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助六は人のため、菊比古は誰のために落語をするのか? 品川心中が良かったです - アニメ『昭和元禄落語心中』6話の感想

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毎週土曜日01:05(金曜深夜25:05)より、TBS“アニメイズム”枠にてアニメ『昭和元禄落語心中』が放送されています。

 

rakugo-shinju-anime.jp

 

以下、ネタバレ要素がありますので注意してください。バレても構わない方のみ下方スクロールをお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月12日の放送は第6話でした。サブタイトルがない作品のようです。6話は放送日がいつもと異なり金曜日(木曜深夜)に放送されていました。

 

イントロダクション 

刑務所の落語慰問会で見た大名人・八雲の「死神」が忘れられず、
出所した与太郎が真っ先に向かった先は、寄席だった。
拝み倒して八雲の住み込みの弟子となった与太郎だが、
八雲の元では小夏という女性が暮らしていた。
八雲と小夏には他人が容易に触れられない因縁があるらしく…

 

というイントロダクションです。ABOUT/STORYページから抜粋しました。作者は雲田はるこさん。講談社の『ITAN』にて連載中、既刊8巻。私は本作を全く知りませんでした。完全な初見です。

 

『昭和元禄落語心中』5話まで

2話からは、与太郎(よたろう)が弟子入りをした「八代目・有楽亭八雲(ゆうらくてい・やくも)」と、彼のライバルである「二代目・遊楽亭助六(ゆうらくてい・すけろく)」の2人が、七代目・有楽亭八雲に弟子入りするところからの話になっています。過去話で、2話がおそらく昭和初期で、3話は戦中・戦後へと時代が進んでいます。

弟子入りからは、八雲が「菊比古(きくひこ)」、助六が「初太郎(はつたろう)」と七代目・八雲から名付けられていましたが、4話からは2人は二つ目となり、初太郎は助六を襲名しています。二つ目となったことで、菊比古と助六(初太郎)は師匠である七代目八雲の家から出て、二人暮らしを始めています。

そんな折に、2人が七代目からの紹介で知り合ったのが芸者の「みよ吉」です。みよ吉は菊比古を気に入ったようで彼に近づき、菊比古もまたそれに応えるようにみよ吉の家に上がるようになっています。また、菊比古と助六たちが落語家(噺家)による芝居「鹿芝居(しかしばい)」をし、「弁天小僧」を演じていました。菊比古が弁天小僧です。

 

6話で菊比古の落語が見えてきた?

菊比古は、5話の鹿芝居で演じた「弁天小僧」で、女装の弁天小僧菊之助が自らが男であることを明かし、身体に彫られたいれずみを見せつけるシーンで、自分の芝居に観客が沸き上がる様子に何か“気付き”を得ました。

落語に関しては、スランプのような行き詰まりのような、ある種の閉塞感を菊比古は感じていたのでしょうか、それもあるでしょうけれども、助六の奔放な落語が評判を呼び、彼との距離がどんどん離されている(と菊比古が感じている)ことに対する焦燥感も多分にありそうでした。

菊比古は6話で、廓噺(くるわばなし)や艶笑噺(えんしょうばなし)に活路を見出しています。要は色っぽい噺ですね。演じたのは「品川心中」です。

 

品川の遊郭を舞台にした噺である。前半では女郎と客の心中がテーマとなっているが、後半では自分を騙した女郎に客が仕返しを目論む展開となる。現代では前半のみの話で終了させ、後半の下げの部分までの話をするやり手がほとんどいない。

品川心中 - Wikipedia

 

品川心中のWikipediaにはこのように書かれています。後半までやらないことが多いんですね。菊比古も前半しか演じませんでした。

ただ、廓噺や艶笑噺に関しては、3話で当時はまだ初太郎だった頃の助六に言われたことでもありました。3話で初太郎が菊比古に言ったことは、声を張る必要のない廓噺や艶笑噺をやったらどうかということでした。それらには、三味線とか踊りの所作とかを使う噺もたくさんある、と。

当時の菊比古は初太郎の勧めを聞いても、前座噺すらおぼつかないのにそんなのまだ早いよ、と聞く耳を持たない様子でしたが、それから何年も経った後に自らが当時の初太郎の言葉どおりになっている気がつき、助六の先見の識に驚くとともに、彼には到底追いつけないことを痛感したようでもありました。自分が一段上がったときには、既に助六は二段三段四段五段と駆け上がって行っているように感じたのかもしれません。助六は天才なのですね。「天才薄命」と『SLAM DUNK』で言っていた気がしますが……。

 

何のために落語をするか

6話は、自分は何のため、誰のために落語をするのか、という点にフォーカスが当てられていました。

助六は戦中、満州に行っていたとき、ラジオなど娯楽のない前線で戦い疲れた兵士たちに落語を聞かせ、彼らが笑っている様を見て、自分は「人のために落語をやる」と心に決めたのだそうです。初太郎に、おめさんはどうなんだい、と聞かれた菊比古は、それから「誰のために落語をするのか」を考えるようになります。

鹿芝居からヒントを得て演じることにした品川心中の最中、これまでの観客の反応とは明らかに異なるものを感じます。そのとき菊比古は、「あたしの落語は誰のための落語でもねぇ。てめえのためにやってたんだ」、「てめえの居場所をこさえるため。ここにいても大丈夫だと思うため」だとはっきりと認識したのでした。

 

おわりに

廓噺や艶笑噺に辿り着いたのは菊比古自身の力です。結果として、何年も前に初太郎から言われたとおりになっていたとしても、言われたまましているのではなく、自分自身で苦しみ考えた末に辿り着いた境地です。同じではありません、全くの別物です。助六の落語を見ながら、あたしはあたしの落語をしよう、と吹っ切ったことも素晴らしいですね。

助六は人のため、菊比古は自分のため、それなら与太郎は何のために落語をするのでしょうか。与太郎は1話で登場してから一度も出てこないから忘れてしまいがちですけど、彼も物語の超重要人物のはずです。この辺りのこともいずれ語られるのではないかと期待しています。

次回予告は何か波乱が起こりそうな様子でした。菊比古とみよ吉は……。

 

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