ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

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Eテレ『日曜美術館』で特集された「田淵行男」さんの写真集が欲しい!写真もデザインセンスもカッコイイです

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Eテレ『日曜美術館』の「まだ見ぬ頂を目指して〜山岳写真家 田淵行男〜」を見て「田淵行男」さんという写真家さんを初めて知りました。

山の写真が素晴らしかったことと、彼が作った本のデザインが良かったことで、録画を何度も繰り返し視聴ています。

 

目次

 

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Eテレ『日曜美術館』

『日曜美術館』は毎週日曜日09:00からEテレで放送されています。

 

www4.nhk.or.jp

 

「日曜美術館」は1976年4月の放送開始以来、今年度43年目に入ります。その伝統ある番組に新しいキャスターを迎えます。

2015年の芥川賞作家で、現在立教大学の教授でもある小野正嗣さんです。フランスに留学した経験もあり、西洋絵画や写真が好きで、伝統的な日本の織物などの工芸にも興味があると言います。小野さんとともに日曜美術館は新たな歴史を刻みたいと思っています。

また今年の12月からはスーパーハイビジョンの本放送が始まります。4Kという新しい技術で各地の美術館を紹介したり、現代アートの作家も取り上げられないかと検討中です。

もちろん、これまでのように絵画、彫刻、工芸、写真、書……。多彩な作品をじっくり鑑賞しながら、その裏に隠された意外な事実や、芸術家の格闘、さらには驚きの技法から時代の息吹まで、美にまつわる珠玉の物語を伝えるスタイルも健在です。スタジオには、アートに思いをよせるゲストをお招きし、独自の視点で語っていただきます。

『日曜美術館』の番組説明です。

 

2018年度から司会が「小野正嗣(おの・まさつぐ)」さんになりました。

小野さんと、もうお一方は、NHKの「高橋美鈴(たかはし・みすず)」アナウンサーで、高橋アナは番組を担当するのは2年目だったと思います。

 

まだ見ぬ頂を目指して〜山岳写真家 田淵行男〜

2019年1月6日日曜日に放送された『日曜美術館』は、「まだ見ぬ頂を目指して〜山岳写真家 田淵行男〜」というサブタイトルでした。

山岳写真家であり高山蝶研究家として有名な「田淵行男(たぶち・ゆきお)」さんを扱っています。

 

おさなくして両親と死別した田淵は、その心の穴を埋めようとするかのように自然の美しさにのめりこんでいった。

山岳写真を芸術の域まで高めたとされる技術も、後に学会でも高く評価される蝶の研究や、細密画も、プロをもうならせたアルバム装丁のセンスも、そのすべてが独学。

その情熱を支えたものは何だったのか。若き写真家、石川直樹とともに田淵行男の実像に迫る。

という今回の放送の番組説明でした。

 

スタジオゲストは探検家であり写真家である「石川直樹(いしかわ・なおき)」さんでした。

石川さんはスタジオだけでなくVTRにも登場していて、田淵の足跡をたどるように安曇野を訪れ、田淵の山岳写真がどの場所でどのように撮られたものかを探っていました。

 

写真集の装丁デザインが素晴らしすぎる

今回の日曜美術館で個人的に最も感動したのは、田淵さんのアルバムの「装丁(そうてい)デザイン」です。

 

田淵はたくさんの「アルバム」を制作していました。

アルバム内に使われている文字は全て紙を切り抜かれたもので、自らを写したの写真を立体的に見えるようにデザインしたり、地図を素材に使ったり。

また、田淵が好きだったという「ゴゼンタチバナ」などの花や、ロープのシルエット、山小屋のスタンプも紙を彫刻刀で切って作り出していました。

 

家庭にあるただ写真を整然と並べるだけの写真アルバムではない、見る人を楽しませるレイアウトと余計なものを削ぎ落とした構成の技術にあふれる、極めて完成度の高いアルバムに仕上がっていました。

デザインの勉強をした訳ではないそうで、にわかに信じられないレベルです。

 

番組では1940年のアルバムが紹介されていて、1940年というと日本は太平洋戦争に向けて突き進んでいく時代、日中戦争は既に始まっています。

そんな時代に、あれほどデザインセンスのあふれるアルバムを個人レベルで作ってしまう人がいたのだと、私は大きな衝撃を受けました。

 

しかも、田淵はこれらのアルバムを家族や友人に見せるだけで、アルバムが長い間世に出ることはなかったのだそう。

アルバムの数は20冊、ページすると800ページにも及んでいるとのことで、それらが全て家族や友人のために作られていたというのですから驚きです。

大本をたどれば自分の楽しみのため、ですね。

 

山の意匠―田淵行男写真集 (1971年)

アルバム制作の技術が、後に出版される山岳写真集の制作にも生かされています。

田淵が世に出した写真集は36冊、そのほとんど全てを自らがレイアウトを行っています。

番組では『山の意匠』という写真集が紹介されていて、これがまぁ素晴らしすぎるくらいに凄いのです。

『山の意匠』は田淵が66歳のときに刊行された写真集。1971年。

 

「そこには山で出会える美しいものをありったけ詰め込んだ『おもちゃ箱』のような世界が繰り広げられています」

 

とナレーションがありました。

そのとおり、写真のレイアウトの自由さだったり紙の色が黒かったり、田淵が訪ねた山小屋の焼印やスタンプのコレクションだったり、ロープとヤギか何かの動物の頭蓋骨だけを写したページがあったり、田淵さんが山が好きだという気持ちが伝わってくるものでした。

 

ナレーションは「写真を発表する場としての写真集から、山を感じられる本へ」とも。

 

VTRで映ったのはごくわずかな内容と思いますけど、そのわずかな内容だけでも山へ行ってみたい、あの花を見てみたい、チョウを見てみたい、山小屋に行ってみたい、そう思わせるワクワク感があります。

写真集と聞いてイメージする写真集では全然なくて、山の案内をする本を読んでいるような感覚に陥りそうです。

田淵さんが、山や草花、チョウのどういうところを好きなのか、どうして山に登っているのか、それを楽しく聴かせてもらっているような、そんな感覚に。

 

リトレックⅠとカートベンツィン

田淵さんが長く愛用していたカメラは「リトレックⅠ」というカメラです。

 

私は趣味で写真をしますけどカメラには疎くて、この「リトレックⅠ」というカメラの存在を今回の放送を観るまで知りませんでした。

ウイスタ - Wikipediaの情報によれば、リトレックは『WISTA』社で製造された一眼レフカメラシリーズのことで、リトレックⅠはその第1作みたいです。

 

リトレックⅠは1956年に発売されています。

 

「寒さに強く、南極観測にも使用されたカメラ。冬山での信頼性も高く、長く田淵の相棒を務めました」

というナレーションがありました。

 

前述のウイスタのWikipediaによれば120mmフィルムを使っているとのことですから、「中判カメラ」の位置づけになるのでしょうか。

「レンズは専用レンズボードに装着されたセコール105mmF3.5が付属した。交換レンズは設定されなかったがレンズボードに取り付けることにより手持ちのレンズを使用できた。」とも書かれています。

 

www.wista.co.jp

 

WISTAは2019年現在も存在する会社なのですか。へぇ。

 

また、田淵は戦前、「カートベンツィン」なる一眼レフカメラも使っていたそうです。

番組ではカメラの名前がテキスト表示されていなかったため、音を耳で拾ったものですから、「カートベンツィン」が正しい音や表記かはよくわかりません。

 

使っていたと思われるカートベンツィンは1914年に発売されたもの。

当時の大卒初任給が70円くらいの時代に、この種のカメラは200円から400円ほどの値段がしたそうですから、下手をすると半年分の給料が必要なくらい高価なカメラだったということです。

 

カートベンツィンは折りたたみタイプの一眼レフなのでしょうか、胴体の一部が蛇腹になっているように見えました。

ファインダーはカメラ上部にあり、カメラをお腹に抱え込むように持ち、覗き込むようにしてファインダーを観て、身体の正面の対象を写す、そういう仕組のカメラになります。

ネガにあたる感光材料はフィルムではなく「ガラス乾板」です。

ガラスの表面に薬品を塗っていて、そこに写真を写し込むタイプ。

 

何枚もガラス乾板を持ちながら山を移動して撮影をしていたのですね……割れやすいでしょうし、重いでしょうし、重さから持っていく枚数も限られるため「念のため」の撮影などできないでしょうし……1枚撮影するにも覚悟がいったはずです。

撮りきったところで良い対象に出会えても撮ることができない……辛いなぁ。

 

『田淵行男 山岳写真傑作集』

『アサヒカメラ』の臨時創刊として、『田淵行男 山岳写真傑作集』が刊行されました。

 

publications.asahi.com

 

番組では『田淵行男 山岳写真傑作集』が刊行された年を言っていなかったと思いますが、田淵行男 - Wikipediaを調べたところでは1951年のことです。

 

それまで無名だった田淵はこの写真集によって鮮烈なデビューを飾り、一気に名を知られる存在になったそう。

発売後10日で完売されるほどの売れ行きだったと。

 

それまでの山岳写真というと、山に登ったことのない人に対して誰がどの山に登ったかを説明するものだったものが、田淵は1人の人間・芸術家が山に入っていって山の本質を芸術家の視点で捉えたものであった。

これまでの山岳写真とは全く異なる提起がなされたことで、登山に興味持つ人だけではなく他の読者にも受けたのではないか、というようなことを写真評論家の方が番組で仰っていました。

新しい山の写真が始まった、夜明けを迎えた瞬間だったようです。

 

浅間山でしたっけ、田淵さんが山を撮影した写真を見て、石川直樹が撮影場所を探すのですが、その写真がカッコイイんですよね。

コントラストが強めの、山肌と立ち上る水蒸気の荒々しさが。

 

おわりに

田淵は高山蝶の研究家としても有名な人だったそうです。チョウ。

田淵は子どもの頃からチョウの精密画を描いていて、非常に精巧な絵でした。

そういう見る目が幼い頃から養われていたからこその山岳写真だったのでしょうし、レイアウトなど装丁デザインの才能にも生かされていったのでしょうね。

しかし、幼少期から両親と死別して大変な孤独を味わってこられたみたいで、チョウなどが自身の孤独を忘れるためのものだったかもしれないと考えると寂しさも覚えます。

 

番組では田淵が研究した高山蝶の「ミヤマモンキチョウ」の飛行ルートについて紹介していて、ミヤマモンキチョウには聞き覚えがあるなと感じていました。

記憶をたぐると、私が大好きなPS2のゲーム『ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇』で、「トッテン山」の頂上で採取できたチョウのうち1種類がミヤマモンキチョウだったような気がします。

 

いやぁ、面白かったですね。

冒頭にも書いているとおり、もう何度も繰り返し観ています。なかなか飽きが来ないんですよ。

『山の意匠』も読んでみたいですねぇ。

 

『日曜美術館』の再放送は毎週日曜日の20:00から放送されています。

2019年1月13日20:00から田淵さんの再放送があると思いますので、気になる方はぜひご覧になってください。

 

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