ディスディスブログ

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カルテット「ドーナツホール」は唐揚げに添えられたパセリなのです - ドラマ『カルテット』10話(最終回)の感想

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毎週火曜日22:00からTBSにてドラマ『カルテット』が放送されていました。2017年3月21日の放送で最終回を迎えています。

 

 

目次

 

 

ドラマ『カルテット』

www.tbs.co.jp

 

2017年3月21日は第10話でした。今回、最終話です。サブタイトルはないのでしょうか。ちなみに私は1話をきちんと観ていません。

前回9話で、「巻真紀(まき・まき、演:松たか子)」は、実は「巻真紀」……離婚したので「早乙女真紀(さおとめ・まき)」の名前ではなかったことが明らかになりました。

真紀は、本名が「山本彰子(やまもと・あきこ)」であること、10歳の時に母親を事故で亡くし、母の再婚相手の義父に預けられていましたが日常的に暴力を振るわれていたこと、平成15年でしたか、「早乙女真紀」の戸籍を300万円で購入していたこと、その直後に義父が心不全で死亡していること、これらが警察の捜査によって明らかになり、任意同行を求められ出頭しています。

カルテット「ドーナツホール」を組んでいた「別府司(べっぷ・つかさ、演:松田龍平)」「世吹すずめ(せぶき・すずめ、演:満島ひかり)」「家森諭高(いえもり・ゆたか、演:高橋一生)」とはここでお別れして、カルテットが解散してしまうのか……? という9話でした。

 

 

イントロダクション  

ドラマ『カルテット』のイントロダクションです。

 

 

10話(最終回)「」

警察に出頭した真紀、バラバラになったカルテット…月日は流れ、それから一年後、最後に待ち受ける“まさか”とは…?

 番組説明にはこのように書かれています。詳しい番組内容には「放送をお楽しみに!」としか書かれていません。

説明にあるように、物語の舞台は9話の1年後に進んでいました。真紀(彰子)は裁判所から執行猶予付きの実刑判決が下されているようです。おそらく戸籍を買ったことに対する判決でしょう。詳しく言及されていないので詳細、特に義父の不審死については不明です。

その間、雑誌やワイドショーなどで事件が大々的に報じられ、真紀は話題の人となっていました。別府たちカルテットの他3人も取材攻勢を受け、別府の家のこと、すずめの過去(魔法少女)のことも記事にされたようです。なお、家森。

すずめと家森は勤め先の人たちに恵まれ仕事を続けられているものの、別府だけは会社を退社してしまっています。物語の大部分は別府だけが正社員でしたから、最終話で立場が逆転していますね。

雀は「マンション管理士」の資格試験のためにあまり寝ずに猛勉強をしていて、家森もライブレストラン「ノクターン」から「のくた庵」に名前を変えた料理屋で週7日で働いていて「板前修業」をすることにしているみたいです。まともなのは別府だけ、と別府本人は言っています。

 

 

真紀の団地暮らし

真紀は別荘には戻って来ず、東京で団地暮らしをしています。裁判で判決が確定した後もメディアは取材をし、存在を知った人から嫌がらせも受けている様子です。そんな状況で別荘に戻っては3人に迷惑がかかるし、カルテットの演奏も以前のようには聴いてもらえないだろう、と真紀は考えて戻っていないのでした。戻れない。

別府はすずめと家森にカルテットの解散を提案しました。が、反対をしたのはすずめで、彼女は真紀から預かったヴァイオリンを今も大事に管理しています。真紀が戻ってくると信じているのです。反対したと書きましたが、実際には真紀にヴァイオリンを返してから、解散の提案をするべきだと言っていました。

カルテットの存続も解散も4人のことだから、真紀抜きで決めずに4人全員の同意が必要だということでしょうか。

 

 

そして再会へ……

雑誌に写された真紀の写真を見て、写っている周辺の景色からグーグルマップらしきものを使って場所を割り出した別府たちは、早速団地へと向かいました。

ただし団地の場所がわかったとしても、たくさん建っている棟のうち何号棟の何号室に真紀が住んでいるか、まではわかりません。

解決手段は「演奏すること」でした。各自楽器を演奏することで、それを聴いた真紀をおびき出そう、ということ。

そうしてまんまとおびき出された真紀は、手は荒れていて髪の毛には白髪が何本も混じっているという、この1年の心労と現在の生活の苦しさを感じさせる風貌をしていました。

そんな真紀に、すずめは自分の着ていたレザージャケットを着させ、抱きしめ、別荘に連れて帰ると言い、家森も便乗して真紀を抱きしめ、別府は皆を乗せて帰るためにドーナツホールのワゴン車へと向かいました。カルテットの復活です。

 

 

ニセ早乙女真紀の名前で人集め

別荘に戻ってから、自分が別荘を離れてからの1年の日数は、自分だけでなく別府たちの状況も変えていたことを、真紀は知りました。主に自分のせいで。

でも皆は真紀のせいではないと言ってくれます。音楽を夢から趣味にするタイミングが向こうからやって来たと。

それを受けて真紀は、自分たちの夢として1年前に語り合った、大きなホールでのカルテットの演奏、これを実現させようと言い出しました。

大きなホールで客を満席になんて自分たちの力ではできないとすずめたちは言いますが、真紀は自分の「ニセ早乙女真紀」というブランド(悪名?)を使えば集められると答えます。でもそれは音楽を目当てに来た客ではない……。

「届く人には届くんじゃないですか。その中で誰かに届けば良いんじゃないですか。1人でも2人でも」

すずめは、それでも良いからやれるだけやってみようと真紀に同意して、真紀もそれに嬉しそうに頷いてみせます。男2人も決意を固めて、大ホールでの演奏をすることにしました。

 

 

価値もない意味もないと続けてはいけないのか?

 「のくた庵」にカルテット「ドーナツホール」宛に手紙が届いていました。

家森が別荘に持ち帰ると、すずめがファンレターと思ったのでしょうか、中身を読み始めます。家森は読むことを止めていたので内容を読んでいるのでしょう。

手紙は女性からと思われる内容で、その女性も音楽を志していた人のようです。女性が指摘したことは、ドーナツホールの4人の演奏が酷かった、奏者として才能がない、煙突から出た煙のような価値もない意味も必要ない記憶にも残らないものだ、すぐに辞めてしまえばいいのに、という辛辣なものでした。

女性自身も、自分の実力は続ける価値もない意味もないと気づき早々に手を引いたいたのに、あなたたちはどうして辞めないのか? 煙の分際で続けることに一体どういった意味があるのか? という言葉が綴られていました。

続けることに意味はあるのか? 将来があると思うのか? 何故続けるのか? 何故辞めないのか?

 

 

答えは「パセリ」

女性の手紙とその質問に対して、カルテットの4人は明確に答えを出していませんでした。大ホールでは思うがままに選曲をして思うがままに演奏をしています。

それによってステージに缶を投げられたり、途中退席をする人たちもいましたが、カルテットの演奏を受け入れてくれる人たちもいました。

会場にはカルテットに手紙を送ったと思われる女性の姿もありました。

そして、女性の疑問に対してカルテットは明確な答えは出していないですけど、演奏後に彼らが出した答えを暗示するシーンがありました。

それは「パセリ」です。

別荘に戻って食事をする4人、テーブルには大きな皿の上に「唐揚げ」がたくさん盛り付けられています。カットレモンとパセリも添えられて。

唐揚げとレモンと言えば真紀と「巻幹生(まき・みきお、演:宮藤官九郎)」を想起させますね。幹生が真紀に対して愛情がなくなるきっかけになった、レモンが嫌いなのに勝手にレモン汁を唐揚げにかけた、あの事件を。

お皿に添えられたパセリを退けて唐揚げを取ろうとした別府とすずめに対して、家森が言います。

「パセリがあるときのないとき、あるない、あるない、あるない、どう?」「寂しいでしょ? ないと殺風景でしょ?」「この子たち言ってるよね、『ここにいるよ〜』って」

「心で言うの『センキュー、パセリ』」「食べても、食べなくても良いの。ここにパセリがいることを忘れちゃわないで」

これが彼らの出した答えなのだと思います。

自分たちは音楽業界のメインストリームではないし、今後も成り得ないでしょう。唐揚げにはまずなれない、なれるとしてもせいぜい唐揚げの脇に添えられるパセリです。

自分たちがこれからもずっとパセリでしかないことは承知の上で、それでも続けていればパセリに感謝をしてくれる人が現れるかもしれない。パセリを好きだと言ってくれる人がいるかもしれない。それで良いんじゃないか……ということかと思います。

 

家森に言われたすずめは、パセリさんへの感謝を述べた後、思いっきり唐揚げにレモン汁をかけていました。大量に。幹生が愛情を失うきっかけとなった行為を、いとも簡単にして、それでも真紀も家森も別府も、すずめを嫌うことはありません。

 

 

おわりに

今作は、同じ時間帯に放送され話題になった前作『逃げるは恥だが役に立つ』より地味な作品でした。しかし、役者さんの演技や、台詞回しなどは味わいのあるものが多い、良作ではあったと個人的には感じています。

世間的には、カルテットの4人は定職に就いていないですし、当然貧乏でしょうし、妻も夫も恋人もいない人たちです。可哀想な人たち、不幸な人たち、負け組です。でも本人たちはそんなことは思っていないでしょう。好きな人たちと暮らしながら、好きなことをする人生を選んでいるのですから。Twitterの言葉はそういうことかなと思います。

 

私はカメラを趣味にしています。散歩がてら逆光に透けている花びらや葉の写真を撮っていると、たまにおじさん・お爺さんに何を撮っているのかと声をかけられるんですね。葉っぱを撮っていると答えると、何でそんなものを撮っているのかと不思議そうな顔をされます。そう言われたこともあります。

皆さんは、他の多くの方がそうしているように、私が鳥や小動物を撮っていると思うのでしょうね。私の撮影対象はあまりメジャーではないみたいです。

確かに、散歩をしていると、バズーカ砲のような望遠レンズを付けたカメラを設置している写真愛好家の方々が、まるで自分の家かのように、川辺に陣取っていらっしゃいます。カワセミ狙いでしょうか。

でも周りに何を思われたってはどうでも良いんですね。私は好きで撮っているのですから。ということを今回ドラマを観て思いました。

 

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