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「かか」が鼻歌を歌うときは悲しげなとき。君子が亡くなるのは明日か明後日でしょうか? - 朝ドラ『とと姉ちゃん』146話の感想

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NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』、2016年9月20日放送の146話で、君子と常子たちとのやり取りばかりが扱われていて、最期のときが近づいていることを感じさせ、観ていて悲しいです。

 

 

君子は自宅療養を選択する

www.nhk.or.jp

 

前回145話から昭和39年に時代が飛んでいます。ヒロインの「小橋常子(高畑充希)」は、戦中から住んでいる目黒の家の土地を買い上げて、家を建て直しました。たいへんに大きな家です。

そこには常子と母の「君子(木村多江)」だけでなく、常子の上の妹の「鞠子(相楽樹)」と鞠子の夫の「水田正平(伊藤淳史)」と13歳になった2人長女「たまき(蒔田彩珠)」、5歳の長男「潤(山下心煌)」の水田家4名、常子の下の妹「美子(杉咲花)」と美子の夫「南大昭(上杉柊平)」と2人の4歳の長女「真由美(上杉美風)」の南家3名が加わって、総勢9名の大所帯が一つ屋根の下に暮らしています。

大家族となったおかげで、働きに出ている常子と水田と南と美子が家にいなくても、家はたいへん賑やかで、小さな子供たちも専業主婦の鞠子もいますから、年老いた君子は一人ぼっちになることはまずないようです。心細い思いをせずに済みます。

大変に賑やかで、でも穏やかな時間が過ぎていましたが、145話ではとうとう君子が倒れてしまいました。病院へ運ばれ検査をしたところ、君子は「ガン(癌)」に侵されていることが判明します。常子たちは医師から残されている時間はあまり多くなさそうなニュアンスの言葉を聞きショックを受けます。病状は思いの外重かったようです。

病室でベッドに伏せている君子は、診察室から病室に戻ってきた君子たち三姉妹に、自分の病気のことを正直に話すように言っていましたが、常子たちは本当のことは言わず「きちんと治療すればきっと治るだろうって」と君子を不安にさせたくなかったのでしょう、嘘を言いました。君子はその言葉を心から信じている様子はありません。常子たちが自分に気を遣っていることは気がついているはずです。

君子は自宅療養を主張していました。一人寂しく病室にいるのが嫌で、家族皆に囲まれて過ごしたいようです。常子は医師にお願いして、それが叶ったようで、146話時点で君子は家に戻ってきています。

 

 

たまきが風邪を引く

鞠子たちの娘の「たまき」は昭和39年時点で13歳の中学生ですが、どうやら彼女は風邪を引いてしまいました。たまきが咳き込んでいる様子から、真由美ちゃんから「たまきちゃん、だいじょうぶ?」と心配されています。「たまきちゃん」と呼ばれているのですね。

咳き込む様子を認めた君子は、たまきの額に手を当てると、どうやら彼女は咳だけでなく発熱までしていました。家にいる鞠子は家事や幼稚園児の真由美と潤の世話に忙しく、たまきの世話まで手が回らないこともあって、君子はたまきの看病を買って出ます。君子自身が重い病気を患っているにもかかわらず。

でもそこは常子たち三姉妹だけでなく8人全員の母親でもある君子ですから、その利他的な行動はとても「らしい」行動でした。残された時間が長くないことは察しているはずで、短い時間の中であっても少しでもいいから家族のためになりたいという気持ちが君子を動かしているのだと思われます。無理をすれば自らの生命を短くしかねないのに。

たまきは夜には熱が下がっているようでした。仕事から帰宅した水田などは、帰ってからたまきの風邪の事情を知り大いに慌てていましたが、寝ているたまきを起こさないでと鞠子から咎められる始末です。それでも尚、君子はたまきのために料理まで作っていました。飾り包丁というのでしょうか、ニンジンを葉っぱのように切っていて、お粥に彩りを加えています。

 

 

おわりに

146話のおわりに、常子たちの会社『あなたの暮し出版』社の編集長である「花山伊三次(唐沢寿明)」が小橋の家にやって来ていました。常子たちと一緒に。花山は君子のことを常子や美子から聞いたのでしょう、見舞いにやって来たと玄関で出迎えた鞠子に言っています。明日は花山と君子の会話が入りそうです。

さて、今回は全体に穏やかな雰囲気が漂いました。それは即ち準備を意味します。何の準備かというと「タヒ」です。明日の後半か明後日には亡くなると思われます……。哀しいですね。

今回から唐突な設定が加わっていました。君子は悲しげなことがあると鼻歌を歌う癖がある、というものです。単に私がこれまで気が付かなかっただけで、これまでにも描写されていたかもしれません。

今回、君子が鼻歌を歌う様子が何度か描写されていましたが、これはおそらく亡くなるときにも聞かれ、鼻歌が途切れるようにして息を引き取るのだと想像できます。このシーンを描くためだけに新たに設定されたものかな、と今回観ていて感じました。

 

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