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最終回!A106は失敗作でスクラップ?午太郎と博志が「A107」の開発に着手しました。ウランちゃん? - アニメ『アトム ザ・ビギニング』12話「ビギニング」の感想

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2017年4月15日土曜日23:00より、NHK総合にてアニメ『アトム ザ・ビギニング』が放送されています。

以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次 

 

 

アニメ「アトム ザ・ビギニング」

atom-tb.com

 

2017年7月8日の放送は第12話「ビギニング」でした。最終回です。

 

 

イントロダクション

これは、まだ誰も知らない“鉄腕アトム”誕生までの物語(エピソード・ゼロ)
大災害後の日本に、未来を夢見るふたりの天才がいた。ひとりは天馬午太郎。もうひとりはお茶の水博志。天馬はその手で「神」を作り出すことを、お茶の水はその手で「友」を作り出すことを夢見て、日夜ロボット研究に明け暮れていた。そしてふたりの友情が生み出した1体のロボット、A106(エーテンシックス)。A106は果たして「神」になるのか「友」となるのか。若き天才コンビは、来るべき未来を垣間見る---。

このようなイントロダクションです。私は原作未読です。

 

 

12話(最終回)「ビギニング」

12話、最終話は10話から行われていた「ロボレス」こと「ロボットレスリング」の大会の後日談です。

主人公の2人、練馬大学ロボット工学科第7研究室でロボット研究をしている大学院生「天馬午太郎(てんま・うまたろう)」と「お茶の水博志(おちゃのみず・ひろし)」の2人が研究・開発しているロボット、二つ名「心優しき科学の子」の「A106(えー・てん・しっくす)」は決勝戦まで勝ち上がり、ロボレスの現チャンピオン「Dr.ロロ」のロボット「マルス」たちを破って初出場・初優勝を成し遂げました。

A106は機体の性能面ではマルスに完敗していましたが、AIでは勝っていたようです。A106は意図せずマルス(のAI)に対してクラッキングをし、マルスのAIは混乱をきたしたようです。マルスは機能停止をし再起動できませんでした。

 

戦闘のラストに「茂斗子さん、俊作さん、天馬様、お茶の水さん、蘭さん、さようなら。あぁ、僕は……僕は……一人ぼっちのまま、壊れてしまうんだな……」と思ったA106は、7研に戻ってきて再起動されていました。マルスにも午太郎にもスクラップされていません。

博志はA106のメモリをリセットしたと言っていました。しかし、A106というか自立型AI「ベヴストザイン」は過去を覚えているようでした。断片的な記録が残っており、修復プログラムによってつなぎ合わせている様子。

最終話はまだ研究室で動くことができないA106の視点で物語が展開されています。

 

研究室で主の午太郎と博志は喧嘩を始めていました。理由はもちろんA106です。

午太郎がA106に対して失敗作の烙印を押して、次作「A107(えー・てん・せぶん)」の開発とベヴストザインのさらなる発展に着手しようとしているからです。博志はA106を直してやろうとしています。

A107の設計図は出来上がり、推定ではA106の軽々と2倍のパワーは出せるとのこと。当然スピードも当然向上します。

最終的には仲直りして博志はA107の開発を協力することにし、午太郎もA106の修復を認めたのでしょう。A106は直されていて、A107のテストに使われていました。

 

ベヴストザインに「感情」を加えてみる、と午太郎は言っていました。彼はまだA106に自我が芽生えていることを気がついてないようです。

また、練馬大学のロボット工学科「堤茂斗子(つつみ・もとこ)」が、ロボレス決勝戦時にA106が何らかの通信を行っていることを発見し、博志が詳しく調べると対戦しているロボットたちと通信を行っていること、(時間的に)マルスと戦っているときにも通信をしていて、マルス側の短い通信を受け取った直後に戦闘が終了していることを突き止めました。

突き止めましたがそれが何を意味するかまではわからなかった様子です。A106が会話をしていた・会話をしようとしていたとは思わなかったみたいですね。

 

 

AIに「感情」を加えること

博志は、午太郎がベヴストザインに感情を加えてみると言ったときに、漠然とした不安があると言っていました。それはロボット開発の大きなテーマにつながることではないかと考えます。

ロボットに感情が入ることによってロボットの行動に制限が加わることはないのか。

例えば、複数の人間を助けなければならないケースで、感情が入ったAIはどのような行動を執るのでしょう?

A106が全く知らない人と博志の妹「蘭(らん)」から同時に助けを求められ、2人の距離的にどちらか1人しか助けられないとしたら、どちらから助けるのでしょう?

見知らぬ人の方がより危機的な状況だったとしたらそちらを助ける、言い換えると蘭を見捨てるでしょうか? それとも自分を好いてくれている蘭を助けるでしょうか? 蘭を助けていたら見知らぬ人は死んでしまう可能性があったとしても。

最悪な事態は、その葛藤によって前回のマルスのように機能停止をしてしまったり「どちらも助けない」選択をしたりすることです。感情がなければプログラムで定められた行動を執るだけですから最悪の事態は避けられそうです。

 

人間とロボットの境目はどこにあるのか。機械の身体か生身の肉体かだけで分けられるのか。『攻殻機動隊』のように、生身の身体でも電脳であるならばそれはロボットなのか人間なのか、機械の身体でも人間時代の脳を移植したならばそれはロボットなのか人間なのか、タチコマのように完全な機械でもAIに自我が芽生えたならばそれはロボットなのか人間なのか。そもそも人間とは何なのか。

こちらは前回11話の感想記事で私が書いた文章です。こういう問題も生じる可能性は高くなるでしょう。人間とは何なのか。

いずれ映画『ターミネーター』のスカイネットができるかもしれませんよ、これは。

 

 

おわりに

ということで『アトム ザ・ビギニング』が終わりました。

最終話のサブタイ「ビギニング」が何のビギニングかは、A106の新しい門出に対してでしょうか? 午太郎たちのロボット開発の中心はA107に移ったことで、A106はそういう意味で自由になった訳ですから。

ロボットとは何なのか人間とは何なのか、自分という存在は何なのかを自問する時間が本格的に始まったということでしょう。

そういった部分は『鉄腕アトム』にも繋がっていくところでしょうから、この後に『鉄腕アトム』を観るとより楽しめるかもしれないですね。

 

本作全体の感想は、あまり面白く感じられなかった、というのが正直なところです。私の中で期待値を高く設定しすぎたようです。

特にテンポが良くなかったです。原作漫画のコマとコマのつなぎ合わせの部分が上手くいっていなかったのかな、と思います。

ロボレスの1回戦から戦ってきた相手が味方になってくれることはバトルもののテンプレです。その戦友たちがA106の戦闘中にあれやこれやとやり取りをすることが多く、それが戦闘の妨げになっているように私には感じられました。会話も滑っていたので余計に。

それと物語の進行のテンポも良くなかったように思います。幾つかの回は丸々要らなかったので、その分物語をどんどん進めて欲しかったです。最終回をこうしようというのが先にあったのでしょうか。

個人的に期待してたロボレスも期待ほどは盛り上がらなかった印象でした。そもそもロボレスの大会まで到達するのが遅すぎました。それまでに離れてしまった視聴者も少なからずいたのではないかと。

ロボレスの戦闘は、A106としては対戦相手を破壊しない・できないですから、地味になりがちな点は仕方ないにしても、相手を機能停止させて勝つやり方は少々興醒めします。「ハメ技」みたいで。

ロボレスは「(ロボット)レスリング」なのですから、テクニカルフォールの概念が加えられれば、破壊しなくてももっと気持ちの良い勝ち方はできたのではなかろうかと思います。そうすると、より『プラレス3四郎』感が出てしまうので避けたかったのでしょうか。

とはいえ、A106の苦悩(自我をもつこと)のところは個人的にとても興味深かったです。もっともっと時間を割いて良かった。戦闘はマルスの他の強いライバルも登場させてもらいたいです。2期があるなら是非。

 

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