ディスディスブログ

気分変調症の男がテレビ番組の感想やカメラ、ファッションのことなどを書きます

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Eテレ『漫勉』シーズン2で「花沢健吾」さんが漫画における“ある論争”について意見を述べていました

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木曜日23:00からEテレ『漫勉』が放送されています。2014年にシーズン0が放送され、2015年がシーズン1、今年2016年はシーズン2、実質シーズン3です。

先週2016年3月3日に放送されたシーズン3の第1回は「萩尾 望都(はぎお・もと)」さんでした。「ポーの一族」や「イグアナの娘」などで有名ですね。萩尾回は記事にしていません、というのも番組が放送されるのを忘れていて、冒頭15分ほど録画をし忘れていたから。シーズン2が金曜夜に放送されていたため、てっきり今回も金曜日にほうそうされるものだと思い込んでいたんですねぇ。できれば曜日と時間は一緒にしていただきたいなぁと思ったり……いや私の不注意のせいですね。

昨日2016年3月10日放送されたシーズン2第2回は「花沢健吾(はなざわ・けんご)」さんです。今回はしっかり番組の頭から録画をしました。

 

漫勉とは?

www.nhk.or.jp

 

日本を代表する漫画家さんたちの制作現場にカメラが入り、撮影された映像を、本人と漫画家の「浦沢直樹(うらさわ・なおき)」さんとで見ながら、どのような手法で描いているのか、どのような道具を用いて描いているのか、どのようなことを考えながら描いているのか……などを話す番組です。浦沢直樹さんは「YAWARA」「20世紀少年」「MONSTER」などを描いた方ですね。

 

花沢健吾さん

  

今回の放送は「花沢健吾」さんが登場していました。私は花沢健吾さんを全く知りませんでした。

いや、正確にはシーズン1の「浅野いにお」さんの回を見たときに、浅野さんについてい調べていた中で花沢さんの名前が挙がっていたので、お名前だけは知っていました。しかし、作品は一つも読んだことがありません。

「アイアムアヒーロー」も名前を聞いたことがあるくらいです。基本的に私は青年誌があまり得意ではないのかもしれない。番組の説明によると、「アイアムアヒーロー」は「ZQN」と呼ばれる“生ける屍”が世界に溢れる物語だそうです。咬まれると感染するらしい。

 

デジタル背景は漫画なのか?

togetter.com

 

浅野いにおさんについて調べていたときに見つけたのが、togetterの『江口寿史先生の「マンガの背景」論と、マンガ家たちの反応。』というものです。上記リンクがそれ。

簡単に言うと、デジタル処理した背景を使うことについて、それはもはや漫画とは言わないのではないか、という指摘だったかと思います。江口さんの指摘に対して、賛否はもちろんのこと、そもそも今漫画を書いていない江口さんに今の漫画を語る資格があるのかなど、様々な意見が漫画家を中心に寄せられていたようです。

私個人の意見をいうと、アナログだろうとデジタルだろうと何でも良いと思います。話が画で構成されていて、コマ割りがあり、擬音が文字で表現され、登場人筒の台詞が吹き出しなどで表現されているのであれば、描かれる手段が何であろうと漫画なのではないかと。後述する浦沢さんと同じ意見です。

日本画家の千住博さんは滝 (Waterfall) の画で有名な方で、千住さんはエアブラシを使って画を描かれるそうです。ご本人が『NHK俳句』だったかにゲスト出演された際、エアブラシを使って描くことが果たして日本画と言えるのか? という批判を受けることがある、と仰っていまして、それを聞いたとき浅野さんに対する江口さんの指摘にどこか通ずる話だと感じました。

今回の漫勉でも、浦沢さんの方からその件に触れていました。花沢さんが自分の撮った画像を元に主人公の顔を描くところでした。そこで浦沢さんは「一時論争があったじゃないですか、この描き方はどうなんだ、って」と切り出します。

 

花「自由だと思うんですよね。それこそあらゆる自由な手法があっていい。だからこそ漫画なんで」
浦「出来上がった作品がどういうムードで、どう思われるかということであって、そこにおける手法っていうのは何でもいいじゃない、というのはありますよね」
花「少しずつ自分の中の自由を持ってきて、漫画がどんどん発展して面白くなってきているんで」

 

花沢さんはこのような意見を持ち、浦沢さんがそれに同調しているやり取りでした。私もそう思います。でも江口さんの意見も貴重な一意見ですね。同業者の絵柄について公に批判をする機会ってなかなかないと思いますから。おかげで浅野いにおさんや花沢健吾さんの名前がさらに広く知られることにも繋がったかもしれないですし。

 

おわりに

背景の中でキャラクターが浮き上がるかどうかは漫画の基本ルールだと仰った浦沢さんに、花沢さんは「逆に馴染ませたいと思っています」と答えていたことが印象的でした。浮き出るということは主役感を出すためにライトを当てることを示していて、それだとリアリティとしては減っていくから見えないなら見えないでいい、そちらの方が花沢さんにとってはリアリティである、ということです。

私が子供の頃から読んできた漫画は主人公たちを浮き上がらせるために、あえて背景の一部を描かなかったりボカしたりしている作品ばかりだったと思います。他にも、眼鏡をかけているキャラが横向きになったとき、眼鏡のフレームと眼が被る部分は眼鏡を描かずに普段なら見えない眼を見せるという手法も、当たり前のように描かれていましたし、私もそれが当たり前だと受け止めていました。でも花沢さんはそうではないみたいです。これは私にとっては少なからずショックなことでした。横向き時の眼鏡をどう描いているのかは、花沢作品を読んでいないのでわからないので、一度確認してみたいです。

 

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