ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

ディスディスブログ

朝ドラ『あさが来た』が156話で最終話を迎えたので総括的な感想を書きました

スポンサーリンク

NHK連続テレビ小説『あさが来た』の今日2016年4月2日放送の156話で、最終回を迎えました。総括的な全体の感想を書きます。

 

www.nhk.or.jp

 

  

『あさが来た』の総括的感想

headlines.yahoo.co.jp

 

個人的に久しぶりに全編楽しめた作品となりました。私は『あまちゃん』が21世紀で最もハマった朝ドラですけど、世間的には『あさが来た』が一番という方が多そうです。ただ、『あまちゃん』は現代劇で毛色も朝ドラの中では異色ですから他に比べる作品がないかもしれません。そういう意味で『梅ちゃん先生』や『花子とアン』が『あさが来た』の比較対象になり得るかなと私は思っていますけれども、あくまで視聴率の話ではありますがそれらよりも『あさが来た』が上回ったようです。私にとっても「明日の放送あくしろよ」と久々に思ったドラマでした。

上にリンクを貼った記事にもあるように、21世紀に入ってからの朝ドラ史上最高視聴率を『あさが来た』が記録することになりそうです。記事は2話残した段階での視聴率でしたが、昨日の155話と最終回156話が平均値を下げるものになるはずがないですから、21世紀の最高視聴率は間違いところでしょう。

 

 

主役も脇役も素晴らしい演技をしていました

ヒロイン白岡あさ(波留)と、あさの夫である新次郎(玉木宏)の仲睦まじい様子に、理想の夫婦像を見た視聴者も多かったことでしょう。あさの、ある意味豪胆な人物を決して下品に表現することなく、清潔感と品のある女性として演じていた波留さんの演技には感心しました。玉木さんも、飄々とした新次郎にぴったりな上品で涼しげな演技をしていて、特に年老いてからの演技は味わいすら感じさせてくれました。

また、日本を世界に並ぶ豊かな国に育てるべく奔走したあさの盟友の五代友厚(ディーン・フジオカ)、あさとは異なる道に進みながらも精一杯生きた姉の眉山はつ(宮崎あおい)、あさに厳しくも優しく接してくれた父の今井忠興(升毅)、あさの商才を信じ導いてくれた義父の正吉(近藤正臣)、へぇさん(辻本茂雄)とデキたっぽい美和(野々すみ花)といった脇役も主役に負けず魅力的な人物ばかりでした。

脇役が素晴らしかったからこそ主役が活きたでしょうし、その逆もまた然りでしょう。脇役が活きている作品は名作ですね。

脇役といえば他にも、あさの嫁いだ加野屋の、雁助(山内圭哉)と亀助(三宅弘城)の番頭コンビ、あさの幼少時からのおつきの女中だった「うめ(友近)」、はつのおつきの女中で後に亀助と結婚した「ふゆ(清原果耶)」、あさと新次郎の娘の千代(小芝風花)、あさと日本初の女子大学校を創設した成澤泉(瀬戸康史)といった人たちも皆が魅力的でした。

私は普段、朝ドラ以外のドラマはあまり観ないので、知らない俳優さんばかりです。『あさが来た』でもディーン・フジオカさんや、山内圭哉さん、三宅弘城さん、友近さん、小芝風花さんの演技は初めて観ました。

特に私が演技が上手だなぁと感じたのは升毅さんです。升毅さんは他のドラマで何度も拝見しましたが、政府のないところでも味わいのある表情をされていて、特に夜逃げした眉山の人たちの農作業を遠目から窺っていたときの演技は秀逸だったと思っています。素晴らしかったです。

それと小芝さんの演技も良かったですね。母あさとの確執、それもあさが事業に忙しくてなかなか対話できなかったことが原因で、好きだからこそ悲しくて、たくさん話したいけど自分から素直に言えなくて、そんなことからすれ違いが生じていた、母娘のジレンマを的確に演じていらしたように見えました。

友近さんも印象的です。バラエティ番組に出演しているところしか私は観たことがなかったので、友近さんの演技の巧みさは新鮮な驚きでした。雁助との叶わぬ恋を、ちょっとした表情の変化や顔の動きだけで表現している様子は、なかなかに味わいのあるものでした。

雁助の山内さんと亀助の三宅さんの掛け合いも面白かったです。この2人がいてこその加野屋というくらいに。

 

 

『あさが来た』の良くなかった点

完璧な作品というものはそうそうないでしょう。特に朝ドラは半年間の長丁場ですから、脚本の難しさは相当なものがあろうかと容易に想像できます。『あさが来た』にも良くなかった点というかツッコミどころというか、そういう部分もなくはなかったです。

例えば、あさが購入した九州の「加野炭坑」のサトシ(長塚圭史)のことです。本名は松造ですね。この話を引っ張りすぎたのではないかと感じています。後半というか終盤の物語の展開が急ぎ足になっていましたから、序盤のサトシの件をもう少しカットすることで終盤に余裕をもたせられたのではないかと思います。

サトシの話を要約しますと、さとしは炭坑夫の納屋頭で、大阪の人間を毛嫌いしており、あさを目の敵にしていました。あさが提案する炭坑の変革にも猛反発していて、炭坑の事故まで起こしています。事故後に現場から逃走したサトシは大阪に現れて、かつての友人である新次郎や亡き父の主であった正吉と話し合いを持って過去のわだかまりを解消し、警察に自ら出頭する、という話です。

サトシが出所してからの話をして、それが物語に活かされるのであるなら、サトシの話も尺を取る価値はあったと思います。ところが実際は出頭してそのままになっていましたからね……。

それと、あさと五代友厚が再び会うことになるきっかけが、脚本的にちょっと無理があるのではないかと思っています。あさは幼少時代に偶然に大阪の街で五代と出会い、ひょんなきっかけから五代の持っていた鉄砲があさの着物の袖に入ってしまい……という出会いでした。それから何年も経ってから、英国に留学していた五代が、英国でさっそうと自転車に乗る女性を見て、日本女性でもあさなら自転車を乗りこなせると思って、わざわざ手紙を寄越しました。あさのことを思い出すことにも不自然さを覚えましたし、21世紀の現在ならいざしらず19世紀当時に英国からあさの住む場所を探し当てることにも不自然さがありました。当時あさはまだ結婚していなかったでしたか?忘れましたが、結婚していなかったら初対面の大阪ではなく、あさは京都に住んでいましたから尚更あさの家を探し当てることは難儀だったことでしょう。無理があるかなぁと。

「ふゆ」も清原果耶さんがまだ14歳ということで、年齢的な齟齬が物語が進むごとに出てきてしまいましたね。ですから亀助と結婚して九州へ行ってから出番がまるっきりなくなっていました。九州から大阪に戻ってきても一度も「ふゆ」は出てこなかったかと思います。今日の最終回で亀助の娘として清原さんが出演していましたけれども。

 

 

おわりに

こんな感じです。書き忘れたことがあったり新たに書こうと思おうことができたら追記していきます。

いやぁ『あさが来た』最終回の演出は微妙でしたけど全体的には面白かったです。書いていた思ったのですが、江戸時代や明治時代を舞台にした物語で、戦争と内容とが直接にリンクしなかったことで、暗すぎる演出が少なかったことが、私が作品を楽しめたのかなと感じます。

暗いところというと、はつの嫁入り後しばらくですね。菊からのいけず、惣兵衛の蒸発、山王寺屋の夜逃げ、農家の納屋生活辺りくらいです。

戦争を扱うことは物語に強いインパクトを与えますから、ヒロインが苦難に遭うも、それに負けずに頑張る姿というものを視聴者に見せやすい題材の筆頭です。特に朝ドラでは。『あさが来た』は時代的な影響もあるでしょうけれども、あえて戦争とは深くリンクさせなかったようにも感じられ、安易に物語に戦争の苦難を取り入れない脚本家さんの意思というか意地のようなものを感じました。

次の『とと姉ちゃん』も安定した面白さのある物語になりそうな予感がありますので、楽しみです。

 

dysdis.hatenablog.com