『レッドタートル ある島の物語』が、興味深い意味で面白かったです。
『レッドタートル』は2018年1月2日火曜日(1日月曜日の深夜)に日本テレビの「映画天国」枠にて地上波初放送されていました。
以下、ネタバレ要素を含みますから、バレても構わない方のみ下にスクロールしてください。
目次
アニメ映画『レッドタートル ある島の物語』
『レッドタートル ある島の物語』(以下、レッドタートル)は、「スタジオ・ジブリ」のアニメ映画です。
ジブリ映画にも関わらず「金曜ロードShow!」で放送されなかった作品です。
ってことはつまらないんじゃ? と思いますよね。
私も観る前は思いました。
本作は「マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット」というオランダ人監督が手掛けています。
「宮﨑駿(みやざき・はやお)」さんでも「高畑勲(たかはた・いさお)」さんでもありません。
それが日本で目立っていない原因かもしれませんね。
しかし本作は『カンヌ国際映画祭』の「ある視点部門特別賞」を受賞しています。
YouTubeの予告動画を貼っておきましょう。↑のリンクからご覧になってください。
『レッドタートル』の概要と特徴
どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?
嵐の中、荒れ狂う海に投げ出された男が九死に一生を得て、ある無人島にたどり着いた。
必死に島の脱出を試みるが、見えない力によって何度も島に引き戻される。
絶望的な状況に置かれた男の前に、ある日、一人の女が現れた−−。
『レッドタートル 』の物語はこのような感じになります。
Storyページから抜粋しました。
本作の最も大きな特徴は「セリフがない」こと。
叫び声や嗚咽などはありますけど、しっかりとした会話はありませんでした。
波の音、風の音などSEはあります。
BGMは……ありましたっけ? 記憶がないです。
登場人物は主人公の男と女、2人の間にできた子どもの3人しかいません。
名前もなかったはずです。
セリフがないので名前を設定する必要がなかったのでしょう。
ここまで読んでもやっぱりこの映画って本当に面白いの?と疑問を持たれる方が多いかと思います。
この『レッドタートル』は確かに『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などのような派手なアクションや感動的・印象的なセリフはありませんから、どうしても地味になってしまいます。
しかし、こういう地味ではあるものの、人生とは何かを考えさせられる作品こそ、正月のゴールデンタイムの時間帯に放送していただきたかったです。
キャッチコピーは引用の冒頭にある「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」です。
そういうことを家族一緒に考える時間があっても良いのではないかと思います。
赤亀はどうして女になったのか?
観た人なら誰しもが思うであろう、最も重要な疑問は「赤亀はどうして女になったのだろうか?」ということです。
観ていない方は、こいつは一体何を言っているのだ? と思うかもしれません。
どういうことか説明をしますと、概要にも書いたとおり、男は何度も無人島からの脱出を試みて、そして失敗をしています。
最後に脱出をしようとする少し前に、男は海岸でアシカの死骸を見つけ、このアシカの死骸は近い未来の自分の姿だと強く認識したことで、これまでよりも頑丈で大きなイカダを作りました。
これまでにないほど強い覚悟をもって脱出を図ったのです。
それでも駄目だったのですね。
イカダは大きな赤い海亀がぶつかったことによって壊されました。
男が無人島に戻された後に、その赤亀もどういう訳か浜に上がってきてました。
亀にイカダを壊された男は逆上し、浜に上がってきた亀に対して木の棒を思いっきり振り下ろして、亀の頭を殴りつけます。
さらに、男はぐったりとした赤亀を裏返しにし、そのまま炎天下に放置、赤亀は動かなくなりました。
冷静になった男は亀を死なせたことを後悔したようでした。
ある日、裏返しのまま放置していた亀の甲羅の下側部分が突然に割れ、その中には女が入っていて横たわっていたのです。
亀の肉部分が消えたかと思ったら女になっていました。それが男と女の出会いです。
この物語は男と亀が夫婦になる?といった現実的な理解や解釈をするタイプの話ではなく、「鶴の恩返し」のような民話やおとぎ話の類として観た方が良いもの、と私は思っています。
どのように観るか、どのように解釈するかは自由だけれども。
話を戻しまして、どうして赤亀は人間の女になったのか? その疑問の答えはシンプルで、「男のことが好きだから」「男に惚れたから」なのだと思います。
あるいは赤亀は島の化身・意思が具現化した存在なのかもしれません。
男を気に入った赤亀は、離したくないという思いから男が脱出することを阻み続け、それでも男が脱出をしようとするから、仕方なく自分から浜へ上がって寄り添おうとしたのではないかと私は考えています。
しかしそんな亀の想いとは裏腹に、逆上した男に殴りつけられました。
その結果、亀は瀕死の状態、あるいは死んでしまいましたが、男を想う亀の気持ちが人間の姿を変えさせたのではないでしょうか。
そこに何か大きな意志が介入しました。
男が見た橋と楽器を弾く人間の意味は?
話が前後して恐縮ですが、男と女が出会う前、男の前に突如として橋が出現したり、オーケストラほどではないのですが楽器を弾く人間(?)たちが眼の前に現れるシーンがありました。
それはいずれも男が見た幻想でしょう。
この2つのシーンは無彩色になっていたと思いますので、現実とは分けて捉えられそうです。
橋は島を出ていきたいという気持ちから、楽器を弾く人たちは無人島にいる孤独感から。
以前の生活に戻りたい・人に会いたい・人に触れたい想いから生じたのかなと思います。
子どもが島を出ていった理由は?
男と女の間に男の子が生まれました。
しばらく平穏に暮らしていて、子どもも少年期から青年期に移行するくらいに成長しています。
ところがある日、突然に津波が襲ってきて島を飲み込み、親子も飲み込まれてしまい離れ離れになりました。
女と子どもは島の中で再会しました。
ところが男がいません。
子どもが海に出て泳いで捜索をすると、流木でしたっけ、に捕まっている男を発見、男が力尽きて海に沈みそうになったところを助けていました。
その後、子どもは島を出て、3頭の亀と一緒に海へ泳いでいきました。
子どもが島を出ていった理由は、観たまま素直に受け取って良いかと思います。
親離れ、自立ですね。
亀と一緒に……という点から考えるに、子どもは人間の姿をしていますけど、やはり亀なのです。
幼い頃から陸より海の方が性に合っているようでしたから、どこか陸地に向かうというより海そのものへ出ていったのでしょう。
おわりに
物語の最後は書きません。
映画を観た後に改めて思うことは、キャッチコピーの「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」が全てを物語っているのだなということですね。
この映画は人の一生が描かれています。
男と女と出会って、結婚をし、子を育て、家族で数々の困難を乗り越え、子が巣立つところを見届け、夫婦の生活に戻り、そして……という。
そういう人生とは、を考える意味でたいへん興味深い、面白い作品でした。
映像は夜空の星の描写や海の描写がとても綺麗でした。
南の島の浜辺で寝そべって夜空を眺めているような気分になります。
本文に書いた私の解釈はあくまでも私の解釈であって、絶対的な解釈ではないと思います。
感じること考えることが何より大事だと思います。
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