ディスディスブログ

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秋風の病気の病名が判明。鈴愛と朝井がカエルのワンピースで急接近をしていました - 朝ドラ『半分、青い。』46話の感想

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NHK連続テレビ小説『半分、青い。』、2018年5月24日放送の46話で秋風羽織の病気が判明していたようなしていないような、そんな話でした。

以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

 

目次

 

 

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『半分、青い。』第8週「助けたい!」

www.nhk.or.jp

 

2018年5月21日月曜日から朝ドラ『半分、青い。』の第8週「助けたい!」の放送が始まりました。

物語の舞台は東京で、時代は1990年(平成2年)です。

本作のヒロイン「楡野鈴愛(にれの・すずめ、演:永野芽郁)」は楡野家の長女です。1971年(昭和46年)7月7日生まれの、第6週現在18歳、高校3年生。

鈴愛の実家の楡野家は、岐阜県にある東美濃市、東美濃(ひがしみの)というおそらく実在しない町の梟(ふくろう)商店街で「つくし食堂」を経営しています。

鈴愛の母が「楡野晴(にれの・はる、演:松雪泰子)」、父が「楡野宇太郎(にれの・うたろう、演:滝藤賢一)」、弟が年子の「楡野草太(にれの・そうた、演:上村海成)」、祖父が「楡野仙吉(にれの・せんきち、演:中村雅俊)」です。

祖母「楡野廉子(にれの・れんこ、演:風吹ジュン)」は、1980年時点で既に他界していて、空の上から声(ナレーション)のみの出演に変わっています。

鈴愛と同じ日同じ病院で生まれた幼馴染みが「萩尾律(はぎお・りつ、演:佐藤健)」です。

律の母が「萩尾和子(はぎお・わこ、演:原田知世)」、父が「萩尾弥一(はぎお・やいち、演:谷原章介)」で、律の家は写真店「萩尾写真館」を営んでいます。

鈴愛と律の同い年には「ブッチャー」こと「西園寺龍之介(さいおんじ・りゅうのすけ、演:矢本悠馬)」と、「木田原菜生(きだはら・なお、演:奈緒)」がいます。

ブッチャーの家、西園寺家は不動産屋を経営しているお金持ちの家です。

父が「西園寺満(さいおんじ・みつる、演:六角精児)」で、母が「西園寺富子(さいおんじ・とみこ、演:広岡由里子)」、姉が「西園寺麗子(さいおんじ・れいこ、演:幸田雛子)」です。

菜生の家は梟商店街の洋品店「おしゃれ木田原」です。

菜生の父は「木田原五郎(きだはら・ごろう、演:高木渉)」、母が「木田原幸子(きだはら・さちこ、演:池谷のぶえ)」です。

「岡田医院」の院長「岡田貴美香(おかだ・きみか、演:余貴美子)」も登場します。

 

鈴愛が小学3年生時、おたふく風邪が内耳に感染して急性発症する「ムンプス難聴」なる症状を起こして、左耳を失聴しました。

 

鈴愛は1990年現在、東京にある漫画スタジオ「オフィス・ティンカーベル」が登場しています。

ティンカーベルには、鈴愛が律から勧められてドハマリした漫画家「秋風羽織(あきかぜ・はおり、演:豊川悦司)」と、秘書の「菱本若菜(ひしもと・わかな、演:井川遥)」、アシスタントにユーコこと「小宮裕子(こみや・ゆうこ、演:清野菜名)」とボクテこと「藤堂誠(とうどう・まこと、演:志尊淳)」等がいます。

第6週から鈴愛がこのティンカーベルの雑用係「メシアシ」として働いていましたが、第7週で秋風のネーム原稿をゴミと間違えて捨ててしまい、秋風の逆鱗に触れ解雇されました。

 

律は、上京後住んでいるマンションで、同じ「セイホク大学」の法学部1年「朝井正人(あさい・まさと、演:中村倫也)」と出会っています。

 

 

秋風が病気を患っている?

鈴愛がティンカーベルに戻って以来、それまで自分にしか関心がなかった秋風が鈴愛とボクテとユーコに対して直接指導をしたり、新規の連載の仕事を仕事を持ってきた菱本さんに断りなく破談にしたり、菱本さんからすると異常な行動が目に付きます。

鈴愛と初めて出会ったトークショー&サイン会の頃から、全国から弟子を集めたいと言っていた頃からおかしいと彼女は感じていたようですが……。

そこで菱本さんが直接本人の部屋に言って問うと、秋風は「人を育てる時間が足りない」と答えます。

 

「もしかして再発しているんですか?」

 

やはり秋風は以前大きな病気を患ったことがあるようで、菱本さんはそれを心配しています。

 

「何を根拠に。馬鹿馬鹿しい」

「私は生きる、生きて生きて生きてやる。神に選ばれた者だ。私が死ぬ訳がない」

 

秋風は寝言は寝てから言ってくれと答えます。

答えましたが、「生きて生きて生きてやる」と「死ぬ訳がない」の発言はむしろ菱本さんの発言を認めているようにも受け取れます。

 

 

5分でいいから私より長生きして

「5分でいいから私より長く生きてください」

「私、先生のいない世界に生きる勇気がありませんので」

 

秋風にそう言って菱本さんは部屋を出て行きました。


この菱本さんの5分でいいから私より長生きして」の件は、漫画『めぞん一刻』の台詞から取っていると思われます。


「お願い…一日でいいから、あたしより長生きして…」

「もう、一人じゃ、生きていけそうにないから…」

 

「五代裕作」が管理人さん「音無響子」にプロポーズした際に、未亡人(今はそう呼称しないでしょうけどあえて書きます)である管理人さんは上記のような返事をしてプロポーズを受けるのですね。

元夫・惣一郎さんは管理人さんと結婚をして半年ほどした後、事故でしたっけ?突然亡くなっています。

もう愛する人の死を目の当たりにしたくない、という管理人さんの切実な言葉であると同時に、管理人さんにとって五代くんが亡夫・惣一郎さんと同じくらい(比べるものではないかもしれませんが)に大事な存在になっていることを示してもいる台詞です。

 

 

桃源郷へと赴く

別の日でしょうか、秋風は自分の部屋に置き手紙を置いて、誰にも話さずにどこかへ旅に出てしまいました。

秋風が行った先は、岐阜県東美濃市梟町梟商店街にある「つくし食堂」、要するに鈴愛の実家です。

愛娘の仕事の上司であり師匠である秋風の突然の訪問に驚きつつも厚くもてなす楡野家の面々、秋風は梟町を桃源郷と呼び、また晴子さんたちの人の温かさに触れ、涙していました。

晴子さんたちは秋風が訪れた理由もよくわかっていないでしょうし、病気のこともわかっていないのですが、電話で鈴愛に秋風が店に来て泣いていることを伝えていました。

 

 

秋風の病名が判明

ティンカーベルにて、クロッキーのモデルをしたバイト料を受け取りに来たのでしょうか、律が菱本のもとを訪れています。

スタジオは原稿を提出していて束の間の休み、菱本の他は誰もいません。

そこで菱本は秋風が律を気に入っているから読んできますと、秋風の部屋へ行きましたが、先述したように秋風は一人旅に出ていました。

知った菱本は落ち込み、律の前でお酒を飲んで、秋風の病気のことを話し始めます。

 

「5年前、『ガン(癌)』をやったんです、秋風」

「その時は手術をして助かったんです。だからああして元気に……」

「元気だったのに……これ(置き手紙を見せる)」

「……再発したんだわ……」

 

と言って菱本さんは泣き始めました。

律は側に行き、背中を撫でてやると……そこに鈴愛が入ってきて……っ!!

というところで46話が終わりました。

 

 

朝井とカエルのワンピース

鈴愛は「喫茶おもいで」から菜生に電話をかけていました。近況報告。

1990年当時話題だった「人面魚(じんめんぎょ)」のテレホンカードを使いたかったようですけど、おもいでにあるのは硬貨しか使えないピンク電話です。

 

電話では、先日一日だけ実家に戻っていたのに木田原家に挨拶に行けなかったことを謝っていましたが、菜生には既に情報が伝わっていて、鈴愛が忙しかったから仕方がないと理解を示してくれました。

 

鈴愛が上京する際に、餞別として贈った「カエルのワンピース」はもう来たかと菜生、鈴愛はまだ着てないけど、初デートのときに着ようと決めていると答えます。

彼氏ができたのかと驚く菜生に、これからだけどできたら着る予定なのだと鈴愛。

電話の途中から朝井も店に着ていて、大きな声で鈴愛が話すものですから、聞き耳を立てずとも会話の様子が耳に届いていたようで、電話を切った鈴愛にワンピの話をしています。

 

「カエルのワンピース、着たとき見せて」

 

そう言った朝井、聞き様によってはデートに誘っている発言です。

 

「カエルのワンピース、着たとこ見せて」or

「カエルのワンピース、着たとき見せて」

 

発言はどちらの意味かを確認する鈴愛、朝井は「着たときだけど?」と答えました。

つまり……?

そこで朝井も気がついたようです。

朝井的には「着たとこ」と「着たとき」はどういう意味の違いがあったのか……?

単に鈴愛がカエルのワンピを着ている様子を見たかっただけなのか、デートに誘おうとしていたのか、ですか?

 

 

おわりに

岐阜県というと内陸で、いわゆる「海なし県」ですよね。確か。

そんな岐阜にある「つくし食堂」が秋風に鮪など海魚を出すのは如何なものか、普通は川魚などを出すものだろうとと思われた方がいるかもしれません。

しかし、私はそこにこそ晴子たちの秋風へのもてなしの心があったように受け取れました。

というのも、海なし県に住んでいるからこそ海魚への憧れがある、輸送などにコストも掛かるでしょうから値段も張るでしょう。

当然、鮮度的には下がるでしょうが、1990年当時は2018年の今よりも手に入りにくかったことが考えられますし、彼らにとって海魚は特別な食材なのではないでかと思われます。

東京に住んでいてお金もたんまり持っている秋風にしてみれば、日頃から食べられる海魚などより岐阜で取れる川魚や野菜・山菜の方が良いのかも知れませんけれども。

晴子さんたちにしてみれば、単にそこまで頭が回らなかっただけかもしれないものの、今出せる精一杯のもてなしをしようとした結果だったことでしょう。

秋風は、そういう晴子さんたちの「もてなしの心」を感じ取ったことも、彼が涙を流した理由の一つかな、と私は思いました。

 

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