2019年5月26日日曜日、TOKYO MX2の「キネマ麹町」枠にて映画『イージー・ライダー』が放送されました。
私は本作を今回始めて視聴しました。
映画を観た感想を書きます。
目次
TOKYO MX2「キネマ麹町」
TOKYO MXのサブチャンネルMX2にて「キネマ麹町」という映画が放送される枠があります。
サブチャンネルなので見落としがちかもしれません。
なかなか面白い作品を放送してくれるので、私はマメに放送をチェックしています。
例えば、2019年6月の上映スケジュールを見ると、9日日曜日は『トゥルーマン・ショー』、同日『バーチュオシティ』、16日日曜日は『スター・トレック』、23日日曜日は『ミスター・ロンリー』、同日『ファイナル・カット』、30日日曜日は『チャッピー』というラインナップです。
映画『イージー・ライダー』
2019年5月26日日曜日は『イージー・ライダー』が放送されました。
アメリカン・ニューシネマの最高峰
ワイルドなロック・ナンバーをバックに60年代アメリカに生きる若者が自由を求めスピリットが爆走する!! 1969年・米
60年代、それはイージー・ライダーの時代だった。さまざまなムーヴメントに揺れるアメリカを風のように駆け抜けたふたりのライダー。彼らの生き方を通して時代を映し出した野心作。ザ・バンド、ステッペンウルフ、ジミ・ヘンドリックスとワイルドなロック・ナンバーが満載。
放送データには上記引用部のような説明テキストがありました。
- キャプテン・アメリカ:ピーター・フォンダ
- ビリー:デニス・ホッパー
- ジョージ・ハンセン:ジャック・ニコルソン
- カレン:カレン・ブラック
- 監督:デニス・ホッパー
ジャック・ニコルソンが出演しているのですよねぇ。
ピーター・フォンダはヘンリー・フォンダの息子さん、ジェーン・フォンダの弟さん、ブリジット・フォンダのお父さん。
デニス・ホッパーは多才な方でしたねぇ。
と言うほど詳しくは知りませんけど俳優も監督も、写真や絵もやっていましたよね、確か。
そもそもの話をさせていただきますと、私は古着が好きです。
1960〜80年代のアメリカのスタイルが特に好みです。
同じ時代の映画やドラマを観ることも好きです。
当時の映画やドラマを観ることで、当時の風俗や考え方など社会のあり方、もっと言えば時代そのものが少しわかるような気がします。
ファッションにフォーカスを当てて観るならば、2019年現在の私たちがアメリカ古着やアメリカン・ヴィンテージなどと呼んでいる洋服を、当時のアメリカの人々が「新品」の洋服としてどのように着ていたのか、それがわかります。
だから当時の映画やドラマを観ることが好きという側面が、私の中にはきっとあるでしょう。
それだけでもないと思いますけど。
人生で一度は観ないとなと以前から思っていた作品の一つだったこともあり、今回の『イージー・ライダー』の放送を観ました。
『イージー・ライダー』の感想
映画『イージー・ライダー』の感想です。
正直な感想は、内容はあってないようなものだと思いました。
メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(ニックネームはキャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレーダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるルイジアナ州ニューオリンズ目指して旅に出る。
イージー・ライダーのWikipediaには上記引用部のように書かれていました。
一言で言えば「ロードムービー」ですか。
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作。
上記引用部のようにも書かれています。
チョッパーのハーレー・ダビッドソンに乗ったキャプテン・アメリカとビリーの2人が旅をする映画です。
アメリカン・ニューシネマは、1960年代後半から1970年代半ばにかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す呼称。
アメリカン・ニューシネマのWikipediaには上記引用部のように書かれています。
流行っていたみたいです。
1969年という時代を知る
本作を観るために、上映された時代に世界では、特にアメリカでは何が起こっていたかを知っておく必要があるだろうなと思いました。
本作の上映は1969年とのことですから、製作されたのは68年以前になろうかと思います。
私が生まれる前のことなのでわからないことばかりですけど、先述したように古着が好きなこともあって何となくは知っているつもりです。
1960年代のアメリカは、キング牧師が暗殺されたり、ケネディ大統領が暗殺されたり、キューバ危機があったりと、激動の10年だったようです。
加えて、終わりの見えない「ベトナム戦争」で国や国民が徐々に疲弊していき、反戦や反体制のムードが全米で高まりを見せ、サマー・オブ・ラブやウッドストックなど「ヒッピー」のムーブメントが大きなうねりを生み出していました。
認識や理解を間違えていたら申し訳ありません。
本作はそういった1960年代終盤のアメリカのリアルが描かれていたと思います。
2人はヒッピーのコミュニティーに訪れていましたし、主人公を含む若者たちがドラッグにまみれていましたし、使われている音楽もステッペン・ウルフだったりジミ・ヘンドリクスだったりのロックなところは、モロ1960年代終盤のアメリカの大きな側面を映し出しているでしょう。
コミュニティのシーンではなぜか、イヴォン・シュイナードを思い出しました。
特に意味はありません。
後年に色々な意味付けをすることは可能かもしれませんけど、本作はそういう背景を知った上で(私が理解できているかわかりませんが)、観たままを素直に受け止めればそれで良いんじゃないかなと思いました。
少なくとも私にとってはそういう作品でした。
逆に言えば当時の時代背景を知らないまま本作を観ても、意味がわからないのではないでしょうか。
最後のシーンのなぜ?
物語の最後、どうしてキャプテン・アメリカとビリーの2人が農夫にショットガンで撃ち殺されてしまったのか?
この点についても、私は「アメリカのリアル」で片を付けました。
君らを怖がっているんじゃないよ。
君らが象徴しているものを怖がっているんだよ。
君たちが象徴しているのは「自由」だよ。
自由にも二通りある。
君の言う自由と奴らの言う自由とは似て非なるものなんだよな。
彼らは自由ってやつをマーケットで物を買うようには買う訳にはいかないことはよく知っているんだよ。
でも冗談にも奴らを自由じゃないなんて言っちゃ駄目だよ。
そんなこと言ったら皆、人殺しをしてでも自分が自由だってことを証明しようとするからさ。
なるほど皆、個人の自由とかについてはよくしゃべるよ。
しゃべるのはそれは楽だからね。
だけど、口先だけだよ。
「違う自由」がそこに現れると、怖くてしょうがないんだ。
そう、かえって凶暴になるんだよ。
ジョージ・ハンセンが殺される前に発していたセリフです。
ジョージが殺された理由も、キャプテン・アメリカとビリーが殺された理由もこういうことです。
2人のように、女性のような長髪で細身の男がバイクにまたがり気ままな旅をする若者たちは、毎日畑を耕すだけで精一杯の生活を続けている南部の貧しい農家たちにとって「枠」の外側の存在で、害悪でしかなかったでしょう。
ジョージが言うところの「自由」を2人に見てしまったのです。
2人を撃ち殺した農夫たちにとって、瘋癲(ふうてん)の2人はゲイやヒッピーと何ら変わりがなく、自分たちの自由を証明するために殺して構わない存在だったのでしょう。
道中では街の人々、特に成人の男性から、2人がその容姿からゲイに映っている様子も見られました。
襲撃されたことも、ホテルの宿泊を断られてことも、根っこは同じでしょうね。
そういう現実が当時のアメリカにはあった、ということ。
2019年現在もあるかもしれません。
当時の日本にだってあったでしょう。
形は多少異なっていたかもしれませんけど。
学生運動をしている若者たちに対して、社会はどう見ていたか。
おわりに
ということで、TOKYO MX2で放送された映画『イージー・ライダー』の感想記事でした。
ワイアットのニックネームが「キャプテン・アメリカ」で、背に星条旗が描かれたライダースを着て、燃料タンクに星条旗をペイントしたハーレーにまたがり、そのタンクが爆発して大金もろとも死ぬ。
背景や物語の内容を踏まえて考えると、皮肉が凄いです。
それにしても、日本でチョッパーのバイクを見てもあれな感じしかしないのですが、アメリカの荒涼とした大地を疾走するチョッパーバイクは格好良かったです。
いや、憂いを帯びた表情のピーター・フォンダが乗るチョッパーバイクが格好良かったのかもしれません。
私の理解が足りない、解釈が間違えている、そういうこともあると思います。
その場合はご容赦ください。
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