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鹹水から「煎熬」をし「苦汁」を取って塩を作りましたが - NHK朝ドラ『まんぷく』32話の感想

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NHK連続テレビ小説『まんぷく』、2018年11月6日放送の第32話は、萬平たちの塩作りでした。

以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

目次

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『まんぷく』6週「お塩を作るんですか!?」

www.nhk.or.jp

 

朝ドラ『まんぷく』は、2018年11月5日月曜日から第6週「お塩を作るんですか!?」が放送されています。

物語の舞台は昭和21年(1946年)5月の大阪です。

 

ヒロインは「立花福子(たちばな・ふくこ、演:安藤サクラ)」です。

福子は今井家の末娘です。貧しいながらも愛情をたくさん受けておおらかに育った楽天家で、食べることが大好きな人です。

「大阪東洋ホテル」のフロント係として働いていましたが、第3週のラストに萬平と結婚をし、同時にホテルを退職しました。

結婚したことで名字が今井から立花に変わりました。

第5週では太平洋戦争が終わって疎開先の上郡から大阪に戻って、後述する克子の家に家族で居候していました。

 

福子の母は「今井鈴(いまい・すず、演:松坂慶子)」、福子の長姉は「咲(さき、演:内田有紀)」、次姉「克子(かつこ、演:松下奈緒)」です。

 

咲は年齢30歳前にして「小野塚真一(おのづか・しんいち、演:大谷亮平)」と結婚をし、名前も小野塚咲となりましたが、昭和17年春、結核を患い亡くなりました。

真一は戦争時に軍から召集を受け中国へと出征していましたが、30話で日本に無事戻ってきました。

 

克子は名字が「香田」です。夫がいます。

夫は売れない芸術家・画家「香田忠彦(こうだ・ただひこ、演:要潤)」で、長女「タカ(演:岸井ゆきの)」、次女「吉乃(よしの、演:濱田優音)」、長男「重之(しげゆき、演:栗田倫太郎)」、次男「学(まなぶ、演:西村竜直)」の4人の子どもがいます。

家計は苦しく香田の実家から援助をしてもらっている様子。

忠彦は真一と同様、戦争中に軍から召集を受け、彼はフィリピンへと出征していましたが、こちらも帰国しています。しかし照明弾の光を受けて色の判別ができなくなっているようです。特に赤と緑の。

色の判別がつかないことは画家としては致命的ではありました。一度は諦めようとしていた忠彦でしたが、結局止められずに「ならでは」の絵を模索することになりそうです。

 

福子の父は1話時点で既に他界しています。色々な物に手を出した挙げ句に亡くなったのだそう。鈴が言うには山師だったと。

 

福子の女学校時代からの友だちには、専門学校に通う「鹿野敏子(かの・としこ、演:松井玲奈)」とタイピストの学校に通う「池上ハナ(呉城久美)」がいて、大阪東洋ホテルの先輩でフロント係の「保科恵(ほしな・めぐみ、演:橋本マナミ)」とも仲がよくなっています。

2人とも戦時中に結婚をして、敏子が鹿野から「桑原」姓に、ハナが池上から「水島」姓に変わっています。

 

福子と結婚したのは発明家「立花萬平(たちばな・まんぺい、演:長谷川博己)」です。

「理創工作社(りそう・こうさくしゃ)」は戦争の空襲によって完全に破壊され、同時に会社も解体されたようです。

戦中は憲兵隊に捕まり拷問を受けてからなかなか体調が戻らず、疎開先でも療養に努め、戦後は大阪の香田の家でハンコ屋を始め生計は立っていました。

第6週からは家族で大阪の泉大津へと向かっています。

 

萬平の周りは、萬平を裏切った元共同経営者「加地谷圭介(かじたに・けいすけ、演:片岡愛之助)」、萬平を評価したり捨てたりする世良商事の社長「世良勝夫(せら・かつお、演:桐谷健太)」がいます。

加地谷は戦後、闇市でハーモニカを吹いて金を集めて何とか暮らしているようです。世良は闇市の業者をしており、萬平に泉大津の物件を紹介しています。

「たちばな工房」から萬平たちの下で働いていた「竹ノ原大作(演:宮田佳典)」は、戦争で出征した後の生死は不明のままです。

 

咲に惚れていた歯科医「牧善之介(まき・ぜんのすけ、演:浜野謙太)」は、恵と結婚をしています。

牧と恵は戦後2ヶ月ほどで福子たちと無事に再会しています。

福子に惚れていたホテルの調理室係「野呂幸吉(のろ・こうちき、演:藤山扇治郎)」は、後に恵に鞍替えしていましたが、戦争で軍に入隊をして以降の消息は不明です。

 

5週では「神部茂(かんべ・しげる、演:瀬戸康史)」が登場しています。神部は香田の家に忍び込んだ泥棒でしたが、萬平たちに許されるとそのまま香田の家に住み着きました。大阪帝大卒の秀才。

 

赤穂の塩

福子と萬平、鈴、神部の4人が、香田の家から「泉大津」にある軍の施設だった倉庫に引っ越すことになりました。家の前には海が広がっています。

家には80枚ほどの大きな鉄板が放置されていて、それを何かに使えないかと思案していたところ、4人で食べていた「清香軒(せいこうけん)」のラーメンの塩気が少ない話から、塩作りを思いつく萬平でした。

塩と言えば兵庫の「赤穂(あこう)」ということで、萬平は翌日、神部を連れて赤穂の塩田へと向かい、塩作りを教わっていました。

 

入浜式塩田

訪れた塩田では「入浜式塩田(いりはましき・えんでん)」という製法で塩を作ってます。

 

遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。日光と風力で水分を蒸発させ、その一方で、作業員が鍬で砂を反転させ、十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水を注いで濾過させることで海水の5~6倍の濃度のかん水を得る。

- 塩田 - Wikipedia

塩田のWikipediaにはこのように書かれています。

引用部のようにして「鹹水(かんすい)」を作って、鹹水を鍋で煮詰めてら塩を作る作業を「煎熬(せんごう)」というそうです。

劇中では会話だけで、詳しく図解されるようなことがなかったので詳しい作り方はよくわかりませんでしたが、引用部と劇の映像で何となくわかりました。

 

ちなみに、海水1リットルから30グラムの塩が採れるそうです。3%。

 

着物を売る

萬平たちが塩作りを学んでいる間、泉大津で福子と鈴は何をしていたかというと、生活のための「資金集め」です。

地元住民に挨拶挨拶がてら、手持ちの着物を野菜などの食糧や金銭に替えてもらっていました。

 

特にありがたかったのは、前回再会した福子の親友「ハナ」の家「水島家」でした。ハナの夫「水島賢作」は泉大津の地主です。

賢作は「松木賢三」さんが演じています。

賢作は福子が妻の親友ということもあって、着物や帯を高く買い取ってくれました。ありがたい。

でも、売った着物は鈴さんが大事にしてきた「留め袖」で、鈴さんは落ち込んでいました……ちょっと可哀想でしたね。ちょっとだけですけど。

 

塩は作れたか?

夜になり、萬平と神部が帰ってきました。

一緒に夕飯をと待っていた福子たちでしたが、萬平は早速翌日に塩作りを実践するための準備に取り掛かってしまい、お預けです。

福子は家主が作業が終えるまで自分も食事を待っているつもりのようでしたが、萬平はそのようなことを気にする性分ではありませんで、先に食べていなさいと言うものですから、鈴は我慢できずに一人食べていました。

 

翌日、天候は快晴。萬平と神部は塩作りに取り掛かります。

 

鉄板の上に木材をV字状にしたものを砂浜に持っていき、少し斜めに設置、天日で十分熱した後、鉄板の上(V字の広い方)から下(V字の細い方)へと海水を流し、下に置いた桶に落とします。

海水が鉄板を伝っている間に水分は蒸発し、桶に流れた頃には塩分濃度がわずかに上がっています。これを繰り返してどんどん濃度を上げて「鹹水」を作るのです。

 

鹹水が出来たら次は「煎熬」。鹹水を鉄鍋に入れ、火にかけて煮詰めていき、「塩の花」を作ります。

塩の花を作れたら、ザルの上に手ぬぐいを敷き、その上に塩の花を盛り、さらに余分な水分を落としていきます。

この余分な水分は「苦汁(にがり)」です。

苦汁は豆腐を固めるために使うあれですね。豆腐のことは『あさイチ』の朝ドラ受けトークで「博多華丸」さんが仰っていました。

 

茶色い

ひとしきり水分を落としたものが「」です。萬平たちにとって初めての塩作りでしたが無事に成功させることができました。皆で大喜びです。

ただ一人、鈴を除いて。

鈴は出来上がった塩が茶色いことが気になっているのです。でも萬平たちは塩を作れたことが嬉しくて色のことまで気にしていませんでした。

 

萬平は茶色い理由は鉄板の鉄が混ざっているだけだと言っていましたが……これは製品として売るときには大きなネックになりそうですね。

真っ白な塩と比べれば当然ながら粗雑品粗悪品と見なされて低い値が付けられることでしょう。

 

おわりに

今の作り方ですと、大量生産することで今回以上に鉄分が増えていきそうですけど……塩分と同時に鉄分も摂取できる塩だと売り込むのでしょうか?

 

これまた華丸さんが言っていましたが、塩作りと言うと同じ朝ドラの『まれ』ですねぇ。塩田で塩を作っていましたね。

ていうか私は華丸に言われた思い出しました……まれたち家族が世話になった桶作の家で塩を作っていたすっかり忘れていました。

 

今回、久しぶりに萬平が生き生きとしている様子が描かれていました。やはり発明を思い浮かべてその実現に向かってあれこれ動いているときが一番輝いています。

 

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