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『羅生門』の下人が盗人になったように店長とあきらにも変化が起こりそうです - アニメ『恋は雨上がりのように』8話の感想

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毎週金曜日00:55(木曜深夜)より、フジテレビ「ノイタミナ」枠にてアニメ『恋は雨上がりのように』が放送されています。

2018年3月2日の放送は第8話「静雨(せいう)」でした。

以下、最新話のネタバレ要素がありますので、バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

 

目次

 

 

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アニメ『恋は雨上がりのように』

www.koiame-anime.com

 

2018年3月2日の放送は第8話「静雨(せいう)」でした。

静雨、静かな雨。

 

 

8話「静雨」

前回7話で、本作のヒロイン、風見沢高校2年生の17歳「橘あきら(たちばな・あきら)」が、アルバイト先のファミレス「ガーデン」の店長「近藤正己(こんどう・まさみ)」と、ハグをしていました。

店長が言うにはそれは「友だちとしてのハグ」だそうです。

ファミレスの店長とアルバイト店員という関係から進展しているかのようにも受け取れる発言ではありますが……「あきら」にはやはり物足りないのです。

彼女は店長と付き合いたいのですから。

友だちというなら、普通メールのやり取りくらいはするものではないのか、と「あきら」は店長に進言し、メアドをゲットしています。

これは大きな一歩でした。

 

 

小説『羅生門』

今回は、小説家「芥川龍之介」の代表作の一つである「羅生門(らしょうもん)」が、「あきら」と店長を結びつけていました。

結びつけていたと言っても、彼ら2人の関係が進展したということではなく、彼ら一人一人が自分の中で何か変わろう・変えようとしています。

 

『羅生門』(らしょうもん)は、芥川龍之介の小説。『今昔物語集』の本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたものである。生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出し、また、作者の解釈を加えた作品として著名である。戦後、高校教科書に多く採用されている[1]。

- 羅生門 (小説) - Wikipedia

羅生門 (小説) のWikipediaにはこのように書かれています。

「生きるための悪という人間のエゴイズム」これが本作の鍵のようです。

確かに私も高校時代に現代国語の授業で習った気がします。

 

この『羅生門』は『青空文庫』で無料で読むことができます。

文体は少し難しいかもわかりませんけど、短編ですからすぐに読み終わります。

読んだことのない方は是非この機会に読んでみてください。

読むのが面倒な方は、上記Wikipediaに書かれている「あらすじ」を読めば、大体わかります。

 

 

店長とあきらとニキビと羅生門

「あきら」は右頬に「ニキビ」が出来ていました。

「思い思われ振り振られ」でいうと右頬は何でしたっけ?

 

店長が、ガーデンの事務所で夏休みの現国の補修の宿題をしている「あきら」に声をかけ、宿題の内容が『羅生門』であったことに興味を持ちます。

また、店長は「あきら」のニキビにも気がつき、それに関連付けて『羅生門』の話をし始めるのです。

 

『羅生門』の主人公である若い下人(げにん)にも、「あきら」と同じく右頬にニキビができています。

下人は初め、死人の髪の毛を集めてカツラにし、それを売ろうとしている老婆を捕らえるのですが、最後には老婆から衣服を奪って羅生門から姿を消してしまうのです。

最初の行動と最後の行動は真逆です。

実は下人は4、5日前に奉公している主人から暇を出されています。クビです。

老婆が生きるために死人から髪を集めていたように、自分もこのまま餓えて死ぬくらいなら、生きるためについ先程とは真逆の行為に走った……。

下人の心には大きな価値転換が起こっていて、彼の「勇気」が、それを勇気と呼ぶことが適当かはさておき、実行に移させています。

悪であったことが、己が生きるためなら善となる。

 

最後の結びの一文はたびたび変更されている。上述『帝国文学』の初出では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」になっており、第1短編集『羅生門』では「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」となり、初出から二年半たって短篇集『鼻』(1918年大正7年7月(春陽堂))収録時に改稿され、現在のように「下人の行方は、誰も知らない」となった。

前出のWikipediaにはこのように書かれています。

この点にも店長は触れていました。

作者の芥川の中で「下人が盗人になる勇気」はとても大きなものではなかったかな、と店長は言っています。

 

 

店長は“盗人”になるのか?

「あきら」は店長に、店長が下人なら同じように盗人になるかと聞きます。

店長は盗人にはならない、いや、なれないと答えました。

 

「この歳になると小さく生きていく癖が付いちゃっているし、波風はできるだけ立てたくない」

「俺が下人だったら、門の下で雨が止むのをずっと待っていると思うよ」

「もしかしたら雨が止んでも、その場から動けずにいるかもしれない」

 

と言っていました。

その後、今度は心の中で……

「下人のニキビは若さの象徴、俺はもうニキビすらできないただのおっさん。今さら考えを180度変えられるほどの勇気もエネルギーも持っていない」

……と店長はつぶやいていました。

 

しかし、そんな店長にもニキビが出来ていました。左頬に。

思われニキビ?

変えられるほどの勇気もエネルギーも持っていないと、自分で限界を作っているだけで、変わろうと思えば今直ぐにでも変えられるのだと、そのニキビは店長に言っているかのようです。

 

 

あきらは“盗人”になる

逆に、店長は「あきら」に同じ質問をしました。

あきらはそのとき答えませんでした。

しかし、現国の補修の宿題では、下人の取った行動に対して……

「下人の勇気が、今後彼の人生にプラスに働けばいいなぁと思います(続きが読みたいとも思いました)」

……と書いていました。

 

『羅生門』をきっかけにして「あきら」も一つ大きな変化をつけました。

それはガーデン近くで行われたお祭りに、辞めた陸上部の旧友「喜屋武はるか(きやん・はるか)」を誘ったことです。

 

自分が怪我をして陸上を辞めてからというもの、2人の関係はギクシャクしていました。

陸上を続けたいけど陸上も部活も辞めざるを得なかった自分、怪我をせず陸上を続けている「はるか」に対して、嫉妬や羨望の気持ちがあったはず。

今もその気持ちはあるでしょうけど、以前「はるか」が言っていたように、2人の友情は陸上だけではないのだと「あきら」も感じていて、その意思を「はるか」に伝えるためにも、祭りに誘ったのだと思います。

自分の痛みと向き合うこと、これが「あきら」に起きた変化です。

私はてっきり「あきら」は祭りに店長を誘うのかと思っていましたが。

 

 

ユイの恋

ガーデンでの「あきら」のバイト仲間「西田ユイ(にしだ・ゆい)」は今回、同じくバイトの「吉澤タカシ(よしざわ・たかし)」のことが好きだと「あきら」に言っていました。

ユイは「あきら」がタカシのことをどう思っているのか気になっているらしく、正直に「あきら」の気持ちを聞いていましたが、「あきら」は「友達」でもなく「知り合い」だと答えています。

どうして友達ですらないかというと、タカシが友達であるなら、店長と同列になってしまうからです。

先ほど書いたように、「あきら」は店長から友達だと言われています。

 

「あきら」の言葉を聞いたユイはホッとしていました。

ただ……タカシは「あきら」と同じ学校のクラスメイトで、わざわざ「あきら」のバイト先を探し出して(尾行して?)一緒に働き始めたほど、「あきら」のことを好きです。

ユイはおそらく近々タカシに告白するでしょうけど、それほどまでに「あきら」を好きなタカシがユイになびくとは到底思えませんから……。

そうしたらガーデンにいられないですよね。

 

 

おわりに

今回は、ニキビから『羅生門』へとつなげる展開の良さが光りました。

「あきら」は自分の心の傷と向き合い始め、店長はどうするのでしょうね。

小説家になる夢を諦めていたけれど、もう一度書こうと思うのでしょうか?

それにはもう一歩必要ですよね、「鬼束ちひろ」じゃなくて「九条ちひろ」と向き合うことが。

 

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