NHK連続テレビ小説『わろてんか』、2018年3月21日放送の142話では思い出の「南地風鳥亭」とお別れをしました。そしてとうとうアレが届いています。
以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。
目次
『わろてんか』第25週「さらば北村笑店」
2018年3月19日月曜日から朝ドラ『わろてんか』は第25週「さらば北村笑店」の放送が始まっています。
『わろてんか』の時代設定は昭和14年(1939年)秋頃からのスタートだったでしょうか。
本作のヒロイン「北村てん(きたむら・てん、演:葵わかな)」は、17週に夫の「北村藤吉(きたむら・とうきち、演:松坂桃李)」を亡くし、以降「北村笑店(きたむら・しょうてん)」社長に就任しています。
籐吉との間にできた子ども「隼也(しゅんや)」は、アメリカのショービジネスに興味を持ち、通っていた大学を退学して渡米しました。帰国後は北村笑店で下働きをしていましたが第24週現在は大阪に居ません。
隼也は「加納つばき(かのう・つばき、演:水上京香)」と駆け落ちをする道を選んで、「てん」から勘当されています。
現在、隼也は神奈川県の川崎で(したっけ)の工場に勤めていて、「つばき」の間には「藤一郎」という名の子どもができました。
「てん」の従兄弟の「武井風太(たけい・ふうた、演:濱田岳)」が専務、「てん」の経理を手伝っていた「トキ(演:徳永えり)」は育児中心の生活から再び業務に戻っています。
「てん」のかつての見合い相手で、籐吉の親友でもあった「伊能栞(いのう・しおり、演:高橋一生)」は、トーキー映画を扱う映画会社から不動産、百貨店など手広く手掛ける「伊能商会」を経営しつつ、北村笑店の役員として「てん」を支えています。
「風鳥亭」の元席主「亀井庄助(かめい・しょうすけ、演:内場勝則)」は北村笑店の従業員のままのようです。
「万丈目吉蔵(まんじょうめ・きちぞう、演:藤井隆)」は、芸人を辞めて北村笑店文芸部の部長として、漫才のネタを書く作家業に専念していました。一時はお笑いの慰問団「わろてんか隊」のメンバーとして、妻の「万丈目歌子(まんじょうめ・うたこ、演:枝元萌)」との夫婦漫才を再開していましたが、25週現在再び執筆業に戻っているようです。
かつては「てん」のライバルだった「杉田楓(すぎた・かえで、演:岡本玲)」は、北村笑店文芸部に入ってネタの台本を書いています。
藤吉の芸人時代からの仲間で、しゃべくり万歳でお笑い界のトップに立っていた「キース(演:大野拓朗)」と「アサリ(演:前野朋哉)」はコンビを解消、キースは東京で新しいコンビを組み活躍し、アサリはピンの漫談家として活動していましたが、現在はコンビ再々結成です。
「岩さん(がん・さん、演:岡大介)」は亡くなっているようですね。
「てん」のライバル「リリコ(演:広瀬アリス)」は映画俳優から女芸人に戻って、栞が連れてきた「川上四郎(かわかみ・しろう、演:松尾諭)」と「ミス・リリコ・アンド・シロー」として「北村笑店」の看板芸人になりました。
一時は芸人を辞めて上海へと旅立つものの、再び日本に戻ってコンビを再結成しています。
伊能栞がアメリカへ
1939年から始まっている「日中戦争」は、戦火が拡大の一途をたどっています。
戦争の影響は日本社会に色濃く出てきており、北村笑店や伊能フィルムなど娯楽に関係する事業は軍から国策に沿う内容のものを制作するよう要請を受けています。
そんな中で、伊能栞は自らの会社「伊能商会」から追い出されるように社長を退任し、北村笑店の映画部へと転入しています。
そこで「てん」や風太とともに笑いを日本中に届けるための映画作りをしてきました。
映画のタイトル『お笑ひ忠臣蔵』です。
当初、この『お笑ひ忠臣蔵』の脚本は検閲にかからなかったのですが、「新世界キネマ」という東京のライバル会社からと思われる密告により検閲保留となってしまいます。
栞は、検閲保留となった理由が自分である、自分がいる限り脚本は検閲を通らないことを察していて、誰にも気づかれないうちに辞表を提出しアメリカへ発つ決意を固めました。
が、風太と「てん」に見つかり、必死の引き止めに遭い、退社をせずにアメリカへ行くことになります。
「てん」が退社することを許さなかったのです。
しかし、栞がこのまま北村にいても脚本は通らない、栞自身がカラー映画の作られるアメリカに行って勉強したいと言っている……
それなら、栞の籍は北村に置いたまま、社長「てん」の任を受けてアメリカへ海外出張する名目で彼のアメリカ行きを許可する、という策を講ずることになりました。
芸名統制令
昭和15年(1940年)3月、「芸名統制令」なる法律が施行されたようです。
内務省が、外国のものをありがたがることは良くないから、洋風(特に英米?)の名前はいけないと芸名を改めさせるもの、 みたいです。
これにより、キースは「喜助(はくらいや・きすけ)」、アサリは「浅利(うしお・あさり)」になり、コンビ名も「喜助と浅利」になりました。
リリコもシローもアウトで、リリコは「凛々子(はだの・りりこ)」、シローは「四郎」、コンビ名も「凛々子と四郎」になりました。
万丈目夫妻が奈良へ
昭和16年(1941年)12月、太平洋戦争が開戦となります。
北村笑店お抱えの芸人たちも次々に召集がかかり戦地へ赴き、中にはその先で戦死する人も出てきてしまっています。
そんな中、吉蔵が倒れました。
自分が脚本を書いた芸人たちが兵隊に行ってしまう、そう思いつめて、戦争に行って戦っている皆が戻ってきた時のためにも脚本を書いて書いて書いて書いて……。
何とか大事には至らずに済みましたが、しばらくの間は養生が必要と「てん」たちには判断されます。
本人はそれを拒み脚本の執筆に戻ろうとしますが、妻の歌子にも止められ、「てん」にもうちらと北村のためにも休んで欲しいと言われ、奈良へ発つことになりました。
脚本は楓に任せて、吉蔵は歌子と夫婦2人で奈良の温泉でゆっくりするようです。
戦争が終わって芸人たちが大阪に戻ってきたら、そのときは吉蔵もまた元気に活動をする、そのときのために力を蓄えると。
「南地風鳥亭」と赤紙
昭和18年(1943年)1月、北村笑店が買い取った「通天閣(つうてんかく)」が火事で焼け落ちました。
翌昭和19年(1944年3月)、大阪府庁から「建築疎開」のお達しが届いて、「南地風鳥亭」が取り壊されることになりました。
建築疎開とは、空襲による火事の拡大を抑えるためのものです。
南地の風鳥亭は、10店舗ほど拡大した時に移転した北村の本拠地だったはず。
その思い出深い寄席小屋を取り壊すことに……
「てん」や風太は何とか取り壊しを回避しようと奮闘したようですが、それも願い叶わず、凛々子やキースたち芸人も一緒に寄席の引っ越しをするために片付けをしていました。
そんなある日、「てん」の家にある男が訪れます。
男は役所の兵事課の事務員の方でしょうか、彼が「てん」に手渡したものは「赤紙」でした。
「召集令状」
当たり前ですけど「てん」への召集ではないですよ。
かつて家を飛び出して駆け落ちをして、川崎の工場で働いている息子の隼也への召集です。
とうとう来てしまいましたね。
おわりに
この流れだと隼也は生きては戻って来られないでしょうね……。
ていうか『わろてんか』の最終回はどうなるのでしょう?
この様子だと戦争が終わらないまま終わってしまう可能性もありそうなのですけれども?
戦争が終わったところで終わりでしょうか?
戦争によってたくさんの大事な人を亡くしてしまい、それは悲しいことだけれども、戦争も終わったことだし、これからは笑って生きていきましょうみたいなオチな可能性がありそうです。