「娘」の鳴き声が1階まで響いてきます。

気がついたマリラは2階へ行き、アンに寄り添います。

 

そしてアンに「マシュウほどあんたを愛していないだなんて思わないでおくれ」「あんたのことは自分の腹を痛めた子のように愛おしいと思っているんだよ」「グリーン・ゲイブルズに来てからというもの、あんただけが私の喜びであり慰めだったんだよ」などと言うのですね。

 

マリラは厳格な人です。

アンに対してもいつも厳しく接していました。

そして自分の気持ちを言葉に変えることも苦手な人ですから、とても冷たい人間と受け取られてしまいがちです。

でも本当はそうではありませんで、特に心を許した相手にはたいへん情の深い人です、兄に似て。

この兄妹は揃って不器用で、生きるのが下手なのですよね。

 

そんなマリラにとっても最愛の娘アンに対して、マシュウと同じくらい愛しているよと伝えたのが先ほどの言葉でした。

 

アンはもちろん、ずっと前からマリラの愛に気がついています。

孤児の自分を受け入れてくれた瞬間から気がついているでしょう。

聡明なアンがそれに気がつかないはずがありません。

 

マリラの告白を聞いたアンはマリラにすがるように身を預け、そして泣くのです。

 

こんな男になりたかった

昔、子どもの頃に『赤毛のアン』を初めて観たときから、私にとって憧れの男の1人に「マシュウ」がいます。

 

内向的で寡黙、人、特に女性が苦手。

女性は苦手でもアンには常に優しく、常に肯定して、「アンなら絶対に上手くやるよ」と娘の成功を信じて疑わない心を持ち、娘のためなら苦手なことでも行動できる人です。

まぁしばしば逃げてしまうのですが。

そんなマシュウのように、大きな心で人を愛したいものだと思ったものです、子どもながらに。

 

おわりに

ということでアニメ『赤毛のアン』の47話「死と呼ばれる刈り入れ人」がとうとう放送されてしまったの記事でした。

 

本文中のセリフや解釈を間違えていたら申し訳ありません。

 

後はラストスパートですね。

アンとギルバートのあれがあれするところを見ないと。

 

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