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最終回!あきらと店長の結末がどうしてああなったのか、意味がわからなかったです - アニメ『恋は雨上がりのように』12話の感想

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毎週金曜日00:55(木曜深夜)より、フジテレビ「ノイタミナ」枠にてアニメ『恋は雨上がりのように』が放送されています。

2018年3月30日の放送は第12話「つゆのあとさき」でした。最終回。

以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

 

目次

 

 

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アニメ『恋は雨上がりのように』

www.koiame-anime.com

 

2018年3月30日の放送は第12話「つゆのあとさき」でした。

12話が最終回です。 

 

 

12話(最終話)「つゆのあとさき」

最終回、結論から書きますと、2人は今のところは付き合いませんでした。

 

 

あきらは再び走り始める

本作のヒロイン、風見沢高校2年生の17歳「橘あきら(たちばな・あきら)」は、右足首、アキレス腱の怪我から陸上部を退部していましたが、陸上を再開することにしています。

10話の時点で怪我は治っていることが判明していて、後は「あきら」の気持ち次第ということでしたが、最終回で再び走り始めることを決意し、親友の「喜屋武はるか(きゃん・はるか)」にLINE(?)でそれとわかるメッセージを送っていました。

走り始めると言ってもすぐに走れる訳ではなく、リハビリからということです。

 

 

店長は書き始める

「あきら」のアルバイト先のファミレス「ガーデン」の店長「近藤正己(こんどう・まさみ)」も、一時期離れていた小説の執筆を書き始めていました。

書いた小説のタイトルは『恋は雨上がりのように』、タイトル回収ということでしょうか。

 

前回、店長の大学時代からの親友で、今はテレビにも出演するくらい売れっ子作家となっている「九条ちひろ(くじょう・ちひろ)」が、店長に「書けないのではなく書かない」のだろうと指摘していました。

「たった一行でいい、猛毒を落としたい。たった一人、その一人の心を毒で侵したい」

その夢一個への執着に生きる決意を再び固めた、ということでしょう。

 

「自分にもね、約束をし直したんだ。仕舞いっ放しになっていた約束を」

「(小説ですか?)うん、書いてる。全然思うようには書けていないんだけどね」

「でも、凄い楽しい。守れぬ約束にまた約束を重ね、約束に苦しみ、そして約束に教えられた」

「ただ一つ、文学に寄り添い生きると交わした自分との約束、これだけは果たしたいと思って」

「もしかしたら、橘さんもあるんじゃない? 忘れている自分との『約束』が」

 

店長は「あきら」にこう言って、「あきら」がリハビリを再開させる決意を固める後押しをしています。

 

 

ラストシーン

ラストシーンは店長が仕事で本社へ行こうとして、必要なファイルを事務所に忘れてしまったため、バスに乗り遅れてしまいます。

そこへ気がついた「あきら」がファイルを持って追いかけて、手渡しました。

 

店「(走った右足は)大丈夫?」

あ「雨はもう上がります」

店「いつか、僕らそれぞれが約束を果たしたら……」

あ「教えます。すぐに、必ず」

 

こういう会話がありました。

そこで2人は別れて、それぞれに心の中でこう言うのです。

 

あ「忘れない」

店「忘れない」

あ「時が過ぎても」

店「どこにいても」

あ「明日を教えてくれた人を思い出す」

店&あ「雨上がりの空を見るたびに」

 

これがラストシーンでした。

付き合う=ハッピーエンディングであるならハッピーエンディングにはなっていないです。

しかし再会を予感させる結末になっていますから、決して悪い終わり方ではないかなと思いました。

 

 

ラストシーンの意味がわからない

悪い終わり方ではないのですが、でも正直、ラストシーンというか結末の意味がよくわからなかったです。

少々強引に終わらせてない?と思いました。

 

いや、わかるんですよ。

「あきら」が怪我のため陸上の夢を諦めてしまい、病院の帰りに雨に降られ雨宿りをしたファミレスで偶然に店長と出会って恋に落ちた。

言い換えれば、心に隙間が生まれたときに、店長がその穴を埋める存在として丁度良いタイミングで現れたので、「あきら」はのめり込んでいきました。

店長に逃げたとも受け取れるかもしれません。

けれども、店長や「はるか」の支えや励ましもあって再び陸上に向き合うことに決めた、つまり心の隙間を作った原因で隙間を埋められたから、店長とは一旦離れてることにした、ということですよね。

 

店長もそうです。

妻や子と別れ、年齢も年齢になったことで、小説を書き続ける夢を諦めてファミレスの店長の仕事をしてきました。

そんな中で「あきら」と出会い、彼女が(読んでいないけど)自分の書く小説がきっと好きだと言ってくれたことで、彼女一人だけにでも心深くに届くような小説を書きたいという思いを持つことができた。

店長も文学に挫折してできた隙間を再び文学で埋めることができたから、一旦「あきら」から離れることにしたのでしょう。

 

このことは物語の始まりの頃から予想がついた結末です。

付き合ったり結婚したりするだけがハッピーエンディングじゃない、ということですよね。

 

でもですよ、陸上をするにしても恋はできますし、執筆するにしても恋はできます。

2人とも何故か夢と恋愛のどちらか一方しか選べない縛りを設けてしまっていますけど、それは両立できることだと思うのですよね。

できない人もいるでしょうけど。

でもそもそも天秤にかけることではないのではないでしょうか。

 

夢を諦めたときと夢を再び追いかけ始めたときの決定的な違いは、「あきら」には店長という存在がいて、店長には「あきら」という存在がいるということです。

しかも、お互いが相手のおかげで再び立ち上がることができたと認識できていて、お互いが好きでい続けているのですから、別れる理由は全くないのに……と私には思えるのです。

 

作者や脚本家さんが、物語の結末を上手く描けなかったから、無理矢理に終わらせてしまった感もあります。

 

 

だって作品タイトルは『恋は雨上がりのように』ですよね?

 

恋は、「雨上がり」のよう、なのです。

最終回の傘の表現から受け取れるのは「雨=挫折」で、その解釈が合っているならば、2人の「恋」は最終回の雨が上がった(=挫折から再び立ち上がった)ところから始まらなければ、タイトルとの整合性はないのではないでしょうか?

恋=2人の夢ということでしょうか。

ん〜、それもなくはないですけど無理があるというか、それだと何か結論ありきで考えているだけなような……。

 

先ほども書いたように、2人の恋は成就しない結末はかなり早い段階から予想できたことです。

でも、「挫折から立ち上がり夢を再び追い始める」と「2人が一旦離れる」は必ずしもイコールでは結びつかないのではないか、と私には受け取れてしまいました。

また、タイトルを『恋は雨上がりのように』とするのなら、2人が付き合う結末になった方が自然と思います。

 

何も私は、おっさんと「JK」が付き合う物語にして欲しい訳ではないのです。

漫画『うさぎドロップ』の結末には気持ち悪さを覚えますから、むしろああいうノリにはして欲しくない。

ではどうあって欲しいかというと、はっきり付き合うところを描かないでも、「俺たちの戦いはこれからだ」みたいな、離れないでいるだけで良かったのではないかと。

何年先になるか、大学生になるか成人するか社会人になるかわからないけど、いつか付き合ったり結婚したりするぞと匂わせるだけで、読者に解釈を委ねてしまって良かったのではないかなと思っています。

 

 

おわりに

私は読んでいないので正確なことはわからないですが、漫画版『恋は雨上がりのように』の最終回に、ファンが荒れていたという噂を聞きました。

ちょっと読んでみたいですね。

「あきら」は店長をハッキリと捨てたのでしょうか?

だとしたらそんな結末は絶対に嫌ですね……店長がいたからこそ復活できた物語なのですから。

 

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