ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

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Eテレ『100分de名著』(2017年度)三木清「人生論ノート」から司会の1人が「島津有理子」アナウンサーに替わりました

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毎週月曜日22:25よりEテレにて放送されている教養番組『100分de名著』、2017年4月度は哲学者「三木清(みき・きよし)」の「人生論ノート(じんせいろん・のーと)」です。

 

 

目次

 

 

Eテレ『100分de名著』 

www.nhk.or.jp

 

一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。
この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていきます。

公式Webサイトの「番組について」ページの一部を抜粋しました。

「偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるためのヒントを探る」番組で、毎月ある名著を取り上げて、その作品や著者を出来る限り掘り下げていきます。25分番組を月4回放送して100分で収めている番組です。

月曜日が5回ある月は、5週目は4週目の再放送です。元々再放送は毎週水曜日の05:30と12:00の2回あるので、月曜日が5回ある週は再放送だらけになります。

 

 

新司会が島津有理子アナウンサー

2017年度に入って司会が替わりました。司会はお二人いて、そのうちタレント「伊集院光(いじゅういん・ひかる)」さんは今年度も継続して担当していらっしゃいます。

変更されたのはもうお一方です。伊集院さんとコンビを組むNHKの女性アナウンサーが、2016年度の「礒野佑子(いその・ゆうこ)」から、新年度、つまり今回扱っている「人生論ノート」回から「島津有理子(しまづ・ゆりこ)」さんに変更されています。

 

個人的には伊集院+磯野コンビはかなり好きだったので、それが1年しか観ることができなかったことは残念です。異動されたのでしょうか。

2015年度までは「武内陶子(たけうち・とうこ)」アナウンサーが務めていて、更にその前になると「島津」アナウンサーだったり「伊東敏恵(いとう・としえ)」アナウンサーだったりが起用されていたかと思います。

島津アナが『100de名著』に再出演したのは実に4年ぶりだそうです。番組冒頭の挨拶でご本人が仰っていました。

 

 

島津有理子アナの司会

島津アナの司会はどうかというと……個人的には少々聞き取りづらいです。先述したように私は磯野アナが好きでしたから、彼女との比較になってしまうのですが、島津アナの方が磯野アナより話すスピードが速く、そして声が高いです。

元々の声質の問題や、久しぶりの名著の司会なので気負ってしまっていたこともあるかと思いますけど、私には島津アナの話が忙しなく感じられ聞き取りにくいですし、声の高さも甲高いくらいに高く感じられテレビから少し離れたり音量を下げたりしたくなるほどでした。

それと、磯野アナは伊集院さんや先生の仰ることを聞いているときに、よく頷いていました。これが良いタイミングで入っていて、伊集院さんや先生の話のリズムが良くなっていたように、気持ちよく話をしていたように私には見えました。

番組としてはあくまでも伊集院さんや先生がメインで、自分はサブなのだと磯野アナはわきまえていて、彼らが話しやすい場や雰囲気を意識的に作っていたのかなと感じています。非常に「わかっている」方だなと。

 

磯野アナを評価する文章になってしまっていますね……。

 

 

女性アナウンサーは視聴者代表?

同じNHKの『ブラタモリ』では「タモリ」さんや専門家の方が専門的な話に突き進んでしまいがちなところを、アシスタントの「近江友里恵(おうみ・ゆりえ)」アナウンサーが素人同然の発言をして会話にアクセントをつけていることがよくあります。

それは、番組制作側が近江アナウンサーには視聴者を代表する立場にいてもらうために、事前に取材先の勉強をさせないようにしているのだと、以前何かで読んだ記憶があります。

『100分de名著』での女性アナウンサーももしかしたらそれに近い役割を与えられているかもしれません。女性アナウンサーの方の発言を観ていると、どうも主題から話がズレているように感じられたり、先生が仰っていることを理解できていないのではと感じられたりすることが散見されます。

でも、視聴者代表であるならそれでも良いのでしょう。観ている私たちが必ずしも一度で理解できるとは限らない、むしろ理解できていない方の方が多いかもしれないのですから、番組でも一人はそういう人がいた方が良いのかもしれません。私も全然理解できていないですし……。

そんな私から見て、磯野アナはその点で比較的論点のズレが少なかったように思いました。武内アナや今の島津アナは少し……ズレていますか。理解が足りていないというか伊集院さんの理解までついて行けていないというか。でもそれでも良いのではと。

 

 

2017年4月度「人生論ノート」

2017年4月度に扱っているのは哲学者「三木清(みき・きよし)」の「人生論ノート」です。指南役の先生は哲学者「岸見一郎(きしみ・いちろう)」さん。

 

三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。

(略)

1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして検事拘留処分を受け[15]、東京拘置所に送られ、同6月に豊多摩刑務所に移された[16]。この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、それに起因する腎臓病の悪化により、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡しているのを発見された48歳没。

三木清 - Wikipedia

三木清のWikipediaにはこのように書かれています。獄中死しています……疥癬(かいせん)とはダニの寄生による感染症だそうです。

当時、在野の哲学者として「人生論ノート」を発表した方です。一般向けの哲学エッセイである「人生論ノート」は1938-41年の、今にも第2次世界大戦が勃発しようかという時代に雑誌『文學界』に発表されました。

厳しい言論統制の下で「死について」「幸福」「成功」「怒り」「嫉妬」「健康」などの普遍的な23のテーマ、特に「(自分の)幸福」について語ることなど非常に危険な行為だったはずですから、それもあって文章は一般人には難解な、持って回ったものになっているということです。

三木に一般向けの哲学エッセイを書くように促したのは、文芸評論家で作家の「小林秀雄(こばやし・ひでお)」だそうです。

ちなみに、本作は『青空文庫』に掲載されています。ネット環境がある方は無料で読むことができるはずです。気になる方は検索してみてください。

 

 

幸福の欲求がすねての行為の動機である

「幸福の要求がすべての行為の動機である。(略)幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ」

これは第1回で取り上げられていた「人生論ノート」の一説です。本書の「幸福について」に書かれています。

個人の幸福について語ってはいけない社会全体の抑圧的な雰囲気は、何も戦時下の日本にだけに存在していたのではなく、現代の私たちの社会にも存在していることです。

岸見先生は「『人生論ノート』を読んでいたら、今のことが書いてあるんじゃないかと思ってしまう」「会社のためとか組織のためという言葉の下で、過労死の問題が起こっていますし、同調圧力によるイジメ、個人の幸福が蔑ろ(ないがしろ)にされているという状況は今日もある」と指摘していました。

その指摘をしたのはまずは伊集院さんでした。自分の幸福のことを語ったら、「何お前調子に乗ってんだ」と叩かれる風潮は今もあるのでは、的なことを仰っていました。

さらにその前に、島津アナは「今では当たり前の『幸福になりたい』という想いっていうのは抹殺されていた、それくらい抑圧されていた時代だった」と発言されていて、それを受けて先ほどの、伊集院さんが言っていた果たしてそうだろうか、現代にもあるのでは……言葉につながっていきます。

島津アナのそういう反応が、先ほど申し上げたような私が彼女にズレや理解不足を感じたところです。そして、島津アナのそういう点に直接「それは違う」と否定をするのではなく、持論を唱える形で訂正・修正する発言したのが伊集院さんならではなのですね。

 

 

おわりに

『人生論ノート』は昨日2017年4月17日の放送で第3回が終わっています。残り1回です。個人的には非常に興味深い題材で、私の人生について今更ながらもう一度考えないとなと思った次第です。

第2回の「表現者が表現したことへの『責任』もあるけれど、表現できる状況や立場にあった人間が表現しなかったことへの『責任』もあるのだぞ」という指摘は、私が考えたことのない視点でした。

第3回の「生きていくことに絶望するような徒労感や無意味感に襲われても、自分が生まれている事実からは逃れられないのだから、自分自身で自分が生きていく意味を作っていかなければいけない」「人生は形成である」という言葉にもガツンときました。私に最も欠けている感覚ですね、これは。

 

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