Eテレの初心者向けの俳句講座『俳句さく咲く!』を観ています。
2020年9月27日の放送で、先生の仰ったことの意味がどうもわからない、いまいち納得できないことがありました。
記事作成現在、放送から1週間が経ってもまだもやもやしているので、ブログに書いてみようかなと思いたち、書くことにしました。
目次
『NHK俳句』
テレビ番組『NHK俳句』についてです。
『NHK俳句』は、4人の俳人が俳句を楽しみながら上達するコツを伝授する俳句講座です。俳句のエッセンスを味わいつつ、実作に役立つノウハウも習得できる情報をお届けします。
公式webサイトのディスクリプションには上記引用部のように書かれています。
視聴者が投句をし、その中から毎週異なる選者さんが8句選び、8句の中から特賞を選ぶ形式の番組です。
他にも上達へのコツを教えてくれるミニコーナーなどがあります。
第4週は初心者向けの『俳句さく咲く!』に番組が変更されます。
日曜日が5回ある月は『俳句さく咲く!』が再放送されることが多いでしょうか。
『NHK短歌』の初心者向け『短歌de胸キュン』は前後編で分けることもあったはずですが。
2020年度の選者
『NHK俳句』2020年度の選者です。
- 第1週:小澤實
- 第2週:対馬康子
- 第3週:西村和子
- 第4週:櫂未知子
上記のとおりです。
2020年度の司会者
『NHK俳句』2020年度の司会者です。
- 第1週:戸田菜穗
- 第2週:武井壮
- 第3週:岸本葉子
- 第4週:塚地武雅
2018年度からでしたか、司会者も毎週異なる方が担当していらっしゃいます。
『俳句さく咲く!』
『俳句さく咲く!』の出演者です。
- 田中要次
- いとうまい子
- 櫻井紗季
2020年度からメンバーが大幅に変わっています。
2020年9月27日の放送では、櫻井さんではなく「上西星来」さんが出演していました。
上西さんも櫻井さんと同様、2019年度まで当番組のレギュラー出演者でした。
卒業生ですね。
解説がよくわからなかった
2020年9月27日の放送でよくわからないことがありました。
ミニ句会
毎回、番組最後のコーナーでは「ミニ句会」が開かれます。
兼題を詠んだ出演者の句がスタジオ内に並んで提示され、出演者全員で鑑賞をした後に、選者の櫂先生が「特選」と「もったいない句」を選びます。
もったいない句は要するに最下位で、選ばれた俳句を詠んだ出演者は居残りで櫂先生の授業を受けることになっています。
居残り授業はより詳しく句の添削を受けるものです。
兼題「秋の声」
2020年9月27日放送のミニ句会の兼題は「秋の声」でした。
虫の音はもちろんのこと、それに限らずに風の音だったり雨の降る音だったり枯れ葉の擦り合わされる音だったり、心で捉える音・雰囲気だったり、五感六感で感じられる「秋の声」ということでしょうか。
田中さんの句
2020年9月27日の放送では田中要次さんの句がもったいない句に選ばれました。
田中さんの句です。
湯気向かふ浴室の窓辺秋の声
こういう句でした。
今の時期、田中さんはお風呂を窓を開けて入っていらっしゃるそうです。
お風呂に入っている(湯船に浸かっている?)と、湯気が窓から上がっていく、そのお風呂の窓辺の湯気を眺めていたら、秋が来たんだなと感じた。
そういうことを詠んだ句だそう。
湯気がどこに向かっているかわからない
もったいない句に選ばれた当の田中さんは、もったいない句に選ばれたことと、櫂先生の指摘に納得がいっていないご様子でした。
実は私も納得がいきませんでした。
このようなことを書くと失礼かもわかりませんけど、田中さんの句は確かに特別良い句とは言えないかなとは思います。
かといって決して悪い句でもなく、最下位になる程ではなかった気がしています。
そんな田中さんの詠んだ俳句に対する櫂先生の指摘です。
「方向が見えないと言いますかね。湯気が向かっていくのは浴室の窓辺なのかよくわからないですね」
「窓辺に向かっているのか、窓から湯気が出てくるのか」
「全面的に作り直しましょう」
こう仰りました。
田中さんは「全面的に? そんな駄目ですかこれ?!」と返しています。
そこまで駄目ではないと、素人の私からは思えますけど。
添削
「居残り授業」の内容です。
櫂:湯気はどこからどこへ向かっているのでしょう?
田中:湯船から窓に向かっている。
櫂:だったら外で誰かがそれを感じているっていう風に作っても良いかもしれません。今日学んだばかりの切れ字の「や」を中七で使ってみます。
湯気向かふ浴室の窓辺秋の声
→浴室の窓より湯気や秋の声
にすれば「誰かがお風呂に入っているのかな? 」とか。
田中:なるほど「客観」ですね、これはね。
櫂:客観的に。
というようなやり取りが行われていました。
解説がわからない
上記のように書き出してみても、櫂先生の解説がわからないです。
いえ、櫂先生が詠んだ句はすっきりしていて良いと思います。
良いとは思いますけれども、添削前の、田中さんのオリジナルの句でも言いたいことは伝わります。
添削前でも、湯気が窓辺に上っていると捉えるのが普通ではないでしょうか。
「向かう」と言っていて、句の中で行く先の場所を指す単語は「窓」だけなのですから、「湯気が水面から窓に向かっている」のでしょう。
逆に、句の字面を見て「湯気が窓から出ている様子を誰かが外から眺めている」とは捉える人はまずいないでしょう、と思います。
添削と改作
居残り授業で櫂先生のなさったことは「添削」ではなく「改作」です。
作り変えてしまっている。
視点が変わってしまって、もはや「私」がお風呂に入っていません。
添削というのはあくまでも「詠み手の言いたいことをより良く実現してあげること」だと思うのですよね。
改作をするなら、添削をした上で、こういう別視点もありますよと提示してあげるものと思います。
添削程度の改変では詠み手の言いたいことを十分に実現できない、そういう句であるケースも存在するでしょう。
句の内容以前に場面の切り取り方が駄目ということですね。
田中さんの句はこれに該当するのかもしれません。
だから櫂先生は添削ではなく改作を提示した可能性です。
それならばそれと説明してあげれば良いのではないかと思います。
初心者向けの俳句講座なのですから。
私なりに考えた
田中さんの句はどこが良くないか、どうすれば良くなるかを自分なりに考えてみました。
私は普段俳句を詠まないずぶの素人ですから、考えたといっても適当なもの、戯言です。
何が良くないか
田中さんの句の何が良くないか。
と言いましても、田中さんの言いたいことを全て句に収めたいなら、オリジナルのままで良いと私は思っています。
それを踏まえて考えていきます。
兼題は「秋の声」です。
この5音は動かせません。
よって詠み手が自由に組み合わせられる音は12音しかありません。
たった12音で、浴室の湯船から立ち昇る湯気が開けた窓から出ていく様子を描くことは、無理ではないかと感じられます。
もっと言うと「窓」ですね。
オリジナルの句はせっかく開放感のあるシチュエーションを切り取っているのに、浴室の窓辺と詠んだことで、全体が窮屈になっている印象を受けます。
要するに「詰め込みすぎ」ではないかと。
もったいないです。
削る
句が窮屈であると指摘しました。
窮屈であると感じたなら、それを解消するアイデアは出てきます。
シンプルな方法は句の内容を「削る」ことです。
先ほど書いたとおり、「浴室の窓辺」と書いていることで句に窮屈さが出ていると感じられますから、窓を取り払ってしまいましょう。
窓をとって田中さんの句で言いたいことになるべく近づけて詠んでみます。
浴室の四辺を囲う秋の声
湯気まで削ってしまいましたね。
浴室全体が秋に包まれている様子を詠みました。
囲うの部分を「包む」か「覆う」かにしようか迷いました。
「四辺」と書いたことで浴室の正方形の部屋感・箱庭感を出したかったのと、浴室の上下からは秋を感じにくいであろうと考え、「囲う」を選びました。
あるいはもっと大胆に「湯気」を取り払うこともできるかもしれません。
上の句でも既に湯気もやっていますけど。
浴室の窓の向こうの秋の声
やや説明的ではありますが、「の」を3度繰り返すことによって視点が浴室から窓へ、窓から外の秋の声へと、徐々にズームしていく様子を描いています。
ズームの先にある何に秋を感じたかは読み手に委ねる感じで。
浴室にいることを詠めば、聞き手は基本的にはお風呂に入っている様子を想像するでしょうし、湯船に浸かっているかシャワーを浴びているかはわからないものの浴室に湯気が立っている様子も想像がつくでしょう。
浴室の窓より出づる秋の声
同じく、湯気を詠まずに詠み手に湯気を想像してもらおうとした句です。
う〜ん、何か格好良いことを詠んだ気になっているだけの句に思えます。
私の詠んだ駄作3句の中でも一番の駄目句かも。
「浴室」は削れないですね。
削ってしまうと場所が風呂か台所かわからなくなりますから。
鍋やヤカンでお湯を沸かしている句にも詠めてしまう。
しかし、詠み手が本来言いたいことを全て言えなくなるという意味では、 削る作業は必ずしも良いことではなさそうです。
追記
浴室は削れないと書きましたが、あれから考えた結果削ることに成功しました。
湯煙の窓より出でて秋の声
この句が私が呼んだ中で最も田中さんの言いたいことを表現できている気がします。
「湯煙」と言えば湯船から出ている蒸気だと、ほとんどの方が認識すると思います。
「湯気」では鍋やヤカンの可能性が残ります。
「の」は格助詞ですね、「〜が」のような。
「の」は切れ字の「や」を用いた方が良かったでしょうか。
いや、でも前後が意味的に続いてますから、ここは切らない方がよさそう。
ここまでが追記。
分ける
2つ目のアイデアは「分ける」です。
1つの句に盛り込みすぎているのなら、句を2つに分けてしまいましょうということ。
分けた2つをどちらも兼題「秋の声」で詠めば、1つ1つの句に物足りなさはありこそすれ、合せ技1本で言いたいことは言えるのではないでしょうか。
1つは自分が湯船に浸かったことで秋を感じた。
1つは浴室の窓から湯気が出ている様子を見たことで秋を感じた。
例えばこの2つを詠めば良いのではないでしょうか。
後者は櫂先生の改作が該当するでしょう。
と言いつつ、実は「削る」の項目では既に「分ける」作業をしています。
オリジナルから窓を取った場合と湯気を取った場合とで分けて考えていますので。
季語を変える
他のアイデアとしては「季語を変える」ことがあるかと思います。
秋の声の5音ではなく4音以下の何か別の季語に用いることで、13音以上入れる余裕が作ろうということです。
普段ならそういうアイデアもあって良さそうですね。
しかしながら今回の「俳句さく咲く!」は兼題「秋の声」で詠んでいますから、ここでは使えない手段です。
私が考えつくアイデアはこのくらいでしょうか。
おわりに
ということで、Eテレの初心者向けの俳句講座『俳句さく咲く!』の選者の解説にいまいち納得できなかったから、その理由を考えてみた記事でした。
本文中に書いたとおり、私は普段俳句を詠まない、番組を視聴するだけの素人です。
素人の浅い考えに基づいた浅い記事です。