ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

ディスディスブログ

勉強になる。高浜虚子『俳句の作りよう』をAmazonのKindleで無料購入し読んだ感想を書きました

スポンサーリンク

先日、何となくAmazonを見ていたら、Kindleに「高浜虚子」の『俳句の作りよう』なる本が無料で読めることを知りました。

 

目次

 

スポンサーリンク

俳句好き

私は「俳句」が好きです。

 

dysdis.hatenablog.com

dysdis.hatenablog.com

 

テレビ番組ではEテレ『NHK俳句』やTBS『プレバト!!』を観ています。

 

dysdis.hatenablog.com

dysdis.hatenablog.com

 

ラジオ番組でも『文芸選評』や、『R1 NHKラジオ第1』 で放送されている番組『らじるラボ』の火曜日の1コーナー「ラボ句会」を聴いています。

ラボ句会へは投句をして、ありがたいことに何度か採用されました。

トータル3回採用されているかと思います。

 

dysdis.hatenablog.com

 

愛媛県松山市が運営している、俳句投稿サイト『俳都松山 俳句ポスト365』にも、近ごろは投句しています。

俳句ポスト365のルールが変更されてしまいましたが、それまで4回連続で入選しています。

 

『俳句の作りよう』

『俳句の作りよう』についてです。

 

俳句の作りよう (角川ソフィア文庫)

俳人であり小説家の「高浜虚子」が記した、初心者向けの俳句講座とでも言えばよいでしょうか。

 

高浜虚子

「高浜虚子」について。

 

高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。

『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。

 

高浜虚子 - Wikipedia

 

高浜虚子のWikipediaには上記引用部のように書かれています。

 

清から虚子ですか。

私は高浜虚子の句集も小説も一度も読んだことがないです。

国語の教科書に掲載されていれば読んでいるのでしょうけど、自分から本を買ったり借りたりして読んだことはないと思います。

 

青空文庫

インターネット図書館、『青空文庫』のことをは皆さんご存知と思います。

 

www.aozora.gr.jp

 

『青空文庫』では著作権が消滅した作品を読むことができます。

著者が掲載を許可したものも読めるでしょうか。

高浜虚子の作品は2021年現在、『青空文庫』で読むことができます。

 

Amazon Kindle

今回、私は『Amazon』を何となく見ていたところ、今回ご紹介している『俳句の作りよう』の存在を知りました。

 

俳句の作りよう

Kindleにあり、無料で購入できることでさっそく購入しダウンロードしました。

 

青空文庫よりKindleが良い

「俳句の作りよう」はブラウザでも読むことができます。

 

www.aozora.gr.jp

 

『青空文庫』のwebサイトに作品全文が掲載されています。

 

けれども私はどうも『青空文庫』のwebサイトから読むことが苦手です。

何でしょう、妙に読みにくさを覚え、読もうとしても続かないのです。

 

俳句

 

『青空文庫』の文章が横書きだからかもしれません。

上の画像は『青空文庫』の「俳句の作りよう」です。

横書きですね。

 

俳句

Kindleで読む場合は縦書きになっています。

画像は手持ちのiPadにダウンロードして『Kindle』アプリで表示した「俳句の作りよう」です。

縦書きですね。

 

「フォント」や「行間」の問題もあるかもしれません。

青空文庫のサイトはゴシック体。

一方Kindleはフォントに明朝体を使っていることもあって読みやすいです。

フォントについてはブラウザ側の設定もあるでしょう。

しかし『青空文庫』を読むためだけに、わざわざフォント設定を変更するのも煩わしいです。

行間も青空文庫が狭すぎ、Kindleの方が適度に行間があって読みやすいです。

 

これらの違いは個人的には大きかったです。

青空文庫のサイトよりKindleの方がずいぶんと読みやすく、続けて読むことが苦になりません。

 

「俳句の作りよう」を読んだ感想

高浜虚子『俳句の作りよう』を読んだ感想です。

感想は一言「わかりやすかった」です。

難しい言葉遣いこそあっても、初心者が理解しやすいように、苦心して文章を書いていることが伝わります。

 

読むのが遅いと思われる私でも数時間で読み終わるほどの文章ボリュームです。

新字新仮名ですので、普段本を読む習慣のない方でもさほど苦労することなく読むことができるのではないでしょうか。

 

17字並べること

まずは17文字で俳句を作ってみようというところから、話が始まっています。

難しいことを考えず、また始めから難しいことをやろうとせず、「何でもいいから十七文字を並べてごらんなさい」と虚子は言います。

 

本当にそのとおりだと感じます。

私も最近ラジオや投稿サイトに投句するようになった初心者です。

初心者は上手い俳句を詠みたくなるものです。

少なくとも私はそうでした。

しかし、とりあえず上手い下手は脇に置いて、身の回りに起こったことでも目の前にあるものでも何でも、まずは17文字並べてみました。

正しくは17音ですね。

すると案外詠めるものです。

当然『NHK俳句』などに投句されている上級者の皆さんの俳句とは比べるまでもなく低いレベルの句ではありますが。

 

虚子の作句を覗く

この作品の興味深いところは、作句時の虚子の脳内をのぞけることが一つあると考えます。

同時に、当時の虚子の生活や大正時代の風習を垣間見える点も良いです。

 

例えば2章の「題を箱でふせてその箱の上に上って天地乾坤を睨めまわすということ」。

ここに季語「年玉」を用いた虚子の作句の様子が書かれています。

 

年玉といっても現在のようにお金ではなく、プレゼントをいただくもののようです。

クリスマスプレゼントのようなものを年始にしていたという。

そういうふとした文章から、時代による風習の違いを知ることもできます。

 

年玉について虚子自身の思い出をいくつか書いていくと、もうそれだけで俳句ができていました。

続けて、年玉のことばかり考えていると発想が縛られてしまうから、一旦年玉から離れて、いい「配合物」を求めて、それを年玉と結びつけることを提案します。

いわゆる「二物衝撃」や「取り合わせ」と呼ばれるタイプの俳句ですね。

 

3章「じっと眺め入ること」では、二物衝撃とは異なる作句の方法が紹介されています。

目の前に起こった事象を「じっと眺め入る」ことで作句をする方法です。

虚子は二物衝撃よりも、こちらと次の「案じ入る」こととをより勧めているようです。

 

「鎌倉神社」、これはどこでしょう。

現在、鎌倉神社という名の神社は存在しましたっけ?

鶴岡八幡宮か鎌倉宮のことを指しているのでしょうか。

 

虚子はその鎌倉神社の脇に溝を見つけたことに触れています。

溝には水がたくさんあり、日の光がその上に落ちて春らしい暖かさと春先らしい寒さをみせ、水の中には木ぎれや、ゴミのようなものもところどころ浮いており、その代わりに水は濁っておらず、よく見ると水の底には赤茶けた泥が透けて見えていた。

写生するがごとく、つぶさに観察すること。

その溝の水の写生から句を作ったり、それに関連した出来事をつなげて作ったりしています。

 

さらには、松尾芭蕉の弟子の一人「去来(きょらい)」を挙げて、4章「じっと案じ入ること」を紹介しています。

「湖の水まさりけり五月雨」

去来の句です。

虚子による去来の句の鑑賞が入るのですが、この虚子の鑑賞がとてもよいのですよね。

「案じ入ること」とはそういうことかとわかると同時に、今の私には無理な鑑賞だなと思える内容になっています。

そのくらいに深い鑑賞に感じられ、また去来の句の凄まじさを私ごときでも知ることができました。

この去来の句を取り上げている箇所は本作でも大好きで、既に何度か読み返しています。

 

この序章から4章くらいまでの言葉は具体的で、初心者が俳句を始めるにあたっての大きな示唆があるように思います。

 

天と地、新しさと古さ

天と地、新しさと古さについて語っています。

 

1章にこのようなことが書かれています。

 

私は十七字、季題という拘束を喜んで俳句の天地におるものであります。この拘束あればこそ俳句の天地が存在するのであります。

(略)

狭いはずの十七字の天地が案外狭くなくって、仏者が芥子粒の中に三千大千世界を見出みいだすようになるのであります。

 

この天と地の話は、自由と不自由に置き換えてもよいかと感じられます。

自由は不自由があって初めて感じるものだと虚子は言っているのであろうと。

正しい解釈かわかりませんけど、私は引用部を読んでそのように感じました。

 

また7章ではこのようなことが書かれています。

 

新しいと申すことは古いことを十分に研究した上で申すべきことであります。「新」ということは相対のことであります。十分に古いことを研究せねば何が新しいのだか古いのだか判ろうはずがありません。

 

まさに故きを温めて新しきを知る。

先ほどの1章の天地に通ずるものがあるように私には感じられます。

重要な指摘です。

 

心得のようなもの

本作を読んでいて、特に印象に残る箇所がありました。

 

はじめから個人性の発揮されたものでなけりゃならぬとか、斬新なものでなけりゃならぬとか、そういう無理な注文をして奇怪な句を作るようなことをせず、おもむろに、確実に、その人相応の力をこめて、沈着な心持で、急がず騒がず勉強することをすすめるのであります。そうすれば個人性は出すまいとしても自然に出ます。清新な句ももとめずともできます。

 

それが上記引用部です。

 

「はじめから個人性の発揮されたものでなけりゃならぬとか、斬新なものでなけりゃならぬ」

とりわけこの部分は耳の痛くなる、いや読んでいて目が痛くなる話です。

初めは格好いいことを詠みたくなってしまうものですよねぇ。

自分には才能があると思いたい、あるいは思われたいですから、ついつい自分の力より上の俳句を詠もうとしてしまいます。

 

『プレバト!!』でもそうですよね。

格好いいことやロマンチックなことを詠んだ気になっているだけで、周囲や視聴者に想いが伝わってこない俳句が取り上げられるところを、そこそこの頻度で目撃します。

傍から見ている分には、その「初心者ならではの痛々しさ」のようなものはわかります。

しかしいざ自分が作句するとなると、なかなか自分の句を客観視できないものです。

 

虚子はそういう私のような俳句初心者に向けて、いきなり良い句を詠もうとは思わないで、勉強に勤しみなさいと教えてくれています。

俳句の勉強に勤しんでいれば、個性など出さないようにしても自然と出てしまうものだというところは特に心に留めておきたいです。

心得として。

 

おわりに

ということで高浜虚子の『俳句の作りよう』をAmazonのKindleで無料購入し読んだ感想を書いた記事でした。

 

虚子の俳句講座の著作は他にもあるようです。

『俳句とはどんなものか』とか『俳句への道』とかがそうでしょうか。

 句集も読みたいです。

 

俳句の作りよう

俳句の作りよう

  • 作者:高浜虚子
  • 発売日: 2016/12/09
  • メディア: Kindle版
 

 

スポンサーリンク